第9話 おしまい。

 カクヨムのトップページにバナーが出てる……あわわ……。


 とりあえず書籍化についての作業は前回でおしまいである。だからなんかいい感じのこと言って感動的に締めたりしようかな……と思ったんだけど特に感動的なことが思いつかない……。


 なんか昔覚せい剤か何かやってる人がお風呂に入ってるときに不意に「こんなことしてる場合じゃない! 世界を救わなきゃ!」って気持ちになったみたいなエピソード(うろ覚えすぎない?)読んだことがあるんだけどそのとき「うわめっちゃわかる」となった。いや私は覚せい剤はやってない。やってないけど風呂入ってる暇があったら世界救わなきゃ! みたいになる気持ちはわかる。世界救えないことはわかっているけど世界に自分の影響がほとんど及ばないということをうまく受け入れられないんである。普段は日常に追われてなんとなく忘れてるけど一回思い出したらもうだめである。世界に対する私の影響力のなさに戸惑う。いい年してまだ戸惑っている。世界との距離感が狂ってるのだ。だから自分のこと天才とか言ってしまう。ヘーゲルのいうところの世界史的個人じゃない自分を受け入れられない。私はナポレオンになりたかった。いやそれはさすがに嘘だけどナポレオンとか大変そうだし。

 ユゴーの「レ・ミゼラブル」を読んだ時、私はユゴーのことを神だと思った。「レ・ミゼラブル」の中にはパリがあった。それはユゴーが作ったパリ、もう一人の神が作ったパリだ。その現実と少し違うパリで、現実と少し違う人々は、でも確かに生きている。それぞれの事情と信念を持つ個人の人生がひしめき合う、ユゴーが文字によって作り出したパリ。私はそれを見た。見たのだ。確かにそこにパリがあったのを。

 ユゴーも多分覚せい剤はやってないと思う(ないよね?)。でも正しい自分と世界との距離をわかっている人間に、あんなものが書けるのか? 自分にあれだけの人間を抱える都市を、パリを作り出せると信じるのはまともな人間のすることか? 私はまともな人生よりも、気が狂ったまま文字によって神になりたい。私のパリを誰かに見せたい。私の狂気に誰かを巻き込みたい。

 いや嘘。嘘です。嘘かな? わかんない……。自分にとって小説を書くっていうことにあまりにもたくさんの側面があり過ぎてどんなふうに語ってもちょっと嘘になってしまう。だからそのことを文章に書くのは苦手だ。

 色んな側面のある「小説を書く」ってことだけど、今回書籍化することで「小説を商品にする」という側面を知ることができて、とてもよかったと思う。私は小説にまつわるいろんなことを経験したいと思っていて、これについては混じりけなしに本当だ。「こぐまが可愛い」ぐらい本当。今回書籍化するために趣味で書くならやらなくてもいい、自分からはとてもやりたくないことをたくさんやった。批判的に自作を読み返したりプロットを作ったり改稿したり校正したり章タイトルをつけたり。思いがけず楽しかったこともあったし難しかったこともあった。でもどれもやってみてよかったと思う。自分の好きなことばかりしていると、だんだん「好き」が自分に合わせて小さくなってしまう気がする。だから小説を書くことを自分の外側と触れさせることができて、今まで少し小さくなっていた「好き」がまた大きくなった気がする。意味わかんないよね? 私もわかんない。雰囲気で読んで。


 とりあえずこれから先どうなるかわからないけど書き続けていきたいし、そのためにいい経験だったと思う。あと書籍化するって発表したときにみんなが喜んでくれてすごく嬉しかった。普段あんまり交流のない人もお祝いしてくれたりして、え、なんか、私本当に卑屈になってたな……って思った(世界との距離感狂ってるから卑屈にもなりがちなのだ)。反省しました。みんなありがとう……。


 そういうことで、まあ、なんだ。本を買ってください。というか「一万冊買って読まずに燃やしてくれ」という気持ちと「立ち読みでいいから読んで」という気持ち、どちらも嘘じゃないので間を取って(?)一冊買って読んでくれ。よろしくねー。

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