第7話

 この世で一番の快楽? 可哀想なお方、知らないの? それはね、「二つ目の愛」を育む瞬間よ。


             ――デイルゥ・ジャネ・ファマスタール(貴族)――




 悍ましく、歪で下卑た関係が彼らの間に築かれたのは、孝行がキティーナと死別してから三日後の夜だった。ノギロンという観光都市を訪れ、一軒の宿を取った二人は、食事から就寝まで、殆ど会話も無く過ごした。


 孝行の身体は既に全快しており、彼が「やる気」さえ出せば、ユリカの首をすぐにでも刎ねる事は可能であった。銃砲を隠す外套は畳んだままで、気を張る様子も一切見せず……ユリカはウットリとした目で、部屋の中を見渡していた。


「ごめんなさい、孝行。私……そろそろ……」


 半分だけ閉じた目を擦りながら、ユリカは寝間着として用意された薄手のローブを纏う。孝行は返事もせず、黙々と刀を磨いている。


 衣擦れの音が響く。孝行は横目でユリカを見やった。


 全く不幸な事に――孝行は酷く欲求が溜まっていた。赤銅の色をした塊が、ムクムクと彼の心中で膨らんでいく。キティーナが懐妊したのを知ってから、彼は一切の「邪な接触」を断っていた。せいぜいが手を繋いだり、キティーナの腹に耳を当てるぐらいで、孝行は柔肌の感触に久しく覚えが無い。


 この女にだけは、この女にだけは触れてはならない!


 そう固く誓った孝行の目が……今は鈍い輝きを隠せずにいる。刀を研ぎ、「処刑」の日を待ち望むつもりの彼は、早くもその決意が揺らぎ始めていた。


「……んぅ」


 寝言、と呼ぶには余りに小さく、言葉にならぬ程の音が――ユリカから聞こえた。全てが艶めかしく思え、孝行は深呼吸して刀を研ぎ続ける。


「クソッ」


 孝行は舌打ちした。期待通りの研磨が出来ずにいた。「いつもならすぐ出来るのに」と頭を掻き毟り、黒い刀身を睨め付ける度に、不器用化の理由はより明確な形を持って――彼の前を飛び跳ねた。


 溜息を吐き。孝行は何気無い様子で(その実、寝床の方が気になって仕方無かった)、ユリカの方を見やる。


 毛布の下から伸びた足が、孝行の視界に焼き付いた。同時に高鳴る鼓動は喉に渇きを覚えさせ、目眩に擬態した「欲情」が出現する。


 ユリカが起きているなら、こんなに――。


 孝行はユリカの狙いを悟っていた。「夫婦となり、子を宿す」事を嘱望していると……彼はよく分かっていた。その為に孝行は、一層をしないよう心掛けていたし、誘惑などに絡め取られないよう、細心の注意を払っている。


 しかしながら……女性の持つ無意識、無警戒の動作に孝行は――疲弊していた。


 気付けばユリカの寝息に耳を傾け、微かに上下する胸を注視し、「毛布が無ければ」という有り得ない願望に囚われた孝行。


 果たして――孝行は立ち上がり、忍び足で寝床に近寄ると……ユリカの顔をジッと見つめていた。




 女性としての魅力……勿論キティーナとは比べるまでも無い。無いが……外見だけなら、もしくは――。




「……うん?」


 ユリカがゆっくりと目を開けた。


 渡っている橋がたわみ始めたような驚嘆を覚え、孝行はその場で尻餅を付いた。一切の音は立てていないはず、呼気も当てていないし――自身を落ち着かせようと、必死に「失敗した理由」を探す孝行は、思わず……「すまん」と謝罪した。


 微睡むユリカは毛布から手を伸ばし、「フフッ」と微笑んだ。


「眠れなかったの?」


「――違う!」


「……来ます?」


 孝行の心臓が高鳴る。「願い下げだ」と吐き捨てようとした彼が、しかし最初に思い浮かんだ言葉は「良いのか」であった。


「……断る」


「……孝行、聴いても良いですか」


 囁くような声で、ユリカは「どうして」と言った。


「……どうして、孝行は私と一緒に?」


「お前が勝手に付いて来たんだろう」


「……じゃあ、斬り捨てるなり何なり……すれば良いのでは」


「……俺が手を掛けたとして、その時にお前は笑うだろう? 『ありがとうございます』と」


 ピン、とユリカの脳内で軽快な音が鳴る。




 孝行の発言、精神状態……これは好機以外、何物でも無い!




「……本当に、殺されて喜ぶと思っているんですか?」


 ごめんなさいね、孝行――心中で詫びながら、ユリカは努めて「怒気」を孕むような声を出す。途端に……孝行の表情が曇った。

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