仕事終わりの一人飯
ひらしゃいん
第1話
「お先に失礼します」
時刻は午後10時。心なしか声に力が入っていない挨拶をして、会社を出る。
「最終バスには乗れないか」
会社の最寄り駅へ向かいながら、携帯で地元駅のバス時刻を確認。
電車が地元駅に着く数分前に、バスは出発してしまうことがよくわかった。
「もうちょっとなんとかならんかなぁ」
携帯に愚痴りつつ、諦めのため息をはく。辺りには誰もいない。ついつい大きめの声が出てしまう。
「タクシーで帰るしかないなぁ」
今月はタクシー帰りが多い。忙しく仕方がない事とはいえ、タクシー代が着実に財布の中身を喰らって行く。疲れも積み重なっており、ため息は大きくなるばかりだった。
タクシーで帰るのだから、地元駅につけば時間に余裕が出来るだろう。
敢えて普通電車にのり、座席に座りながらのんびりと帰路に着く。
少し心に余裕が生まれる。すると様々な欲求も膨れ上がってくる。そのせいか、座席に座ってほどなくして、腹の虫が騒ぎ始めていた。
今日は何を食べよう。おもむろに思案する。腹がへって仕方がない。だが地元駅に着く頃には、12時前にはなっている。自炊した場合、確実に明日の仕事に影響が出てしまうだろう。
そこで外食を選択する。こんな日をいつも救ってくれる、ありがたい飲食店に向かおう。
急激に襲ってきた睡魔に身を委ねつつ、そう心に決めた。
地元駅に着き、目的の店に向かう。辺りは静寂に包まれているなか、その店だけは明るく辺りを照らしている。
店先の看板には、深夜一時まで営業の文字。安心して中に入ることが出来る。
「いらっしゃいませー!!」
押しボタン式の自動ドアをあけ、中に入ると、夜更けを忘れさせるような店員の声が耳にはいる。
「食券を購入したらお席へお願いします!」
丁寧な説明。言われずとも財布を出し、そそくさと食券を購入し席についた。
「ご来店ありがとうございます。料理を作りますので、少しおまちください」
お茶を出してくれた店員に食券を渡し、そう説明をうけ、待つ。仕事での待ちは好きではないが、飯や遊園地等のアトラクションのような待ちは嫌いではない。待った結果が楽しいか、そうでないかの差だとは思っているが。
そんなことを思いつつ、明日はどのように仕事を片付けるか考えていると、お盆を持った店員が私の座る机へと向かってきた。
「お待たせいたしました!ごゆっくりどうぞ!」
お盆ごと机に置き、店員は立ち去る。考え事など吹き飛び、眼前に広がる食物と香りに魅力された。
箸を手に取り、両手を合わせる。
「いただきます」
今日も始まる、ささやかな幸せ。
―本日のメニューは『塩鯖定食』(外食)―
小皿に入った豆腐に手を伸ばす。皿ごと冷やしていたのだろう。手にひんやりとした感触が伝わり、豆腐も十分冷やされていると確信が持てる。
豆腐に箸を入れ、なにも付けずに一口。
冷えた豆腐が沸き立つ口内をなだめ、まろやかに広がる。ほのかに残る大豆の甘味を感じ、食欲がさらに促進される。
次にメイン、塩鯖に箸を伸ばし、一口。
極めてさっぱりしていた口内が一転、魚の油と塩気に包まれ、非常に濃厚な旨味をもたらす。
「旨い…」
思わず言葉が漏れ、白ご飯をかきこむ。
熱々のご飯に蒸せそうになったが、味噌汁を飲み、強引に喉に通す。鼻に抜ける味噌の香りが、箸休めを一切許さない。
骨があらかじめ抜いてあるため、骨を取るために集中力が削がれることがない。
寡黙に、だが猛烈に、食べ続ける。舌に伝わる旨味を味わうことに集中する。
口が魚の油になれてきた頃、箸を止める。
鯖はあと三分の一ほど残っており、その他のおかず、味噌汁も半分ほど。
そろそろフィニッシュにかかろう。
そう思い、箸で塩鯖の身をほぐす。
なるべくふわふわになるよう、注意を払いながらほぐしていく。あらかたほぐしきったら、塩鯖の付け合わせで全く手をつけていなかった、大根おろしとまぜあわせる。
そしてご飯のおかわりをもらい、混ぜた具材をご飯の上に乗せる。
醤油を回しがければ、今日の飯〆
『簡単塩鯖さっぱり丼』の出来上がり。
作って間を置くことなく、一口。
大根おろしの爽やかな絡みと、魚の旨味。暖かいご飯が具材を温め、醤油の香りが鼻に抜ける。
文句なしの旨さだ。みるみるうちに中身はなくなり、ものの数分で茶碗はからになった。
最後に味噌汁をぐいっと飲み干し、ふう、と満足よ一息ついた。
「ありがとうございましたー!」
店員の声を背中で聞き、店を出る。
たまにはこういう日も悪くない。たまになら、と思いつつ、満足した気持ちに包まれながら、タクシー乗り場へ向かう。
家までの料金がどれくらいになるかはなんとなく覚えていたので、財布の中身を確認。
「…あ、ちょっと足りない」
運の悪いことに、先ほどの飯代分ほどお金が足りないことが分かり、少し冷や汗がにじむ
「…ここまで、乗せてください」
ドライバーに家の途中までの道のりを言い、タクシーに乗り込む。今度は最終バスが間に合う時間に食べに来ようと心に決めた。
まあ、腹ごなしにはちょうどいいか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます