14. 闇の中に潜むもの


 圭人と理恵が、それぞれ反対側の壁ぎわで眠りにつくと、杏子は懐中電灯を手に、鍾乳石の祭壇があった場所まで戻ってみた。

 杏子が近づくと、今までピンと張り詰めていた空気がぐわっとねじれて、大蛇がのたうつ気配がする。


 平静を装っていても、暗闇への恐怖は変わらない。けれど、杏子はここへ来てから、少しだけ考えを変えた。


「やっぱり、あなたを何とかしなくちゃいけないわね」


 恐怖を押し殺して祭壇に近づくと、杏子は白い玉に手を伸ばした。しかし、杏子の指は透明なガラスに阻まれて、白い玉に触れることは出来なかった。


「けっこう厳重なんだ」


 鍾乳石にはめ込まれたガラスはどこにも継ぎ目がなくて、白い玉に触れるにはガラスを割るしか方法は無さそうだ。

 杏子が手ごろな石を拾ったとき、岩肌を這うような気配に気づいた。わずかに顔を上げ、気配のする方へ視線を向けた途端、杏子はハッと息を飲んだ。


 懐中電灯の光に反射するように、二つの赤い光が見えた。真っ赤な目をした大きな白蛇が、じっと杏子を見つめている。


「やだぁ、こっち来ないでよ!」


 杏子はあわてて祭壇の前から逃げ出した。

 白蛇のせいで、一時撤退を余儀なくされた杏子が、中宮の下の空洞へ戻っていくと、理恵が起き上がっていた。


「杏子さん、もしかして、おトイレですか?」

「えっ?」

「言うの忘れてましたけど、あたしたち、おトイレの場所を決めてるんです。こっちです」


 理恵が連れて行ってくれたのは、洞窟をさらにすこし下ったところにある、温泉の川だった。


「圭人くんはこっちで、あたしは向こうでおトイレしてます。川の水は温かいから、手や顔も洗えます」


 どうやら理恵たちは、温泉の川の近くで用を足しているらしい。


「わかったわ。ありがとう」


 杏子は理恵にお礼を言って戻ろうとしたが、理恵はもじもじとその場を動こうとしない。


「どうしたの? あたしに、何か話したいことでもあるの?」


 理恵のそばに戻ると、杏子は理恵の肩にそっと手を置いた。


「あの、あたしって、やっぱり変ですか?」

「ん? 別に、変じゃないわよ」


 杏子は、理恵の意図がわからず首をひねる。


「あたし、ここへ来てから、圭人くんとたくさん話をしました。ふつうに友達に話すみたいに、何でも話せました。学校のことも、友達がいないことも。ずっと真っ暗だったから、しゃべってないと怖かったし、相手が見えないせいか、気楽に話せたんです。でも……」


「圭人くんの姿を見てからは、話せない?」

 杏子が聞くと、理恵はこくんとうなずいた。


「恥ずかしくて、今までみたいには話せません」


 体を丸めるようにしゃがみ込んでしまった理恵の手を引っぱって、杏子は温泉の川まで連れて行った。そして一緒に川の水に手をつける。


「ほんとだ、あったかいね」


 戸惑っている理恵の瞳を、杏子はのぞき込んだ。


「理恵ちゃんはすこしも変じゃないよ。強いて言えば、他の人より自信が足りないだけかな。こんなに可愛くて性格もいいんだから、人を怖がることないわ。話なんか、しゃべってりゃ上手くなるから大丈夫。もっと自分を信じてあげてよ。それに、圭人くんの事もね。彼は、人を傷つけるような人間じゃないわ」


「杏子さん……」


「それに、あたしで良かったら、理恵ちゃんの友達になるわよ。かなり年上だけど、親に言えない事があったら、いつでもあたしに電話してね」

 杏子はそう言って、ポケットから名刺を取り出した。


「あたしが知る限り、けっこう性格の悪いやつほど自信たっぷりに生きてるのよ。真面目に生きてるあたしや理恵ちゃんが、そんなやつらに負けてられないでしょ?」


「杏子さんも、ですか?」


「そうよ。これでも昔はけっこういじめられたのよ。世の中には、平気で人を傷つける嫌な人もいるけどさ、でも、せっかく生きてるんだから、自信もって楽しく生きなきゃ損しちゃうよ。そう思わない?」


「杏子さんと話すと、なんか元気になります」

 理恵の顔に自然な笑みが浮かんだ。


「よかった。さっ、戻ってすこし休みましょう」

 杏子と理恵は、元来た道を戻って行った。


☆     ☆


 ピンポーン


「夜分遅くにすみません。諏訪中央署の者です」


 玄関の向こうから聞こえて来た声に、宮司とその祖父は顔を見合わせた。


「いいか浩章、何を言われても、とにかく追い返すんだぞ」

「はい」


 宮司はゆっくりとうなずくと、広い玄関に下りて行き、戸を開けた。

 玄関先に立つふたりの刑事には見覚えがあった。奥宮でけが人が見つかった件で、聞き込みに来た刑事だ。


「刑事さん、何かあったんですか?」


「夜分すみません。実は、昼間ここへ来た女性が行方不明になりまして、神社の敷地内を捜索させて頂きたいのですが」


 愛想のいい若い刑事に、宮司は笑みを浮かべる。


「それは椎名さんのことですよね? 彼女なら、急用が出来たとかで夕方には帰られましたよ。東京へ戻られたのではありませんか?」


「それがですねぇ、どうも東京へ戻る前に行方が分からなくなったようなのですよ。それに加えて、こちらの敷地内に別の行方不明者がいるという匿名のタレコミ、いえ、情報提供がありまして、とりあえず、一度捜索をさせてくださいませんか?」


「うちの敷地内に、どこの誰がいると言うのですか?」


 宮司が不快な表情をすると、若い刑事はニッコリと笑顔を浮かべる。


「ですよね。まあ、その疑いを晴らすためにも、捜査にご協力をお願いします!」

「刑事さんたちも大変ですね。そんな誰だかわからない人からの疑わしい情報で、こんな夜中に山狩りだなんて」


 宮司は同情するような顔で、やれやれと軽く頭を振る。


「ですが、この山には聖域もあります。いくら警察の捜査でも、神に対する礼を欠くことはできません。明日の朝もう一度来てください。それまでには、神の許しをいただいておきますから」


 宮司はそう言って会釈をすると、刑事たちに言い返す隙を与えずに戸を閉めてしまった。


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