4. 高額報酬と提案


 数日後、夜景のきれいな高級レストランに招かれた杏子は、滅多に食べられないフルコース料理を堪能していた。

 すこし離れた席には、天王寺の部下と一緒に、文句を言いながら食事をする大介がいる。


「ネコちゃんも弟さんも無事で、本当によかったですね」

「ええ。すべて椎名さんのおかげです」


 天王寺は、本日何度目かの礼を言う。


「お体の方は、もう大丈夫なんですか? わたしが戻ってきた時、椎名さんはかなり体調が悪そうでしたね。警察への対応もあって、話をすることも出来なかったので、ずいぶん心配したのですよ」


 天王寺の言葉に、杏子はあの日の事を思い出した。


 あまりよく覚えていないのだけれど、大介たちが山から下りてきたのを見届けると、急に力が抜けたようになってしまったのだ。


「体力の限界だったみたいね。でも、翌日にはすっかり元通りになりました」

 杏子はとりあえず、ニッコリ笑っておいた。

「弟さんのケガはいかがですか?」


 瞬を殺そうとした二人の男は、山で逮捕された。その後の捜査で、ある企業が汚職を隠蔽するために、被害者の口を封じた可能性が浮かび上がっているのだと、杏子は聞いていた。


「瞬のケガは、大したことはありませんでした。そう言えば瞬が、山の中でわたしのネコが、犯人の一人に飛びかかったおかげで逃げられたのだと言っていました」


「そうだったんですか。すごいですね。弟さんは、どうしてネコを連れ出したか話しましたか?」


「いえ、その話はしませんでした。事件のせいで、結局うやむやのままです。でも、ネコは無事でしたし、もういいんです」


「えっ、そうなの?」


 杏子はちょっと不満げに、天王寺の顔を見つめる。


「あたしは、ネコを連れ出したのは、弟さんのSOSだと思うけど」

「瞬が……わたしに助けを求めていたと言うのですか?」


 天王寺は首を傾げる。


「ええそう。あたしに見えるのはただの映像だけだから、これはあたしの勝手な推測ですけど、弟さんは自分の身辺に不安を覚えていたんじゃないかしら? そんな時に頼れるのは、兄である天王寺さんだけだった。でも、今まで拒絶してきたあなたには、とても相談できなかった。だから、ネコを連れ出したんじゃないかしら」


「わたしと瞬は、ほとんど会ったことがないんですよ。それはあり得ません」


 静かに微笑む天王寺を見て、杏子は、ずっと心に抱いていた疑問を口にした。


「そうかしら? 天王寺さんだって、ネコをさがして欲しいって言いながら、本当は、弟さんをさがしたかったんじゃないですか?」


 杏子は山の中で一瞬見た、弟を抱きしめる天王寺の姿が忘れられない。ほんの一、二度しか会ったことのない兄弟でも、ふたりの間には、しっかりとした絆があるような気がしたから。


 しかし、天王寺は可笑しそうに目を細める。


「わたしが、そんなに優しい男だと思いますか?」


 明らかに否定的な問いかけに、杏子は笑みを浮かべただけで答えなかった。


「これはお礼です」


 天王寺は、依頼した時と同じくらい分厚い封筒を、杏子の前に差し出した。


「椎名さんには、わたしの依頼した以上の仕事をして頂きましたからね。体調が悪いのに、ずいぶん無理もさせてしまったし、受け取って頂かないと困ります」


「では、遠慮なく」


 杏子はウキウキと、分厚い封筒をバッグの中にしまった。

 食事は美味しかったし、お礼も貰ったし、そろそろ帰ろうかと大介の方へ視線を送ると、大介の方は、まだ食事が終わっていないようだった。


「彼は、あなたのボディーガードとしては、少々役立たずではありませんか?」


 杏子が視線を戻すと、天王寺も大介の方を見ていた。


「大介くんは、ボディーガードじゃないわ。訳あって、うちに居候してるだけ」

「それなら、なお悪い。早く追い出した方がいいですよ」

「そうなんだけど、ねぇ」


 杏子はもう一度、大介の方へ目を向ける。なんだかんだと言いながら、彼が居候をはじめて半年以上たつ。出て行くように何度も言っているけれど、いつの間にか、彼がいることに慣れてしまっている自分がいる。


(あたし、甘えてるのかな?)


 ふと、自分への疑問が浮かんでくる。


「何なら、わたしから言いましょうか?」


 思いがけない天王寺の言葉に、杏子はあわてて首を振る。


「大丈夫です。自分で言いますから。今日はごちそうさまでした」


 杏子は、ニッコリと営業用スマイルを浮かべて立ち上がった。


「大介くん、帰るわよ!」

「あっ、はい」


 大介は、あたふたと帰り支度をはじめる。


「送っていきますよ」

「いいえ、地下鉄で帰ります。大介くんに話もあるし」

「そうですか」


 天王寺は何か言いたそうだったが、結局なにも言わなかった。


「そうだ天王寺さん、うちの噂を、誰から聞いたんですか?」


 杏子はずっと聞こうと思っていたことを、ようやく思い出した。


「ああ、警視庁にいる知り合いの刑事から聞きました。安田という刑事です。彼も、あなたに世話になったと言っていましたが、覚えていますか?」


「えっ、あの刑事さん? そうなんだぁ」


 夏の爆弾事件のことを思い出して、杏子は笑った。


 あの安田が杏子のことを、天王寺にどんな風に話したのだろうかと考えると、なんだか笑いがこみ上げてくる。


「それじゃ、帰りましょう」


 仕事が無事に終わった爽快感に加え、今日は懐もあたたかい。それに杏子は、大介のためにもなる、とても良い案を思いついていた。

 きっと彼は、この提案を受け入れるだろう。

 地下鉄のホームで電車を待ちながら、杏子はそう信じて疑わなかった。


「ねぇ、大介くん」

「はい、何ですか?」

「天王寺さんから礼金たくさん貰ったから、アパート借りる初期費用の分、出世払いで貸してあげるけど、どうかしら?」


 大介の顔を見上げると、彼は驚いたように杏子をじっと見つめている。その顔はみるみる険しくなり、怒ったような顔になってゆく。


「せっかくですけど、お断りします。ぼくは、自分で働いたお金でちゃんとやりますから」

「どうして?」


 杏子が聞いても、大介は頑なな表情を崩さず、彼女の問いかけを無視し続けた。

 それは今までにない、気まずい沈黙だった。


                おわり

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