勇者の帰還編

そして彼方さんが、世界を救う。

「それでその時だよ、下の弟がまだ小さいくせに剣を無理に持とうとしてよ。なんとか持ち上げたはいいものの、よろよろでな」

 ちびちびと酒盗をなめながらCGCいつもの酒を飲み、饒舌な彼方かなたの昔話を聞く。

「よたよたっと行った先が兄貴の甲羅で、もう見事に剣がぱっかーんと甲羅を割ってよ。兄貴がかんかんに怒ってな」

 彼方かなたと飲む酒は今日も美味い。

「そりゃ怒るだろ。ってか、甲羅が割れたって。それ大丈夫なのか?」

「ああ、そりゃ甲羅だからな。大丈夫だ」

 だからどうなってんだ、甲羅。

「ま、でも、甲羅割ったのに刃こぼれ一つしなかったところは、さすが伝説の聖剣だったなァ」

「……よくお前が包丁にしてるやつ、まさかその伝説の聖剣とかじゃないよな……?」

「おう、違うぞ。あの聖剣は古の邪竜コルドと闘った時に折れたからな。そんで穂先に造りかえたから、今は槍だ」

 あ、勇者の槍フォークのほう。うん、知りたくなかった。

「しかしあれだ。下の弟とは、俺が家を飛び出すとき会ったきりだからな。……もうすっかり大きくなってんだろうなぁ」

 彼方かなたがどこか遠くを見つめてつぶやいた。

「…………」

 そう。彼方かなたがやって来て、もうずいぶんになる。

 俺は、お猪口の酒を一気に飲み干した。

「なぁ、彼方かなた

 ん?と彼方かなたが顔を上げる。

「お前、そろそろ自分の世界に帰ったほうがいいよ」

 きょとんとした彼方かなたは、しかしすぐに微かに笑った。

「そりゃあ、そうしたいのはやまやまだがな、」

 微笑が苦笑に変わる。

「だが、帰る術がないんだ、どうしようもないだろ」

 世界を救わないかぎり送還術は起動しない。敵の正体もまだ分からんのに、と彼方かなたはこぼした。

「大丈夫、帰れるよ」

「……あ?」

 頬杖をついて彼方かなたを見つめる。

「……は?」

 彼方かなたが目を見張る。

「は、なに言ってんだ、お前。タチの悪い冗談はやめろよ?」

「冗談じゃないよ」

 隠して騙してこの世界に足止めしてただけ。そうするよりなかったから。

「そんな、信じられるか!」

 腰を浮かせて彼方かなたが叫ぶけど、押し問答なんて無意味だ。俺はシャツをまくって胸に埋め込まれたを見せた。彼方かなたが驚愕に目を見開く。

「ほら。俺がこの世界の敵、世界を崩壊させる爆弾、――魔王だよ」

 少し意識を向ければ石が邪気を放ち、条件反射は彼方かなたを身構えさせた。

「それは、邪晶石……!」

 苦しげな顔で目をつむり、しかし再び目を開いたとき、彼方かなたは勇者の顔をしていた。微かに震える手に勇者の剣を握る。

「なんで、よりによってお前が」

出会ったんだろ、俺とお前」

 勇者を魔王の目の前に召喚したやつが、どこの誰かは知らないけれど。あとちょっと彼方かなたが現れるのが早かったら。風呂場で裸で遭ってたからね。召喚者がすっとこどっこいで良かった。

 それでも勇者は立ち尽くしたままで、どうやらもう少し発破をかけなければならないらしい。

「時間がない。じきにこの石が世界を滅ぼす」

 もうずっと痛くて、これ以上抑えてはおけないだろうと思う。ただ、覚悟を決めるのにずいぶん時間がかかってしまった。

「……お前は、それでいいのか?」

 勇者の絞るようにして出した問い。僅かに肩をすくめ、苦笑を返す。

 もちろん、魔王としてはダメだろうけど。

「でも、それが俺の出した結論」

 勇者に覚悟を決める時間のないことは素直に申し訳ないと思う。でも。

彼方かなたは、俺を殺してこの世界を救って、自分の世界に帰るべきだ」

 二人の視線が絡み合う。お互いに目を逸らすことはなかった。

「それに、急がないと。

 彼方かなたは世界を狙われることの恐ろしさを知っている。その言葉は、勇者を慄然とさせるに足るものだった。

 苦渋の顔ながら、勇者の剣を構える。切っ先が真っ直ぐにこちらを向いた。

 これで大丈夫だろう。さすがに怖いので目をつぶる。

 そして彼方かなたがこの世界を救い、勇者は守るべき自分の世界に帰る。

 それで思い残すことも悔いもない。

 ああ、でも、ひとつだけ。

 もう今さらだし。言葉に出して伝えることは叶わないけれど。


 彼方かなた。無事自分の世界に帰れたら。お前はまず五股関係を清算しろ。




   『かっぱの彼方さん』

   魔王と勇者の物語 了

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