29.夢の香、千里のかなたへ(四)
「今すぐここを出てくれって、全員で何度も説得したんだ…」
「でも、山南さんの意志が固すぎて聞き入れてもらえなかった…」
「それなら、せめて何か切腹の次に重い罰ならって提案しても、“ここで例外を出しちまったら、今まで法度破りで死んだ隊士たちはどうなる”…ってよ」
「“誰であろうと、法度に背いた者は切腹。総長であればなおのことだ。情は捨てろ”って言ってな」
「頑ななんだ…」
「局長も土方さんも苦渋の決断だろうよ…」
「ふたりのことを決して責めるなって、逆に諭されちまった…」
ふらふらと立ち上がる。
「わたし…」
現実が受け入れられないの…
「わたし、土方さんにお願いしてくる…!」
「駄目だ!」
「無理なんだよ…一度出した結論を今さら変えられると思うか?」
「悔しいけど、もう…」
「二度と会えなくなるのは嫌だよ!諦めないでよ!」
「やめろ!」
走り出そうとしたわたしを止めるために、左之助兄ちゃんがぐっと勢いよく腕を掴んだ。
「お前が今行ったら、土方さんはもっと追い込まれるぞ」
「だって…!泣き叫んで駄々こねられるのは、わたしの他にいないじゃない!」
「山南さんに生きる気がねぇ限り、近藤さんたちもどうにもできねぇんだ!」
「山南さんは新選組総長として死ぬことを選んだ。それが山南さんの願いだ…」
「分かんないよ!何で生きてくれないの?山南さんの願いを叶えることが、ほんとに正しいの…?!」
声をあげて泣いたら、左之助兄ちゃんがぎゅうっと抱きしめてくれた。
左之助兄ちゃんも泣いてた、と思う。
泣きたいのはわたしだけじゃない。
どんなに泣き叫ぼうと、変えられないことがあるのも。
分かってる…
やっぱり、わたしは無力だ。
呆れるほど思い知った。
どうにもできないやり場のない気持ちも、全部吐き出さなきゃ正気でいられなかった。
この感じ、久しぶりだ。
夢であってほしい。
これは夢。
悪夢の続きを見ているのだ…
そう思い込もうとしていた。
ごめんね、みんな。
いつもわたしが先に泣いちゃうから。
みんなが泣く時を、みんなの涙を奪ってるんだよね…
山南さんは、前川家の屯所の一室で静かに時を過ごすことになった。
格子窓がある西の部屋で。
今もなお、島田さんや山崎さんがこっそりと説得を続けているようだった。
一度出した結論が覆せないのなら、他の隊士の手前、大っぴらには動けないようで。
永倉さんも源さんも、伊東先生までもが、後のことはどうにかするから、と入れ替わり立ち替わり説得したんだ、と左之助兄ちゃんが教えてくれた。
もし、誰かがそれを知っても、見て見ぬふりをすると思う。
切腹を言い渡したものの、局長と土方さんだって、本心は今ここから逃げ出してほしいと思っているはずなのだ。
「かれんちゃん、お粥さん…」
「ごめんなさい、後でいただきます!」
「あっ!かれん、どこ行くんだ?!そんな体で…おいっ!」
バタバタと走り左之助兄ちゃんの声を無視して外に出た。
最後の望みが絶たれた今…
泣きはらした末に、ひとつやらなければいけないことがあると気づいた。
こんなところで休んでいる場合じゃない。
わたしにできること。
大急ぎで屯所を飛び出す。
全速力。
走って走って、とにかく走った。
「七つ時…4時…」
時間がない。
一刻も早く伝えなければならないの。
明里さん…
自分だったら?
逢わないままだったら、一生後悔すると思う。
何であのとき、逢わなかったんだって。
誰よりも、世界でいちばん大切な人を失うんだから…
「クラクラする…」
少しだけ立ち止まって、荒い呼吸を整える。
「置屋までは…倒れちゃだめ…」
たとえこの身がどうにかなろうとも。
這ってでも行かなければならないの。
「はやく行かなきゃ…」
伝えたらパニックになると思う。
承知の上だ。
死ぬと分かって逢うのは怖いと思う。
この現実は絶対に信じたくない。
わたしたち以上に受け入れられないだろう。
でも、逢えずに手を離してしまうのはもっと嫌だ。
さよならなんてしたくないのは当たり前なの。
ずっとずっと一緒にいられると思っていたのだから。
幸せな日々が、儚い夢だったなんて思ってほしくない。
こんな形で二度と逢えなくなるなんて、絶対にダメなの。
「すみません!明里さんいらっしゃいますか?」
息を切らして、明里さんのいる置屋に入る。
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