第95話 叙任式

 ミルレットからアカデミーの進級に関する話があった翌日から、ヨルヤによるスパルタ授業が始まった。その過酷さたるや、数日後に控える叙任式の作法の勉強ですら息抜きだと思えるくらいだった。


 叙任式当日、スレンはゴテゴテした大仰な儀礼用の服を着させられていた。一応、魔道師用の衣装なのだが、アカデミーの制服のような地味なものではなく、七柱の神々の色を盛り込んだ派手派手なものだ。


「それで、家名は決まったの?」


 講堂横の控室。メイドに衣装を整えてもらうスレンを見てアターシアが尋ねた。いつまでもただのスレンでは格好がつかないので、この叙任式を名目に、国王陛下から直々に家名を賜ることになっている。とはいえ命名はスレンに一任されたようだ。


「決めたよ。もう伝えてある」

「どんなの?」


 何気なくアターシアが尋ねると、スレンは十二歳の少年相応の無邪気な照れ笑いを浮かべた。


「へへっ、内緒」

「勿体ぶるわね」

「叙任式でわかるよ」


 しばらくすると扉が叩かれ、もうすぐ式典が始まるので講堂に来るようにと達しがあった。

 本来、叙任式などという重要な式典は、戦から帰還してほんのすぐ五日後に行われるなどということはまずない。武功を精査し、報酬を吟味し、紋章を取り決め、数々の社交的手続きを済ませてから執り行われるものだからだ。そもそも戦の功を讃えての叙任など、そうあるものではない。慣習的に行われている叙任式は、アカデミーの卒業生に対してのもののみだ。そしてそれはアカデミーの卒業式と同時に行われる。戦の後に騎士として叙任されるとすれば、それはすべからく平民であり、どれだけの武功を立てたとしても、存外雑な扱いを受けることになる。そういう意味でも、戦から帰還して五日後という開催日時は性急にすぎた。そう、性急だったのだ。シフォニ王はスレンをいち早く騎士にしたくてたまらなかった。それこそ四年後のアカデミー卒業など待っていられないほどに。

 この叙任式を終えれば、もう王に反旗を翻す者はいなくなるだろう。つまりは王権的都合による日程だった。


「いよいよね。ちゃんと手順、覚えてる?」

「覚えてるよ。とりあえず階段の前まで行って跪けばいいんでしょ」

「本当に大丈夫かなぁ」


 ひどく不安げなアターシアを尻目に、スレンは講堂の重厚な扉の前に立つ。

 今回の叙任は、ヨルヤの後見を条件に交わした主従契約だ。契約であって隷属ではない。ただ、正式にシフォニ王の臣下となることに間違いなく、対外的にはスレンが国王陛下の派閥に入ったとみなされるだろう。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……


 これでもかというくらい大袈裟な音を立てて扉が開く。左右合わせて八人がかりだ。講堂は謁見の間ほど広くはないが、二階席もあって、国中の領主や貴族たちが急過ぎる日程にも関わらず多数出席していた。柱にはシフォニ王国の各都市、各領地のバナーが垂れ、式典会場に彩りを添えている。


 完全に扉が開ききると、太鼓の音が小さくなりだした。音は次第に大きくなり、最高潮に達したところで管楽器の盛大なハーモニーが奏でられた。


 スレンは予定通り赤絨毯の上を一歩一歩、勿体ぶって歩いていく。正面の壇上にはシフォニ王と二人の王子、それに顔なじみの王女の姿が。王女はスレンと目が合うと口角をにっと上げた。スレンもそれに応えて、神妙な表情をわずかに崩した。

 スレンが階段の手前で跪くと、いよいよ式典が始まる。音楽が止まり、静まり返る講堂のなか、シフォニ王がゆっくりと玉座から立ち上がり、鷹揚な足取りで階段を下った。

 シフォニ王は、側仕えからスレンのために拵えられたエストックを受け取ると、重々しい声で口上を述べた。


「見習い魔道師スレンよ。此度の戦にて其方が成し遂げた武功は計り知れない。叛逆者オルグニアン・ファーロラーゼを討伐できたのも、其方の力があってこそだった。その功績を讃え、其方をシフォニ王国騎士に叙任する」

「謹んで拝命いたします」


 軽く頷き、シフォニ王は続ける。


「それに際し、姓、ライアビュートを与える。これからスレン・ライアビュートを名乗るがよい」

「はっ、ありがたき幸せ」

「うむ。では、其方の忠誠の証としてこの剣を授ける。両膝をつき、顔を上げなさい」


 スレンは言われたとおり両膝をつく。絨毯がふわふわなので痛くはない。

 シフォニ王は装飾過剰ともいえる鞘から剣を抜き、スレンの額に突きつけて訓示を述べた。


「神々の御名のもと、聖アグニアより大オランディアがこの地に封じられ千四百年余り。シフォニ王国は常に神々とともにあった。戦争、飢饉、疫病、内乱、幾多の危機を乗り越え、我が祖国の今はある。騎士スレン・ライアビュートよ。汝はこれよりシフォニ王国の騎士となる。優れた魔道師見習いでもある其方は、誰よりも神々に愛された魔道騎士となろう。汝、我が王家の騎士として、いかなる時も祖国を守護することを誓うか」

「誓います。我が命は祖国とともに」


 スレンの誓いの言葉に頷き、シフォニ王は抜き身の剣を鞘に収め、スレンに差し出した。スレンは剣を恭しく受け取る。するとまた盛大な音楽が奏でられ、スレンは数歩さがり、一礼した後、踵を返して講堂を後にした。




「どうしてライアビュートなの?」


 叙任式が終わって控室に戻ってきたスレンに、開口一番にアターシアが尋ねたのは家名の由来だった。式典の礼装を使用人に脱がしてもらいながらスレンは答える。


「アグニア語で黄昏って意味なんだ」

「知ってるわよ。だからどうして黄昏なの?」


 どう答えたものかとスレンは逡巡した。短い間だが、人間社会で暮らすなかでスレンは常識を身に着けた。まだまだ不足はたくさんあるけれど、少なくとも狼が言葉を話すことが非常識だというのは理解できる。本当のことを話したところで誰も信じやしないだろう。ただ、自分という非常識に慣れてしまったアターシアなら、あるいは信じてもらえるかもしれない。


 と、スレンはきょとんとしているアターシアを見てはっとする。眼の前にいるのは研究狂いのアターシアだ。なんだか、とっても面倒なことになりそうな気がする、と。慌てて心の中でぶんぶんと首を振ったスレンは、はぐらかすような苦笑いを浮かべてこう言った。


「こ、故郷の風景に因んだのさ」

「ふーん」


 上手く誤魔化せただろうか。アターシアの生返事は何を考えているのかよくわからないものだった。



 突然、隣の講堂がいっそう騒がしくなって、そのざわめきがスレンたちのいる控室まで聞こえてきた。式典が終わり、王族が退場したのだろう。騒々しさの正体は、堰を切ったように噂話を始めた貴族のたちの声だった。


 今回の式典の意図は誇示である。

 スレン・ライアビュートが王家に忠誠を誓ったということを世に広く知らしめるために執り行われた。

 スレン・ライアビュートが何者であるかは、自ずと知れ渡るだろう。

 そして固く決意するはずだ。

 王家にはけっして逆らうまい、と。

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