第92話 グロワ砦の講堂

 塔を抜けた先。延びる廊下を渡ると講堂にでた。旧エルベストル城の講堂とは違い二階席はないが、広さは同じくらいだ。そこに三十名ほどの騎士団と、その中央にはファーロラーゼ公。彼の左右をエンハスとジフ・ベルディアージが固めていた。


「おや? 貴様ひとりか?」


 スレンは剣を構える。アプローチでの戦いをジフに見られていたのなら、隠す意味はもはやないだろう。


「ヨルヤはどこだ」


 スレンの第一声に公爵は思わずジフと視線を交わす。捜索隊は謀反人ファーロラーゼ公爵の捜索と討伐が任務のはずだ。それなのにこの少年は、この期に及んでヨルヤ・ファーロラーゼという少女を求めているではないか。これはなんとも……


「なんとも叙情的であるな。吟遊詩人でも連れてくればよかったか?」

「きっと喜んで歌にしたことでしょう」


 肩を竦めあうふたりにスレンは苛立ちを覚えた。結社の聖女がヨルヤだと知って以来、スレンの戦う理由は一度も変わっていない。グロワ砦に足を運んだのも、自分の所属した組織がたまたまファーロラーゼ公の捜索隊だっただけだ。「ヨルヤはどこだ」と叫ぶことはスレンにとって当たり前のこと。だからなぜ自分が嗤われているのかわからなかった。


「ヨルヤはどこだ!」


 もう一度問い詰めるスレン。ニヤリと不敵な笑みを浮かべた公爵は、


「ここにはいない。知りたくば力ずくで問いただしてみよ」


 と突っぱねた。その言葉が終わると同時にスレンは跳躍していた。目指すは公爵の首ひとつ。ヨルヤの居場所ならばジフかエンハスか、それとも別の騎士に聞けばいいだけのこと。それよりもヨルヤを利用する輩の大元締めを潰さなければならない。それに公爵が死ねば、ジフやエンハス、騎士団の戦う理由もなくなる。戦いはすぐに終わるはずだと考えたからだ。


 風を蹴り、文字通り疾風の如くスレンのエストックが走る。だが初手はジフに弾かれてしまう。すぐに反撃が来ると想定していたスレンはすぐさま防壁を展開、予想通り、ジフの剣がスレンの防壁を切り裂いた。勢いが弱まっていなければ剣ごと両断されていただろう。ジフの斬撃を鍔で受け止めたスレンは、同時に後ろに跳躍し、再び距離を取る。離れ際に放った無数の氷柱も、傍に使えていた魔道師の展開した防壁に防がれてしまった。が、騎士団の全員が防げたわけではなく、何名かは手傷を負っていた。


「ずいぶんと、戦い方が変わったな。以前は魔法を放つだけだったというのに」


 一歩、公爵の前に立つジフ。だらりと剣を下げているようで、まったく隙がない。


「お前を倒すためだ!」

「それは光栄なことだが、その程度の技量で勝てると思われては困るな」


 スレンは剣を突き出すように構える。そして無詠唱で一筋の電撃を放った。電撃はジフの前を覆う風の防壁に阻まれたが、無軌道な軌跡を描き、傍の別の騎士を襲った。受け身もとらず前のめりに倒れた騎士はすでに絶命してしまったようだ。


「剣技だけで勝てるとは思ってない」

「ふっ、魔道騎士というわけか。だが制御不能のその雷を多様できるものかな?」


 防壁によって阻まれていれば得意の氷柱も使えまいと、言外に含ませるジフ。


「防壁のことか。そんなもの――」


 スレンは適当に選んだ魔道師の、展開させている風の防壁に、被せるように風の防壁を展開させた。魔法と魔法がぶつかれば、結果は使われた魔力の質と量の差によって決まる。同じ魔法ならば、魔力の少ない魔法は魔力の多い魔法に喰われるのは必然。スレンがそれを知っていたかはわからない。魔力とともに生きてきたことで得た経験や直感とか、そういった類のものだったのかも。だが、自分の魔力を使って維持され続けている防壁と、自然界にあふれている魔力を使って瞬発的に発生させた防壁では、結果は目に見えていた。


 防壁が霧散したことに動揺する魔道師。スレンはすかさず使い慣れた氷柱を射た。


「そんな小細工、本気で通用すると思ってるのか?」

「魔法を魔法で呑み込むか」


 どれだけ頑強な防波堤を作っても、それすら呑み込む大波の前では何の意味もなさない。


「ならば我らは貴様ごと呑み込んでやろう!」


 ジフの一声を喊声に、防壁に守られていた騎士たちが一斉にスレンに飛びかかった。

 スレンは最初、火属性の魔法を騎士たち浴びせたが、狭い室内で火達磨になってのたうち回られてはかなわないと、すぐに別の魔法に切り替える。自分の魔法ならば火傷はしないが、そこから燃え広がった炎はすでにスレンの影響下にない。触れれば当然大火傷だ。

