第2話 転入

「ぅ……あ、朝か……」

 カーテンの隙間から差し込む朝日が閉じている瞳を刺激し、二条城にじょうじれんは眠たげに目を覚ます。


「はぁあ……」

 硬く凝った身体をほぐすように背伸びをし、いつも通りにベッドから起き上がった。


 蓮には毎日のように起こしてくれる家族はいない。

 それは家族がこの世を去ったなどという暗いものではなく、単に仕事の都合で海外に行くことになったという理由だ。


 妹であるカエデは両親の方に付いて行き、兄である蓮は別の学園に転入という形で新築の一軒家に住むことになった。

 元々住んでいたマンションは賃貸契約で、契約が切れた後に住む一軒家を予め建てていたが、突如とした両親の海外出張のため、家族でその家に住むことが出来なくなったのである。


 その一軒家に残ったのが蓮で、それは本人の希望があってのことだ。


 ……残念なことはただ一つ。元の学校の周囲に空いた土地が無く、転入するという形になってしまったことである。

 だがしかし、外国に行ったとしてもそれは同じこと。元より家を建てる段階で分かっていたため、それは避けられないものであった。


 ただ、転入する形に悔いも無ければ、一人暮らしをすることに後悔もない。


 今の時代は遠く離れた家族にも友達にも、いつでも連絡が出来る時代。

 今プレイしているVRもある。そういったことからあまり寂しさは感じなかった。


 作り置きしていた朝食を食べた蓮は身支度を済ませた後に、真新しい制服に身を包んで街へ歩き出した。


 今日は土曜日。週末でも午前中まで学園はあり、自宅から徒歩15分程度で着く。

 まだ見慣れない街並みに新鮮な道のり。行き帰りの道を早めに覚えるため、蓮が周囲を見渡しながら登校していた時だった。


「お兄ちゃん! 危ないよっ!!」

「だ、大丈夫……だから……っ!」

 蓮が視界に捉えたのは、巨木の根元から上を見上げて不安げな表情をしている少女。そして、生い茂った巨木葉の隙間から見えた木登りをしている少年。見たところ小学生の低学年くらいだ。


 地面に落ちれば軽傷では済まないほどの高さにまで木に登っている少年を見過ごせるはずもなく、遊びで木登りをしているような楽しい雰囲気でもなかった。

 『事情を聞くだけでも……』と、学園に向かっていた足を止め、蓮は少女達の方へ歩みを進める蓮。


 足を一歩ずつ進め、近づくことで何故少年が木登りをしているのか理由が分かった。

 

 高い場所の木枝に引っかかった青い風船。風船には可愛らしいクマの絵が書かれ、少女の名前らしき文字が丁寧に書かれていた。

 おおよそ、大切に持っていた風船が手から離れた後に木枝に引っかかり、お兄ちゃんであるこの少年が風船を取り戻そうとしているのだろう。


「……危ないな」

「あ、あのっ! そのっ……!」

 蓮が巨木に近づいた時、根元にいた少女が慌てた様子で声を掛けてきた。

 助けを求めているのは一目瞭然。危ないと理解出来る状況に立ち会っているのだから、手段など選んではいられないだろう。


「大丈夫、少しだけ待ってて」

 優しい声色を意識して声をかけた蓮は、指定カバンを木の根元に下ろし、身軽に木を登って行く。


 その数秒後には、一生懸命に風船を妹の取ろうとしている少年のところにまで到達した。幼少期の遊びとして木登りをしていた蓮は、未だにその感覚を失ってはいなかったのだ。


「ふぁぁ……」

「お、おぉ……」

 なんの不自由もなく木に登って行く蓮に、下にいる少女は感嘆の声を漏らし、予め木に登っていた少年は宝石のように輝いた目を向けてくる。


「ここからは俺に任せてくれるかな? 風船は絶対取るから」

「う、うん……ありがとう……」

「危ないからじっとしててね?」

「わ、分かった!」


 太い枝に捕まる少年を諭す蓮は、身長に足場を確保し小枝と絡まった風船の紐を解いた。枝で風船が割れないように注意し、巨木から先に飛び降りた後にゆっくりと少年も下ろす。


