35.君を見つめると(一)
“慶應”に改元してから、1年余りが過ぎた。
明治のひとつ前の元号。
慶應2年。
薩摩と長州の間で、密かに同盟が締結される。
薩長同盟。
仲介人は坂本龍馬。
わたしたちはまだ、それを知らない。
“その時”がもう数年後に迫っている。
刻一刻と。
「あれ?かれんちゃんは?」
「南部先生のところだよ」
「しまった、遅かったか。頼みたいことがあったんだよなぁ」
「風呂敷抱えて走っていったぞ」
「なんか、いつも走ってますよね」
逸る気持ちが抑えられず、自然と走り出していた。
「南部先生!」
「やあ、かれんさん、待ってたよ」
「お忙しいのにいつもありがとうございます。今日もよろしくお願いします!」
「何だ、とんできたのが?そんな急がねくてもよかんべ」
「ちょっとでも多く勉強したくて、つい」
「私も本も薬も逃げねぇがら、安心しっせ」
「本当ですか?しつこく質問しても逃げないでくださいね」
「はははっ!聞いてっがらし、近藤先生や覚馬さんからな」
普段は江戸に住んでいる良順先生が、自分の代わりにと信頼できるお医者さんを紹介してくださった。
それが會津藩医の南部精一郎先生。
福島の飯坂の出身だ。
順天堂とポンペ先生の門下生で、良順先生にも師事。
つまりは良順先生のお弟子さんということ。
腕を買われて會津藩お抱えとなっただけあって、容保様やご家臣方からも信任が厚い。
京都守護職を務める容保様に従い上洛し、
良順先生の新選組健康診断の後、1ヶ月ほど屯所に診察に来てくれていたのも南部先生なのだ。
良順先生が京にいらしたときは、決まって南部先生のお宅に宿泊している。
病院業の傍ら、定期的に屯所に赴いて、隊士の診察や治療をしていただいたり、屯所で育てた豚の解体を先生のお弟子さんにお願いしたりと、常々お世話になっている。
「豚肉の調理には慣れだが?」
「はい、おまかせあれ!です」
「土方君が、何でかかれんさんの豚肉料理はとびきり美味い、と絶賛してだよ」
「やったあ!」
土方さんがおいしいと言ってくれているなんて!
それがいちばんうれしい!
そりゃあね、この時代ではわたしが日本一豚肉を食べてきている人でしょう。
と言っても過言ではない。
誰より豚肉料理のレパートリーも多い、はず。
「屯所へいらしたときに先生も一緒にいかがです?みんな大歓迎ですよ」
「そうが?ありがたい。楽しみができたな」
「次ここへお邪魔するとき、豚肉料理を作ってお持ちしましょうか?冷めてもおいしいやつです」
「そうがし、私にも教えてくれねぇが?」
「はい、お台所をお借りできれば、お肉を持ってきていつでも!そうすれば出来たてを召し上がっていただけますね」
「んだな、そうすっか!」
「腕が鳴ります」
そういえば、現代京都に来て知ったこと。
関西ではカレーにも肉じゃがにも牛肉を使うのだそうだ。
西日本がそうなのか、わたしは東北の出身だから今まで豚肉を使うことが多かった。
ビーフカレーも食べるけれど、家庭料理では断然、豚肉の登場が多い。
すき焼きも牛肉のときもあれば、豚肉のときもある。
「この間な、土方君がふらりとやって来てね。たわいもねぇ話したんだ」
土方さんのひとつ年上。
良順先生と仲良しの局長や、年の近い土方さんも、南部先生の病院をよく訪れている。
体調が優れないときは当然だけど、健康な時でも。
局長はもちろん、土方さんも南部先生に心を開いているようだ。
信頼している証だろう。
同世代だからなのか、ニコニコとよく笑い、穏やかに過ごしている。
南部先生のニコニコが伝染してるのかも。
医者だからといって全員が優しい心を持っているわけじゃない。
医学を学んだわけでも、知識のひとつもないのに医者の看板を掲げる人だっているほどだ。
南部先生は打算のない優しさがある人だ。
良順先生が世間の評判だけで局長を判断しなかったように、南部先生も人の意見や噂に流されることなく接してくれる。
先入観とか思い込みを持つことなく、自分を知ろうとしてくれる。
それを土方さんも分かっているのだ。
そんな人とは正直な言葉で話せる。
変に飾らなくてもいいし、大人の事情もない。
駆け引きも必要ないから居心地がいい。
息抜きというか、癒しのひととき、なんだろうな。
心の裏側に隠されたところまで察して、本当の土方さんを見ていてくれている気がする。
仕事抜きに本音で気兼ねなく話せる人って、土方さんにとっては貴重な存在なのかもしれない。
考えてみれば。
わたしの周りには、のびのびさせてくれる先生が多いな。
容保様だって堅物と思いきや、意外と寛容。
失礼な発言だけど、実直なイメージだったから。
それに乗じて、のびのびさせてもらっているのがありがたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます