九郎判官浄瑠璃綺譚

古井京魚堂

浄瑠璃姫の物語

 見目麗しい姫君だった。

 瑠璃色の髪と瑠璃色の瞳を持つ輝ける美少女。

 十二神将を従える、薬師瑠璃光如来の申し子。

 浄瑠璃姫と人は呼ぶ。

 僕は彼女を知っている。見飽きるほどに見た顔だった。それでも僕は見惚れてしまった。周囲のざわめきもまるで耳に入らない。

 けれど問題はない。

 何回も何十回も繰り返し見た光景だ。試したことはないが、その気になれば諳んじることもできただろう。

 姫が微笑みを向けてくれる。

 いつものすまし顔とは違う、心の内の歓喜があふれ出た表情だ。だがそれは僕に向けられたものではない。この肉体の本来の持ち主に向けられたものだ。じきに彼女は気づくだろう。そして彼女は顔を曇らせ、僕に向かってこう尋ねるのだ。


「あなたは誰です?」


 僕はゲームの主人公/プレイヤーだ。名前は……語るほどのこともないだろう。これからその名で呼ばれることはなくなるのだから。

 それに彼女が聞いているのはそういうことではない。


「義経様ではありませんね」


 詰問の声は途切れない。それも当然だろう。姫からすると、ようやく目覚めた恋人の中身がまるきり別人になっているのだから。

 実は僕は彼女を更に混乱させる情報を握っている。それを開示するべきかどうか、僕はたっぷり数分は迷った。

 それを知った彼女が悲しむことを憂いて……ではない。元よりシナリオ通りに進めば数日後には明らかになる話だ。遅いか早いかの違いでしかない。

 本来、今この時点では知りえないはずのそれを、僕がこの段階で伝えることで、シナリオが破綻するのではないかと恐れたのだ。


「なんとか言ったらどうなのです」

「うん。そうだね。どうせ僕という存在がここにいる時点でおかしなことになっているんだ」


 いまさらだ。知らぬ振りをして話をあわせられるほど器用な人間でもない。


「それに序章のクライマックスがある。そこで主人公は一度死ぬ」


 よくある覚醒イベント、起死回生の逆転劇だが、この主人公は本当に死ぬ。完膚なきまでに死亡する。物語の開始時点で既に死んでいた人間を除けば、作中で死が明言されるのはここだけだ、


「そして復活する。蘇生させられるんだ。浄瑠璃姫、君の手によって」

「何を言って……いえ、何を知っているのです」

「警戒しないでと言っても無理だよね。僕が知っているのは、君が死んだ恋人の義経を生き返らせるために薬師如来の霊薬を用いて反魂の術を執り行った事と、喚び出された霊魂が義経とは別人の物つまり僕だった事、それからこれから先に起こりうるいくつかの未来くらいだよ」


 しかしこの姫君、当時から散々言われていたことだが、完全にヴィクトル・フランケンシュタインかハーバート・ウェストの同類である。


「未来? それではあなたは自分が過去・現在・未来の三世を見通す天眼通の力を備えているとでも言うのですか?」

「天眼通とは少し違うかな。僕はここに来る直前まで、一つ上の世界に暮らしていたんだけど、そこでは絵巻を読むように、この世界の過去と未来とを一望できたんだ。そして僕はたまたまこの場面の前後を見知っていた」


 と言うことにしておいた。

 この世界が和風ソーシャルゲームの世界で、満足の行くガチャ結果を得られるまで、リセットと再スタートを繰り返したから、と言われても意味不明だろうから。

 ここまで言えば明白だろうが、このシーンを繰り返し見たのはリセマラの途上での話である。このすぐ後にSR確定の単発ガチャが行えるのだが、キャラ以外が出た場合は即リセットである。そこを越えても序章クリア報酬での十連ガチャが待ち構えているのは言うまでもない。