「よし……と」

「わぁ……あ、ありがとう……お兄さん!」

「どういたしまして。……あ、そうだ。風船が離れないようにこうしておくね」

「う、うんっ!」

 少女の右手首に風船の紐を優しく結び付ける。こうしておけばもう木に引っかかるような事は起きないだろう。


「兄ちゃん、本当にありがと!」

 風船の紐を結び終えた直後、兄である少年も礼を言ってくる。


「怪我が無くてよかった……。が、妹のためだからといって、今みたいに無茶しちゃしちゃダメだよ。 何か困ったことがあれば、まず周りの人たちを頼るんだ。もしそれで怪我なんてしたら妹さんが絶対に悲しむから」


 柔和な笑みを浮かべて少年に視線を合わせる。蓮にも妹がいるからこそ、この少年の行動は理解出来る。しかし、それでも注意をしなければならない。怪我をしてからでは遅いのだ。

 

「うん! 次からは気を付けるよ!」

「あぁ。それじゃ俺はもう行くから」

「あ、ありがとっ、お兄さん!!」

「ありがとう!」

「どういたしまして」


 指定カバンを再び背負った蓮は、手を力一杯に振る兄妹に手を振り返し、学園に向かうのであった。


 ****


「ほぅほぅ、そこのお兄さんなかなかやりますねぇ」

「……ん?」

 その数分後、背後からいきなり声が掛けられた。


「はいこれ、落し物です」

 初対面にも関わらず親しげに話してくる女子学生。その制服は蓮が通う学園の基準服で同じ学園の生徒だということが分かる。


 艶のある長い黒髪が特徴的で、すれ違えばほとんどが振り向いてしまうような容姿。大人びた雰囲気を醸しつつも、どこか子どもっぽい印象で親しげに話しかけてくる。

 

 そんな女子学生は細い眉を上げ、『落し物』を両手で渡してきた。


「俺のハンカチ……」

「兄妹さんを助けたところの木の近くに落ちてたの。あ、別に取ろうとしたわけじゃないから安心してね?」


 冗談を交えながら無防備な笑顔を見せてくる。何故こうも初対面の相手に警戒心が無いのか不思議である。


「わざわざありがとうございます」

 この女子学生からハンカチを受け取り、ポケットにしまう蓮。

「口調、いつも通りでいいよ? そっちの方がうちも話しやすいし」

「そ、そうか……? それじゃ遠慮なく」

「いやぁ、それよりあなたは優しいですね〜。容姿は……格好いいよりの強面さんっと」


 ぐっと前のめりになって、いきなり顔をまじまじと見つめてくる。


「な、なんだ……?」

「あ、いきなりごめんっ。子どもを助けてくれたところを見てて、ついつい……」

「見てたのか……。まぁハンカチを拾ってくれてた辺りで何となくは察してたけど」


「風船の紐を女の子に結んでた辺りからだけど、大体の事情は分かったから。……あ、馴れ馴れしく思ったらいつでも言ってね。新しい生徒さんっぽかったから普段通りの方がそちらも絡みやすいかなーって思ってさ?」

