狂女暴風

第1話

 元来、阿桑田ユリカは物事の摂理をよく弁えた女であった。起こした行動が果たして他人の目に映った時、それは「不条理」であると断定されても、彼女は彼女なりの「条理」を以てして、その行動を負えたに過ぎない。


 フゴールの木が乱立するアトラシア国有林にて、今――ユリカは横目で死体あらやまを見やった。「あっ」と叫びたかったのであろう死体の顔は、曇った眼で夕暮れの近付く空を見上げている。額に赤黒い穴を空けた彼の心臓は、一層辺りの静寂を手伝っているようだった。


 ユリカは「条理」を失っていた。正否を問う余力が無かったからだ。自身に定めた摂理、条理、法則を放棄せざるを得ない状況――見境無しの怨嗟――を用意したのは、目の前で沈黙する獣人の女、キティーナ本人である。


 何故、彼女は平気な顔をして現れたのか? 気配すら感じさせず、接近を許してしまった原因は何だろうか……?


 朧に思う疑問は、しかし数瞬も経たぬ内に怨嗟の沼へと沈み込んでいく。畢竟ユリカはどうでも良かった。レガルディアと約束した「遠回りでまどろっこしい愚法」などに構っている暇は無い、唯々横恋慕を企む獣人の頭へ、胸へ、全てへ気持ち良く銃弾を叩き込むだけが肝要だった。


「……その人、貴女の仲間だったのでは?」


 先に口を開いたのはキティーナだった。ユリカの持つ拳銃に構う事無く、徐に荒山の骸へ近付くと、額をソッと撫でた。


「死んでいる……せめて喜ぶべきは、苦しむ間も無く死ねた事ね」


 キティーナは無表情だった。可哀想とも愉快とも思わぬ、ひたすらに起きた事象を観測する研究者の如くであった。


「それなりに、この人も腕が立つ気がするけど。それでもあっと言う間に殺したなんて……貴女、自分を偽っていたんでしょう。恐らく――この人と出会った頃から、……違う?」


 屈み、ユリカを見上げるキティーナの垂耳が動いた。


「私達ね、ずっとずーっと遠いところから、ここまで逃げて来たの。貴女達、狩猟者? 執行者? っていう人でしょう? 私達を殺せば、元の世界へ帰れて、沢山給料が貰えるのよね? から聞いたのよ」


 ユリカは何も答えない。心中の「沼」がボコリボコリと泡立つだけだった。


「そんな賞金首の私から……一つ、提案があるのよ。これは夫も了承済みの事、それを聞いてくれるまで、のは待って貰えるかな」


 いいえ、難しい事じゃないのよ? キティーナは立ち上がり、何処までも広がる自然を愛おしむように……柔らかな頬を緩ませた。


「私達と争う事は止めて、ずっとこのまま……こちらの世界、異世界に定住する気は無いかしら?」


 突拍子も無い、全く脳天気な提案を聞き……ユリカは発明に近い、「最も残酷な手法」を思い付いたのである。


 この女には、が相応しい――。

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