13. 少年と少女


 カツーン

 小石が転がるような音がした。

 暗闇の中で金縛り状態になっていた杏子は、ふと、体が動くようになったことに気がついた。


「誰か、いるんですか?」


 少年の声が聞こえて来た。きっと小石を転がしたのは彼なのだろう。


「いるわ! 誰だか知らないけど、ありがとう。おかげで金縛りが解けたわ!」


 杏子は早速ポケットからスマホを取り出すと、ライトを声のした方に向けてみた。

 ぼうっと淡い光が届いた先に、少年と少女の姿が浮かび上がった。


「スマホはさすがに圏外よね。あたしは椎名杏子。あなたたちは、いつからここにいるの?」

 杏子はゆっくりとふたりに近づいていった。


「ぼくは大森圭人おおもりけいとです。十日くらい前に、ここに閉じ込められました。この子はリエ。閉じ込められて、まだ五日くらいです」


 少年の後ろに隠れるようにして立っている少女に、杏子は一歩近づいた。スマホの明かりを近づけると、少女は怯えたように顔をそむけたが、その顔には見覚えがあった。


「あなた、三枝理恵さえぐさりえさんね? あたしは、あなたのご両親に頼まれて、あなたをさがしに来たのよ」


「えっ……ほんとう、ですか?」

 目を大きく見開いて、理恵は小さな声で聞く。


「ええ、本当よ。ちょっとした手違いで、あたしも閉じ込められちゃったけど、一緒に来た仲間が助けに来てくれるから大丈夫よ」


 杏子は安心させるようにそう言うと、理恵の頭をやさしくポンポンと叩いた。


「よくがんばったわね」

 理恵がホッとしたような表情を浮かべると、杏子は圭人の方を向く。


「圭人くんだっけ、あなたの家族もきっと心配してるわね。ネットにも、友達が行方不明だって書き込みがあったわ。たぶん圭人くんの友達じゃないかな?」


「ああ……そうかも。でもぼくは、行方不明になった姉をさがしに来たんです」


 そう答えた圭人の顔を、杏子はじっくりと見つめた。


「お姉さんって、もしかして二十歳くらいの髪の長い美人じゃない?」

「えっ、姉に会ったんですか?」

「宮司さんの家に、記憶を失くした女の子がいたの。彼女も行方不明者のひとりだと、あたしは思っているんだけど、あなたと顔立ちが似てる気がするの」


 里美は優しそうな美人だったし、圭人もよく見ると整った顔立ちをしている。


「きっと、姉だと思います。無事を確認できただけでもよかったです」


 圭人はそう言ったけれど、唇をかみしめ、両手をぎゅっと握りしめている姿は、どこか痛々しく見える。

 杏子は、そんな圭人の肩をバシッと叩いた。


「圭人くん、あんた若いけど、いっぱしの男じゃない! えらいわ。よく理恵ちゃんを守ってくれたわね」


「いっいえ、そんな」

 思いがけない賛辞に、圭人は恥ずかしそうに首を振る。


「ぼくも佐々木さんに助けてもらったから、同じことをしただけです。あの、ここに佐々木さんという大学生がいたんですけど、空気の流れをたどって出口を探しに行ったきり、戻って来ないんです」


「佐々木くんなら脱出したわ。かなりケガをしていて、今は病院にいるけど大丈夫よ」


 心配そうな圭人を安心させるため、杏子はあまり詳しい話はしないことにした。


「そうですか、よかった。あの、ここは寒いですから、向うへ行きましょう」


 圭人は先に立って歩き出した。暗闇に慣れているのだろう。杏子のスマホの明かりが届かない方へ、どんどん進んでゆく。


「あ、ほんとだ。なんか暖かくなってきた」


「もっと先に行くと、温泉が流れてる川みたいのがあるんですけど、普段は食料が届く場所の近くを離れないようにしています」


「食料が届く場所って、中宮の社の中にあった井戸みたいな所のこと?」

「そうです。中宮の真下で、あっもう着きます」


 圭人が手を伸ばした先には、明らかに人の手が入った四角い岩壁があった。天井の岩には小さな穴があり、そこから垂れ下がったロープの先にカゴがついている。


「なるほどねぇ」


 杏子が感心しながら見ていると、圭人が近づいて来た。


「あの、ぼくたち、今日の食料を……その、もう食べちゃったんですけど、椎名さん、お腹空いてますか?」


「えっ? ああ、大丈夫よ。一日くらいなら食べなくても問題ないし、リュックに何か入ってるかも知れないわ」


 杏子はニッコリと笑ってから、背負っていたリュックを下ろした。このナイロンの黒いリュックは、出かける時に梶原がよこした物だ。

『邪魔だろうけど、持って行ってくれよな』

 そう言ってわざわざ杏子に持たせたのだから、何か役立つものでも入っているのだろう。


「何が入ってるのかしら?」


 杏子は地面に座り込むと、リュックの中の物をひとつひとつ取り出した。

 軍手、小さめの懐中電灯、ロウソク、ライター、万能ナイフ、極細のロープ、スナック菓子、チョコレート、緑茶のペットボトル。


 並べていくうちに、これを用意した梶原の顔が思い浮かび、杏子の心には怒りが湧いてきた。


(あんの野郎っ! 守るとか言っといて、最初からあたしをオトリにするつもりだったわね!)


 静かに怒りをたぎらせながら、杏子はスマホをしまい、懐中電灯をつけた。


「わぁ、明るい」


 理恵が嬉しそうに近づいて来る。

 スマホの明かりよりも数倍明るい懐中電灯の光にほっとしたのか、表情もどことなく柔らかくなっている。


「ねぇ、お菓子食べる? 助けが来るとしても今夜は無理だろうから、ゆっくり体力を蓄えておきましょうよ」


 杏子が豪快にスナック菓子の袋を破くと、圭人もやって来た。懐中電灯を囲むように座り、三人はスナック菓子を食べはじめた。


「おいしい!」

「うん」

「食料はいつも、おにぎりかパンで、ぼくたち、お菓子を食べるのは久しぶりなんです」

「そっか、よかったわ。全部食べちゃっていいのよ。そうだ、理恵ちゃんはさ、どうして梛神社に来たの?」


 杏子が聞くと、理恵はお菓子を食べる手を止めて、しばらく沈黙した。


「あたしは、願いが叶う木があるって聞いて、それで。あたし、みんなみたいに、うまく話せなくて、友達ができなかったから……」


 口下手な理恵の一生懸命な言葉に、杏子はうなずいた。


「そっか。それで、ここに閉じ込められた時の事は覚えてる? 神社の人に会った?」

「あの、おじいさんに会いました。お茶をご馳走になったんですけど……」


 理恵の声はだんだん小さくなってゆき、困ったように圭人の方を見る。


「たぶん、お茶に何か入っていたんだと思います。ぼくも、姉の写真を持って宮司の家を訪ねたとき、おじいさんに会ってお茶を飲みました。気がついた時には、この洞窟にいました」


「そうなんだ。あたしは会ってないけど、そのおじいさんが宮司の祖父なのね」

「はい」


 途切れがちの会話が続く間、圭人と理恵の間に、遠慮がちな視線が行きかっていることに、杏子は気がついた。

 暗闇の中で出会ったふたりが、薄明かりの中ではじめて互いの姿を目にしたのだから、気になるのも無理はない。


「いいわね、若いって」


 突然意味不明な言葉を発した杏子に、圭人と理恵は不思議そうな顔をする。


「とにかく、無事に太陽の光を浴びるまで、がんばりましょうね!」

 杏子はニッコリと笑った。

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