34.夕虹は晴れ(六)
「冷静さと情熱、半分ずつだ。お孝ちゃんに冷静さはある。あとは情熱だ」
「情熱…」
「決断したら後戻りするなよ」
「土方さん、カッコいい!惚れ直しました」
「だろ?」
「よし!時には勢いも大事だよ!」
「待って…」
「局長!甘酒と麦湯、どっちがいいですかー?」
「ありがとう、甘酒を貰おうかな」
「はーい!」
チャキチャキと湯呑みに甘酒を入れて、お盆に乗せる。
「はい、局長に持ってってあげて。お願いね」
強制的にお盆を手渡した。
「こっ、近藤先生、お待たせしました。甘酒、どうぞ…」
「ありがとう」
「いえ…」
「実はね、昨晩お幸が夢枕に立ってね」
「お姉ちゃんが?ほんまですか?」
「うん」
「何か言うてました?」
「お幸に叱られたよ。“お孝のことを頼むとあれだけお願いしたのに…”と」
「え…?」
「“あれは、幸せにしてやってほしいという意味だったのに、私の心を理解してくれなかったのか”とね」
「お幸ちゃんはちゃんとわたしたちのこと、見ててくれてるんですね」
わたしたちの悲しみに寄り添い、悩みに耳を傾け、幸せを喜んでくれている。
今も。
ここにはいなくても、姿が見えなくても分かるの。
「正直言うと、お幸が忘れられない。片時も忘れたことはない。恥ずかしながら今でも愛しくてね…」
局長が本心を話し始めた。
「君の顔を見るたびに、お幸を思い出しては恋焦がれてしまう。君には申し訳ないと思いながらも、重ねて見てしまうんだ」
やっぱりそうなのかと…
局長の口から事実を聞いたら、ズキッと胸に刺さった。
「まだお幸が心にいる…。それはこの先も変わらないかもしれない」
「かましまへん。胸ん中においたってください。喜んでる思います。死んでも愛されるなんて、幸せです」
土方さんと静かに見守っていた。
と、お孝ちゃんがわたしの前に来て手を握った。
「かれんちゃん…うちに勇気を分けてくれへんやろか?」
手が震えていた。
「うち…今も真っ先にお姉ちゃんのこと考えてまうんや。好きになったらあかん、あかんって自分に言い聞かせてるんや」
「正しいのか、正しくないのかは分からないけどね」
「うん」
「わたし、諦めなくていいと思う」
時が流れたら、お幸ちゃんとの思い出も記憶も、いつか色あせてしまうのかな…
少しさみしいけれど、もしかしたらそれが生きていくということなのかもしれない。
「お孝ちゃんはこれからも生きていくの。恋をする権利、あるのよ」
忘れたりはしない。
いつでもお幸ちゃんはそばにいてくれて、話しかけることができるから。
声は返ってこないかもしれないけれど、卒業アルバムを開いたときみたいに、色鮮やかに一瞬で思い出がよみがえる。
「自分がお慕いする人に、好きだと言う権利があるの」
ぎゅうっと、両手で握り返した。
緊張を飲み込めるように。
「愛されていいの。幸せになっていいの」
「お孝ちゃん、幸せになることに遠慮するな」
「がんばって」
「好きになったら駄目だ…って思った瞬間から、もう恋は始まってるんじゃねぇか?」
一歩踏み出すのか。
想いを告げるのか。
「お姉ちゃん、堪忍え…。もう止められへん。歯止めがきかん」
局長の前に正座して、決意の表情。
「近藤先生」
「うん?」
「…うちは先生のこと、お慕い申し上げております」
「え…?ええっ?!」
「江戸に奥様がいはるのも承知の上でございます。京にいる間だけでかまへんのです。うちと一緒に生きてくれはりませんか?」
逆プロポーズ!!
「お姉ちゃんを忘れてほしいなんて言いません。いつか、うちを見てくれる日まで待ちます」
思いがけない告白に、土方さんも驚きのあまり口を開けて固まった。
「うちとお姉ちゃんとふたりで先生を幸せにしたいんです。そないなこと言うたらあきまへんか…?」
現代の女性でも勇気のいることを、幕末の女性が口にするのは失神する思いだろう。
「先生の気持ちも聞かんと、うちは何てこと言うてしもたんや…。勝手ばっかりで、えらいすんまへん…」
「
それは…答えはどっち?
「君を好きになってもいいのか?」
局長の大きな手がお孝ちゃんの手を取った。
「お幸の代わりじゃなく、君自身を見つめていくと誓う」
局長を見つめたまま、涙をぽろぽろと流すお孝ちゃんに抱きついて、一緒に泣いた。
「やった!よかった。お孝ちゃん、かっこよすぎるよ!」
「あの…ほんまに真正面から好きと言うてもええんですか?」
「お孝ちゃん、安心しろ。証人ならここにふたりいるからな」
「お孝ちゃんとお幸ちゃんを傷つけたら、局長のこと、嫌いになりますから!」
「ははっ、それは怖いな…」
想いは受け継がれる。
「雨、上がったみたいだな」
「そうですね」
「あ、虹だ」
「きれい」
さっきまでのどしゃ降りが嘘のように、雨上がりの夕空に大きな虹が現れていた。
朝虹は雨、夕虹は晴れ。
「明日は晴れですね」
雨が降った後にしか虹は出ない。
切れかかっていたご縁が再び結ばれて。
恋の成就を祝福しているのだ。
お幸ちゃんが虹の橋に腰かけて、ほほえんでいるような気がした。
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