19.風待月の一夜(四)

町は祇園祭の宵々山で賑わっていると聞いた。


明日は宵山、そしてあさってが前祭さきまつり山鉾巡行やまほこじゅんこう神幸祭しんこうさいだ。



たまたま目に入った桶に水を汲み、庭の草花に柄杓で水をやる。


土に水が染み込んでいく。


流線形の葉から、夏の雫がスルリと落ちて。


花びらの露が日光に反射してキラキラと輝いた。



町とは真逆で、隊士が少ない屯所はとても静か。


静かすぎて落ち着かない。


緊張感に拍車をかける。



雲の切れ間から月が顔を出した。



いつものように縁側に座り、思案をめぐらせる。


何も知らないのだから、いいアイディアなんか浮かばないのは当然で。


気がかりが多すぎて、足をバタバタさせた。



新選組のみんなが屈するわけない、大丈夫。


きっとそうなのだ。


うん、うん、と頷いて、自分の心に言い聞かせる。



こちらへ近づいてくる足音に顔を向けた。



「山南さん」


「かれん君か」


「山南さん、大坂での左腕の怪我はもう大丈夫なんですか?」


「あ、ああ…すっかりね。君にも心配をかけてすまなかったね」


「いえ、大丈夫ならよかったです」



ニコッと笑って返した。


笑えるってことは、わたし、ちょっとだけは余裕があるみたいだ。



思い切って聞いてみる?


はぐらかされるかな。


ここで一緒に生活しているからといって、今日は何があるとか、何のために出動するのかなんて教えてはくれない。


極秘で動くこともあるみたいだし。



「山南さんは出動しないんですか?」


「私は今日は留守を預った。手薄になった陣を狙う可能性も考えられる。屯所を守るのも大切な仕事だからね」


「そうですね。屯所がカラじゃ、一溜まりもないですもんね」



新選組も組織だ。


万が一、情報が漏れれば責任は大きい。


ひとつのミスが深刻な事態になることだって。


そうなれば取り返しがつかない。



分かってる。


口出しすべきじゃない。


知ってどうなるわけでもない。


そんなの十分すぎるくらい分かってる。



でも、今日のこの一件はどうしても知りたいの。



「あの…」


「うん?」


「山南さん、どういうことですか?」


「どうしたんだい?」


「今日の雰囲気ただごとじゃない。沖田さんまであんな深刻な顔して…」


「不安にさせてしまったようだね」


「いえ…」


「しかし、心配は無用だよ」


「ここ数日、監察方の動きも盛んな気がします。今朝も早くから幹部会議を重ねて、忙しそうに動いてるようだし…」


「君が気にすることではないよ」


「でも、町で聞きました!長州が町に火をつけるって噂…」


「ただの噂でしょう」


「町の人はそう思ってるみたいだけど、わたしにはそうは思えません」


「思い過ごしだよ。勘繰るのはよしなさい」


「噂が立つってことはそれなりの理由があるか、何か意図があると思うんです」



ずっと知りたかったことが、どんどん言葉になって出てくる。


それでもなお、笑ってかわす山南さん。


わたしの質問攻撃にも言葉を濁し、肝心なことは教えてくれない。



「噂が本当なら、長州にはそこまで危険を冒して得になることがあるんですか?」


「鋭い質問だね…」


「それに…」



昼間、耳にした声。


実際に自分の目で見たわけじゃないけど、確かな現実であろう出来事を口にするのをためらう。



「うん?」


「土方さんが…」


「どうしたんだい?」


「昼間、誰かを拷問してた…と思う」


「見たのか?!」


「見てないけど、声がしたから…」


「そうか…」



いつも冷静で穏やかな山南さんが声を大にして、表情を曇らせた。



ただごとではない夜になるんじゃないか。


何か、歴史に残るほどの大きな事件。



「あの人、長州と関係あるんでしょう?重大な何かを握ってるから、ああしたんじゃないですか?」



腕を組み、難しい顔をしたまま耳を傾ける。


時に目を閉じ、思索にふける。


瞼を開くと、いつもよりも鋭い視線。



「不逞浪士の取り締まりとは言ってたけど、普通ならもう少し屯所に残る隊士がいるのに。一体、今日何があるんですか?」


「…まったく。君は好奇心だけはでなく、直感もよく働く」



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