第78話なんの用意もなく
原稿なしにこれを書いているが、かなり生に近い感情を吐露している。台湾北東部ギランケンというところで脱線事故があったらしいと聞き、TVの画面でひっくり返ってのたうった後の列車を観たのだが、わからなかった。一体これ何!?……しばらくボーっとして、死者17名と聞き、ようやく声が出た。
「え? これなに」
いつもこうなのである。TVのニュースはとんでもない現実を突きつけてくる。わたくしには少々刺激が強い。隣でソファに横たわっている母にうるさく聞いて、初めて「台湾」「脱線事故」の画像が目の前にあるのだと知った。
「死者は?」
素っ頓狂に聞くわたくし。母は画面を見ろというので、右上の角のあたりを見る。17名。負傷者は100名以上だったか(?)ほっとした。失礼だがほっとした。叩き殺された大蛇のように横たわった列車の画像を見せられたばかりである。いつも身近にある電車。のんびり田舎の広いところを走っている、なんの変哲もない普通の列車。それが、それが……! わたくしは一人涙した。何年か前に、日本であった事故を思い出した。あのときは列車が正面衝突した。死者は9~10名と聞き、安心したのを思い出した。もちろん事故はあってはいけないことだけれども、あれだけ大きな物体同士が正面からぶつかり合って、ただですむはずがないではないか。どんな衝撃、どんな痛み、どんな、どんな……なんてひどい事故! なのに無事な人がいたなんて! よかった……生きてる人がいる! そう思って。
別に人が何人死のうと同じ感覚なのである。生きている人がいた! それだけで安心してしまう、それは言い表しようのない感情で。『不幸中の幸い』などというと、『不幸中の最悪』だ、などと言い返されてしまいそうだが、人情である。
わたくしは女人のホルモンの関係で、感情がいまいちうまく働いてくれないことがある。逆に、理性がうまく働いてくれないで頓珍漢なことを言ったりする。衝動的にである。いわゆる激情のあまりとちくるってしまうのだ。そこまで激烈なのに、どうして脳みそが無反応の時があるのだと我ながら疑う。あまりにひどいと、大声で笑いだしてしまうことすらある。恐怖しているのだ。しかし感情がうまく働かない。なぜ? わかっていたら、医者になどかかるものか。死者17名と聞き、涙したのはなぜなのか、実はわかっていない。反射のように涙が出る。感情は後である。こんなにもひどい事故で、たくさんの人が死んで……他に何と言ったらいいのだ!? 胸に押し寄せる悲しみをかなしいとは思えない。それほどの衝撃なのだ。それ以外言いようがないし、この状態はしばらく続くのである。おそらくあれこれ考え続けるのであろう。そして誰かが別の話をしているときにふと、思い出してしまう。人情だ。なにもわからないからである。わからない悲しみをかみしめるのだ。誰のために? 説明しようがないのだが、おそらく、ただ自分の魂を慰めるためである。
他にどうしようもないではないか。事故は起こってしまった。原因はなんだかわからない。一部分だけ切りとったように映像を見せられて、結果だけ示されてもなんにも伝わらないのだ。ニュースがわたくしの感情に訴えてこない。事務的に過ぎる。文句を言うのは勝手だと思うが、受信料は毎月引き落とされている。変に騒ぎ立てる理由もないのである。さしたる理由もなく目に飛び込んだニュースを消化し、いたずらに涙し、そして悪いことに、次の瞬間別のことを考えている。悲惨な脱線事故のあとに選挙で万歳と笑顔で抱負など語る、番組なのであるから。
そこは仕方ないよなと思いもする。
それに慣れてしまいたくないから、今つべこべいってるのかもしれない。
女神、どう思われますか?
:うん、よしよし。
傷心なのです。
:うるさいわねえ。もっとも、事件はもう起こってしまったし、わたしたちには何もできない。困ったわね。
外野で見てるだけの存在なんですよね。
:傍観者ね。
セキュリティーなどについて少しは勉強したらいいのかもしれない。
:うん、そして?
毎日決まった時刻に決まった作業をして、世の中を回している人々に敬意を持つべきかもしれない。本当のことを、知った上で。
:考えちゃだめよ。適当に、流して。
どうしてですか?
:どうしようもないから。
なぜ涙は出るのでしょうか。
:何も考えちゃだめ。
わかりました。
寝ます。おやすみなさい。
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