 ちなみにイベントのスキップ機能が実装されたのはサービス開始から一周年を過ぎ、二年目の途中のことだった。


「一つ上の世界。なるほど元は六欲天の住人であると」


 得心がいったと浄瑠璃姫が微笑した。

 これはこれで信じがたい話に思えるのだが、この世界には天女や天狗が実在し、なにより彼女自身が東方浄瑠璃世界の申し子である。

 完全にではないが、僕の正体が怪しい雑霊や怨霊の類ではなく、天人であるとわかったことで、警戒の念が薄まったのだ。素直な所はゲーム時代と変わらない。

 もちろん僕は天人ではない。僕が住んでいたのは二次元に対する三次元である。なんと僕は高次元生命体だったのだ。

 でも、ここは姫も納得していることだし、そういうことにしておくのが無難だろう。実際、そういう方向へ誘導したわけだし。


「浄瑠璃姫。すぐに十二神将を召喚するんだ。僕は君に助言しよう。だから君も僕を助けてほしい。今夜、この屋敷は襲撃される。本当なら、僕はそこで死ぬことになっている。そのあと君が復活させてくれることまで含めてね。でも、僕としては仮に生き返るのが分かっていても、できるだけ死にたくはないんだ。避けられるなら避けておきたい」

「当然のことかと。良いでしょう。もとよりそのお身体は義経様の物。それをお守りいたすのは、私も望むところです」

「義経、牛若丸かあ」


 この肉体の本来の持ち主。源九郎判官義経。毀誉褒貶著しい源氏最強の武将。ルール無用のチート野郎。浄瑠璃姫の想い人にして、第一部のラスボス。特にひっぱるような話でもないのでさっさと公開するが、そうなんである。


「あまり義経様の顔でおかしな表情を作らないで欲しいのだけど」


 おっと。どうやら相当に変な顔になっていたようだ。姫が抗議してくる。イケメンでも変顔は変顔らしい。

 うーん。これ言っとくべきなのかなあ。

 いや、ラスボス云々ではない。それだけなら姫は黄色い悲鳴をあげておしまいだろう。

 これ言っちゃうと、どうにか築いた薄い信頼が一気に吹き飛びそうな、ある意味でもっと酷い話があるのだ。

 でもなあ、これを知った浄瑠璃姫は混乱のあまりとんでもない大ポカをやらかすんだよね。ギャグ調のミニイベントのくせに、第二部で発生するややこしいお使いクエストの遠因にもなってるから、潰せるものなら潰しておきたいし。


「姫。その義経……牛若丸だけどさ。美少女にTS転生してるよ」

「はい?」


 空気が凍った気がした。


「てぃーえす……とは?」


 そこで止まってたか。それはそうか。ここでTSはトランスセクシャル(transsexual)の略と言っても分かんないよね。


「簡単に言えば女性が男性になったり、男性が女性になる事なんだけど」

「なるほど法華経で説かれる善女竜王の変成男子のお話ですね」

「え? あー、うん、そうなる……のかな?」


 ごめんなさい。その話は知ってるし、ゲーム内でもモチーフとするキャラが実装されてたんだけど、仲間内で「ふたなり竜幼女」とか盛り上がってました。いや、だって、『善女竜王』は課金ガチャから排出されるSSRキャラの一人だけど、性別不詳の扱いなんだよね。見た目は完全にロリなんだが。


「でも義経様はすでに殿方でいらっしゃるのに、どういうことかしら?」


 恋する乙女の中には想い人が女性に変わるという発想が欠けていた。当たり前である。ここはアプローチを変えよう。


「静御前という名前に聞き覚えは?」

「静ですか? わたくしは面識はありませんが、京の都での義経様の愛妾の一人がそのような名ではありませんでしたか。たしか白拍子だったかと」

「その静御前が義経」


 冷めきった視線を向けられる。無理もないけど完全に馬鹿を見る目だ。


「自分でも言っててアホらしいと思うんだけど、本当なんだって」


 実際、これが明らかになった時は、インターネットの方々で運営の正気を疑う声がささやかれた。


「あえて性転換させる必要のないネームド女性の静御前を、わざわざ牛若丸の女装時の源氏名だったと設定するなんて、金の卵を産むガチョウに金の玉を移植する……ごめん、下ネタ……うん、分かんないならいいんだ」


 メタ的には『十二段草子(浄瑠璃姫物語)』に取材した都合上、浄瑠璃姫よりもネームバリューのある静御前の存在は都合が悪かったのと、弁慶との対決時の女装の逸話を取り込んだ結果が、作中での静御前の扱いなのだろう。

 更に言うなら、この身体の本来の持ち主である義経が反魂に応じなかったのも、それに関係した実にしょーもない理由からである。

 第二部開幕と同時に満を持して実装された『十二神将 牛若丸』のキャラクタークエストで明らかになった内容だが、どうせ生き返るなら少女の体か女装の似合う年頃の稚児の体じゃないと嫌だと駄々をこねた結果、空いた体に適当な霊魂が入り込んだのがゲーム本編の主人公つまり僕である。

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