27.花の春、散るらん(六)
「松屋常盤の味噌松風」
「味噌松風?!」
「どうだい?手を打たないか?」
「う…」
「良い条件だと思うよ」
「しゃーないな!先に姉ちゃん貸したるわ」
「交渉成立だね、ありがとう」
「買収だ!松風で売られたぁ!」
「姉ちゃん、沖田の兄ちゃんとお寺の境内で待ってるわ!」
山南さんが子供たちの買収に成功した“松風”とは、和風のカステラのような見た目の焼き菓子で、カステラよりはずっしり、しっとり、モチっとした食感だ。
箱を開けるとふわっと味噌の香り。
きつね色に焼かれた表面にはパラパラと黒ごまがまぶしてある。
現代のスイーツのように見た目の華やかさはないけれど、素朴ながら味は最上級。
ほんのり西京味噌の香ばしさと、控えめで上品な甘さが絶妙なバランスなのだ。
わたしを含め、東日本出身者には馴染みのないお菓子だったけれど、京都に来て5本の指に入るほど大好きになった。
御所の南門・堺町御門の近くにお店を構える松屋常盤の味噌松風は、特にわたしたちのお気に入り。
江戸前期の創業で、大徳寺などの寺院、茶道の家元、歴代の天皇や公家にも愛されているという。
それもそのはず、作り方は一子相伝。
お店の入口にかかる白い麻の暖簾は天皇から賜ったものだと聞いた。
つまりこのお店は “禁裏御菓子司” 。
質の高い、おいしいお菓子を何代にも渡って御所に納めている、由緒あるお店の証だ。
当然ながら、禁裏御用を賜ることは大変な名誉なのだ。
「匂い袋、山南さんが使うんですか?おしゃれに気をつかう男性、素敵ですよ」
「ああ…うん、まあ…」
「それで、わたしに頼みごとって何ですか?」
「実はね、ピアノを弾いてほしいんだ」
と、なぜか照れたように目をそらして、遠慮がちに言った。
そんな些細なお願いだとは思わなかった!
「言ってくれれば、いつでも弾きますよ。子供たちを買収しなくても、弾きます。ふふっ」
「そうかい?ありがとう」
「遠慮はいりませんよ。だって、わたし、新選組の楽師なんですから」
「そうだったね」
「おまかせください!山南さんのために心を込めて弾きます」
「それじゃあ、ひとつ頼むよ」
「何か気に入った曲があったんですか?」
「最近、よく稽古しているあの曲…ちょっと忙しなくて、しかし朗らかにキラキラと輝くような」
「あ~この曲ですかね?」
『黒鍵のエチュード』
曲のさわりを軽く弾いてみる。
「そうそう!この曲だ!」
「じゃ、もう一度頭から」
瞬時に空気が変わるような、華やかな曲。
生き生きと、活発に、速く。
機械的にならないように。
3連符のパッセージが続き、正確なテクニックが必要な右手に気をとられがちだけど、リズムをつくる左手がとても重要で、とても素敵なのだ。
音色の使い分けをもっと追求してみたい。
っと!
山南さんのために弾いているのに、つい夢中になって入り込んでしまった。
「光の粒が降り注ぐようだね。 煌やかなだけの曲ではなく、洗練されていて上品だ」
ただの超絶技巧にならないところが、ショパンの為せる業だろう。
「何でこの曲が気に入ったんですか?」
「いやぁ、それは…単に綺麗な旋律だな、と…」
「この作曲家は“ピアノの詩人”と呼ばれる人ですよ。うっとりするような美しい旋律の曲なら、今までにもたくさん弾いてたのに」
「好みは人それぞれだろう」
「それはそうですけど、山南さんにとっては思い入れがありそうな感じだし」
「深い意味はないよ…」
「怪しい」
歯切れの悪い返し。
絶対に何かあると睨んで、横目でじぃーっと目線を送る。
「分かった、分かった…!白状するよ…」
「何?何ですか?!」
「女の勘とやらはすごいな…」
「そうですよ、ごまかせると思ったら大間違いです」
「…けさと、だよ」
顔を、いや耳まで真っ赤にしてボソッと言
った。
「えっ?」
「この曲…!明里のことが思い浮かぶんだ!」
「きゃー!そうだったんですね!」
なるほどね。
それはためらうわけだ。
「言われてみたら、たしかに明里さんにぴったりな曲ですね!」
明里さんの話をするときは、照れちゃってかわいいんだから。
「あ!匂い袋も明里さんのためですね?」
「はははっ…」
「そうかぁ~!それしかないよね!うんうん、そうだよね!」
笑ってごまかそうとする山南さんを見て、自然と笑みがこぼれる。
「作ってあげたら喜びますよ。保証します!さっそく子供たちと一緒に作りましょう!」
そんな山南さんの姿に、ニヤニヤを抑えることができない。
「ニヤニヤするんじゃないっ…!」
「ふふふ~!」
照れ隠しでゴホンと咳払いをして、平静を装う。
装えてないですけど。
「もう一度、弾きましょうか」
照れながらも穏やかに微笑んで頷いた。
明里さんはいつでも山南さんに寄り添っているんだなぁ。
今、ここにはいなくても。
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