 ならば雷の雨を降らせればどうか。氷柱と違って盾で防ぐことができない。防壁を展開させている魔道師もいるが、完全に打ち消すことはできていない。だがスレンは選ばなかった。防壁によって進路を歪められた雷がスレン自身に返されようとも、それは自分の魔法なのだからダメージを受けることはない。だが雷によって生み出される光は別だ。閃光は確実にスレンの視覚を奪い、決定的な隙を生じさせるだろう。


 数多ある選択肢が潰えるなか、スレンが選んだのは土属性の魔法、ラミアンの戦いで使った地面から突き上げる石槍だった。氷柱よりも重く硬い、炎のように延焼せず、雷のように眩い光を発しない。加えて大地を土台に突き上げるため、風属性の防壁では防ぎようがない。だが講堂の床全面を針地獄にできないのは、質量がある以上、自分に対しても脅威となりえるからだ。だが弱点はこれだけではなかった。


 次々と串刺しになる魔道師たち。だが、硬い金属製のグリーヴを履く騎士たちには効果はいまいちだったようだ。

 魔道師は激減した。そしてがら空きとなった騎士たちの頭上に氷柱の雨を振らせたスレン。完全に主導権を握ったと思ったその時だった。


「お前、それは悪手なんじゃないのか?」


 耳元で囁く声がした。背筋が凍り、咄嗟に身を捻る。同時に頬をひとなぎの風が掠めた。いや、掠めたのは短剣だった。


「エンハス!」


 スレンは講堂の石壁や風の防壁を蹴って、相手の射程外から攻撃を仕掛けている。常人が全力で跳んだところで切っ先がスレンの足をひっかくかどうかだ。だがエンハスは今、スレンと同じ高さにいる。同じような魔法が使える? 馬鹿な。では、別の魔道師が生み出した風の防壁を蹴ってきた?


 当たらずとも遠からず。眼下の光景を見てスレンは理解した。


「石槍を蹴ってきたのか!」

「正解だ」

「でも、尖ってるのに!」


 軽装のエンハスは鉄靴を履いていなかった。革の靴では穂先を踏み抜いてしまう。


「蹴りの威力を上げるために爪先に仕込んでおいた鉄板が役に立ったんだよ。こんな形で役に立つと思ってなかったけどな」


 そう嘲笑ってエンハスは再び跳んだ。


 それからのスレンは防戦一方だった。付け焼き刃の剣技はすでにその体をなしていない。野生で培った反射神経でもってエンハスの短剣二刀の斬撃をいなし続ける。地面に落ちればジフの強撃が飛んでくる。剣で防げないところは魔法で防ぐ。なんとか隙を見つけて火炎を放つが、


「エンハス、下がれ!」


 ジフに盾で防御されてしまう。無詠唱の最大の利点は『いつどこで発動するのかわからない』こと。戦いの中でリズムが生まれれば、タイミングを図るのはジフにとってさほど難しいことではなかった。場所も視線で予測がつく。


 片膝をつくスレン。すでに呼吸は肩でしている。対して眼前のふたりは息ひとつ乱していない。全身から溢れ出る余裕。しかし微塵の油断もなく、斬り込んでも返り討ちにあう未来が見える。かといって苦し紛れの魔法など通用しないだろう。盾を片手にゆっくりと近づいてくるジフ。この場所にヨルヤがいないのならばと、スレンが講堂もろとも燃やしつくそうとしたその時だった。


「スレン!」


 突然、スレンの背後の扉が勢いよく開き、アキュナとアターシアと、そして大勢の騎士たちが雪崩込んできた。


「アターシア! 敵の増援は?!」

「マルルダ伯爵が食い止めてくれているわ。でもすでに大勢は決したわ。時期に伯爵も駆けつけるでしょう」

「そうか……」


 スレンはへたる足に活を入れて立ち上がる。


「これで形勢逆転だ!」


 そして剣を構えなおした。



 決断は早いほうが良い。形勢を見極めるという点において、ジフ・ベルディアージは将として十分な素質を持っていたのだろう。


「ここは私が食い止めますゆえ、閣下はお逃げください。エンハス、お前が公をお守りするんだ」


 あまりにもあっけなく、あまりにもあっさりとした思考回路。情熱的で古典的な騎士がみれば、味気ないと揶揄するだろう。だが本当に大切なものを優先させるとき、えてしてドラマチックではいられなくなるものだ。


「請け負ってやるよ」


 快諾するエンハスにジフは強く頷く。そして愛用のロングソードを今一度強く握りしめた。


「逃がすものか!」


 エンハスなどどうでも良い。結社が瓦解した今、ジフですら問題ではない。ただひとり、ヨルヤを利用し続けたファーロラーゼ公爵だけは逃がしてはならない。スレンが、講堂の脇の扉から脱出する公爵に向けて火炎を飛ばそうと試みたその瞬間、


「こちらを見よ!!」


 耳をつんざくようなジフの怒号が講堂内に響いた。反射的に目を奪われるスレン。しかしその視線は公爵に戻ることはなく、ジフに釘付けにされた。


「ヨルヤ!」


 なぜなら、ジフがヨルヤを捕らえ、その首筋に短剣を突きつけていたからだ。

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