「それは気を遣わせて……って、なんでそのことを知ってるんだ?」


「これでもうち、通ってる学園の生徒さんの顔は全員覚えてるから。凄いでしょ?」

「あ、ああ。それは凄いな……」

 隣に女子学生が並び、自然と一緒に登校する流れになってしまう。そこに気まずさは微塵のかけらもなく、不快感もない。


 それは女子学生が醸し出す雰囲気があってのことだろう。初対面にも関わらず不思議なものだった。


「ついでだし、何か学園のことについて知りたいことはない? 今なら無料で分かりやすいように教えちゃうよ?」


 共通の話題と言えば同じ学園に通うことぐらいだ。他にもあるかもしれないが出会ってまだ間もないため、探すに探せない。

 会話を続けるため上手く話題を作ってくれたようだ。コミュニケーション能力が高いのは目に見えて分かる。


「じゃあ一つだけ」

「なんでしょー?」

「資料見て一番衝撃的だったんだが、この学園には本当に校則がないのか?」

「うん、本当だよ」

「そ、そんなんで大丈夫なのか? 普通に考えて悪さするやつとか出て来そうだが」

「うちの学園は自由をモットーにしてるんだけど、そんな人は居ないよ? ちゃんと常識を弁えてるし、平均偏差値も63もありますし! ……って、あなたは転入生か編入生のどっちのほう?」

「転入の方だが……それがどうした?」


「え。転入ってまじか……。うちの学園、転入試験かなり難しいって聞くんだけど。それもなかなか転入出来ないくらいに」

「ああ。かなり難しかった」


 転入試験は筆記試験と面接試験の二つだった。筆記は国語、数学、英語の三教科。面接が30分と長く時間が取られており、どちらの試験も難しかった。


「……」

「……」

 そして謎に生まれた沈黙が数秒支配し、互いに顔を合わせーー

「ーーえ、感想それだけっ!?」

 親しげに話す女子学生の大きな目が見開かれる。


「それ以外に何があるんだ?」

「た、例えば面接のこの回答に困ったーとか! この学校の面接、特に転入試験の面接はテレビのニュースを隅から隅まで見てなきゃ答えられないって聞くし!」


「ちゃんと勉強したぞ。じゃなきゃこの学園に入れないし、転入試験を受けた時点で前の学園は自主退学になる。失敗したらいろいろとヤバいから」

 この学園の面接の傾向は前の学園の担任から教えてもらうことが出来た。


 目を通していれば確実に答えることが出来る。逆を言えば、目を通していなければ答えることは出来ない。

 実際に転入試験の面接はニュースを切り取られ、自分の意見を述べるというものだった。初見では絶対に答えられないそんな問題でもある。


「絶え間ない努力を感じる……っ!」

「……」

 この女子生徒と絡んでいると、どうしてもツッコミを入れたくなる。しかしツッコミを狙わせている様子もなく、キャラを作っている様子もない。あくまでこれが自然体なのだろう。


「えっと……。このタイミングで言うのもなんだけど、君の名前教えてくれないか? 呼び方で困ってたんだ」

「あ、これは失敬失敬。自己紹介がまだだったね。うちの名前は東雲しののめ可憐かれん。二年生してまーす」

「カレン……」


 昨日VR久しぶりに会った『カレン』と全く同じ名前でつい復唱してしまう。


 モカとカレン。VRで良く関わるこの二人の名前にはどうも反応を示してしまうのだ。


「あれれぇ、いきなり呼び捨てですか。顔だけに手が早いですねぇ。それで、あなたのお名前は?」

二条城にじょうじれん。蓮とでも呼んでくれ。俺も二年だ」

『顔だけに手が早い』そんな言葉のツッコミはもう諦めた。


「おけー、蓮。ってことは同じクラスになるかもだね! うちのクラスの顔面偏差値はスゴスゴ高いんだから……いひ」

「その意味深な笑みはなんだよ」


 いひ、と不敵な笑みを浮かべる可憐。その表情はどことなくVRで知り合った『カレン』と似ていた。


(アイツもこんな笑みを浮かべるんだよな……)

