第8話 中途半端な私
「私ってさ、何事も中途半端なんだよね。だからこうやって何も出来ないまま、中途半端に毎日を生きちゃう」
三年前。
中学二年生となった光夏に、僕はこんなことを言われた。
この時も確か雨が降っていて、練習のなくなった僕らは放課後の時間を持て余していたのだろう。
やることがなければ堕落するのか。当時の僕らにそんな考えはなく、ただ何か時間を有効活用をしたいとだけ思って話していたのだと思う。
「そんなことはない。光夏には光夏なりの何かがあるよ」
そして、有効活用をするからには本音を語っていたことを覚えている。
「じゃあ、言ってみて?」
「まず元気があるだろ? 何にも物怖じしない強気な性格がある。それに、足だって速いじゃないか。女子であれだけ走れる奴なんか中々いないと思うけど」
「でもそれって、全部自己満足で済んじゃうことじゃない?」
着丈に合わないセーラー服を着て、光夏は不満げだった。
「私が元気だから、物怖じしないからって何? それで周りの人の誰が喜ぶのよ。いくら足が速くても、そんなの体育祭でちょっと活躍できるくらいじゃない。私は別に、活躍して讃えられたい訳じゃないの。もっと他に、誰かの役に立つことがしたい」
光夏は、光夏なりに悩んでいたのだと思う。
でも、それは光夏が悩むようなことじゃないだろう。
「じゃあ、僕には何がある?」
そう思って、聞いてみた。
「そうね。祈吏も大概だとは思うけれど」
「……」
「でも、祈吏は自分の目標に向かって最大限の努力をしているじゃない。最初の自己紹介の時なんかびっくりしたよ。俺の将来の夢は高校野球でエースナンバーを背負って甲子園に行くことです。なんて、とても人前で言えたことじゃない」
「だけど、それだって誰の役にも立たないじゃないか」
光夏は首を横に振り、僕の言葉を否定した。
「それは価値観の話でしょう。祈吏は誰かの役に立ちたいとかじゃなくて、自分の夢を叶えたいと思って生きている。それで、実際にそれを実践出来てるじゃない。でも、私はそうじゃない。誰かの役に立ちたいと思っているのに、それに見合ったものが何もないんだよ」
「別に、僕だって実践できているとは思ってない」
「ううん。私からしてみれば…いや、周りからしてみれば、祈吏は時間を惜しむかのように毎日を夢に費やしてるよ」
本当に、そうだったのだろうか。僕はそうとは思わなかった。
「ただ単純に、僕が馬鹿なだけかもしれないぞ。やりたいことを最初から見定めて、他の道を絶っているとも言える」
少し考えてから、光夏は頷いた。
「そうね。それは確かにあるかもしれないね。けど…羨ましいんだよ。私は、私のやりたいことが曖昧な上に、どうすればそれを達成できるのかが分からない。だから、そう、中途半端。祈吏みたいな時間の使い方、出来ないんだよ」
誰かの役に立ちたいと言うのは悪魔で抽象的な目標で、具体的な何かを見つけてはいない。
光夏はそう言った。
でも、それは違うだろう。
「中途半端なら中途半端でいいじゃないか」
「えっ?」
堂々と、言ってやる。
「結局嘆いた所で現状が変わる訳じゃあるまい。僕だってそうだ。一応うちの野球部ではエースナンバーを背負ってはいるけど、それは所詮井の中の蛙だよ。県外に出ればもっと凄い奴はいるし、同じ市内にだって敵わない選手はいる。高校野球の世界に出れば、もっと上の奴らがいるだろう。そんな奴らからしてみれば、僕だって中途半端だ」
「そんなことは…」
事実だった。事実だったのだけれど、
「でも、僕はそれでいい」
当時の僕は満足していた。
「例え中途半端な奴だろうと、自分の志だけを失わなければそれで良いと思ってる。自分が中途半端かどうかなんて、結局他人の評価だろ? だから僕は甲子園へ行く。自分の投球でチームを導いて」
「ほんと、よく言えるよね」
「理想を口に出してると本物になれるんだよ」
「ふーん…そんなものなのかな」
中学生特有の根拠のない自信だけはあった。それでも自信があったから、虚勢を張ることも出来た。
この僕の自信が光夏にどんな影響を与えたのかまでは分からないが、僕の言葉を聞いて、光夏は不意に問いかけてきた。
「じゃあ、私にも出来るのかな?」
「出来るって、何が」
「私のやりたいこと、だよ」
この時の光夏はどこか壁に突き当たっていて、誰かに指標を求めていたのかもしれない。
それが偶然出くわした僕という存在で、その中に何かを見出すことが出来たのかもしれなかった。
普段は見せない神妙な表情で、光夏が最後にこう言ったのを覚えている。
「今、祈吏の話を聞いて思ったんだ。やりたいことって言うと大げさかもしれないけど、祈吏の言う、自分の志ってやつをね」
「誰かの役に立ちたいなんて、きっと偽善だよ。私が本当に望んでいることは…」
結局、そのあと光夏は陸上を始め、中学陸上界に彗星の如く名を轟かせた訳だけれど。
当時の僕はなんとなく、やりたいことが見つかったんじゃないかくらいにしか思っていなかった。けれど、今から思えば、それは決して陸上をやりたいが為に始めた訳ではなかったんだ。
単なる、自己表現の裏返し。光夏は、自分の志を見つけ自分に出来ることをしたまでだった。
「………」
運動部員の密集した、活気に溢れるグラウンドを歩く。
運動部の活動時間に自分が足を踏み入れているだけで、さも自分が同じ部活に所属している人間であるかのような感覚が襲ってきて、もどかしい。
今は小晴はいなかった。小晴は小晴のやるべきことを果たす為に行動しているはずだ。
僕も、僕に出来ることをしなければならない。
三年前の僕と光夏じゃ立場が全く真逆のようなもんだが、それでも僕に出来ることがあるのならば、やらなければならないだろう。
そしてそれが、小晴の言っていた『夢へのお手伝い』となるのならば尚更のことだ。
どうして今まで気が付かなかったのかと言われれば、答えは簡単だろう。単純に僕が目を逸らしていたからだ。
小晴が現れなければ僕は、今まで通りの現実逃避をやめることはないまま、今、光夏の置かれている現状を、それこそ他人事としてしか認識していなかったに違いない。
「あら、どうしたのこんな所で」
その声に止められて、僕はその場に立ち止まった。
まさか、陸上部の部室前に僕がいるとは思いもしない。
茶髪のベリーショートをした、緑色のジャージ姿。
練習を終えた光夏を前に、制服姿の僕が言ってやる。
言うべき言葉は一言で良かった。応援なんか、するんじゃなかった。
「なあ、光夏」
冷徹な声で、言った。
「今の光夏じゃ、僕は笑えない」
その瞬間、光夏が泣いた。
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