 そんなことを胸中で思いながらも、耳を傾けて可憐の話を聞く。


「それだけじゃなく、うちの学園には本物のアイドル様がいらっしゃいますからねぇ。すぐに惚れちゃダメだよ? なんたってうちの幼馴染なんだから!」

「ほお」

「え、なにその反応っ!? 反応薄っ! 興味ないのっ!?」


「まぁ……興味がないと言われたら興味ないかな」

 興味がないのは、バラエティー番組関係のテレビをあまり見ないからである。そのため、テレビで活躍する有名人や、テレビ番組の内容など詳しくは分からない。


「えっと……蓮ってさ、男性器付いてる? ちゃんと機能してる?」

 可憐の視線が徐々に下がっていき、やがて蓮の下半身で視線が止まる。


「あのな、アイドルに興味がないイコール男じゃないみたいな言い草はやめてくれないか」

「ま、まあ……そんなこと言って、そのアイドルちゃんに一目惚れしても知らないもんねー」

 蓮の下半身に視線を固定していたためか、時間が経つごとに頰を朱色に染め、そっぽを向く可憐。


「案外ウブなんだな。自分から向けておいて。普通にセクハラだし、俺も十分恥ずかしかったんだが」

「ひ、秘密ッ! ってか、セクハラとか言うな!」

「今の反応を見たら大体は予想出来るが……。今思えば出会って間もない相手の、あの部分に目を向けるとか……そんなに興味があるもんなのか? この学園の女子は。別に引くわけじゃないけど」

 なんて下ネタのような話が出来るのも、ノリの良い可憐だからだ。


「い、いやいや! うちは興味ないしっ! 興味があるのはうちじゃなくて、ましろんッ! うちの幼馴染の方っ!!」

「おいおい、慌てすぎだろ……」 

 そんなからかいに顔を真っ赤にして否定する姿はなんとも面白いもの。そして口で言うわけではないが、遠慮なく接してくれる可憐に蓮は感謝していた。

 転入してすぐ、いつもの口調や態度で話すことが出来るのはなんともありがたいものだ。


「って、幼馴染への擦りつけが酷いな……。幼馴染はアイドルって話だったが、そんなこと言ってあっちに影響はないのか?」

 あっち、というのは可憐の幼馴染である真白のことである。

「……」

 その瞬間、可憐は露骨に視線を逸らした。突として冷えた雰囲気が辺りいっぺんを支配する。


「まぁ、その……なんていうか、可憐なりの冗談か?」

「そ、そう! 冗談に決まってるじゃん! あはは……」

 フォロー気味に返す蓮に、可憐は乾いた笑みを見せながら額に冷や汗を滲ませている。なんとも分かりやすい反応だ。


 その後はたわいもない話を続け……蓮がこれから世話になる琳 城りんじょう学園が見えてきた。


 昨日、転入手続きを終わらせるために一度足を運んだ琳 城りんじょう学園。

 その広すぎる敷地面積に、外国の城を連想させる造りの校舎。広々とした校庭に作られた噴水は何度見ても圧巻される。


 そして正門には沢山の生徒が登校していた。校則がないため中には髪を染めた生徒もいる。表情もどこか生き生きしていた。これが自由をモットーにした学園最大のメリットなのかもしれない。


「あ、蓮はこれからどうするの? まだクラス決まってないんだよね?」

「登校したら職員室に来るように言われてるんだ」

「じゃあ職員室の場所は分かる? 良ければ案内しよっか」

「それは大丈夫。昨日もこの学園に来て場所は分かっているから。気遣いありがとな」

「いえいえ、それじゃクラスで会おうねん」

「既に決定してるかのような言い分だな……。まぁ、知り合いがいた方が心強いし、可憐と同じクラスになれれば良いなとは思ってるよ」


「っ。ほぁー、そんなことをサラッと言えちゃうあたり、やり手の転入生ともで言いましょうか」

「ん?」

 流石の言い分が理解出来なかった蓮は小さく首を傾げる。


「なるほど、それでいて自覚がないのかぁ……。さっきの発言からコレまで……。ほんのちょっとあやつに似てるや……」

「あやつに似てる?』

「ううん、なんでもなーい。それじゃうちはお先に!」

 聞こえてたのか……というように苦笑を浮かべた可憐は校舎に向けて走り出した。


「コケて怪我すんなよ」

「うち、そんなドジじゃないっ!!」

 そうして蓮は職員室に、可憐は教室に向かって別れるのであった。

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