第81話 王都へ

「お初にお目にかかります。アターシア・モールと申します。ミルレット王女殿下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう存じます」


 跪いたアターシアが深々と頭を下げているこの場所は、アカデミーの王族専用の応接室だ。王女の私室を含めてもアカデミーで最も豪華な部屋となる。様式美だけではなく、防音性、耐魔法、扉や壁の頑丈さも最も高い。この部屋を使っているのは、面会の内容が極めて重要かつ危険なものだからというわけではなく、王族が誰かと公式に面会する場合、必ずこの部屋を使うという慣例があるためだ。


「噂は聞いています。ずいぶんのびのび研究しているようですね」


 思わず唾を飲み込んだアターシアは、睨みつけるような視線をスレンに向ける。

 いつ誰が聞き耳を立てているかわからない。どこに間者が紛れ込んでいるかわからない。ほんの一言、口を滑らせただけで首が飛んだ貴族が何人いただろうか。情報を慎重に取り扱わなければならないのは王族も同じ。むしろ背負うものが大きいだけに、王族だからこそ迂闊な発言は控えなければならない。貴族の話す言葉には、当事者しかわからないような、もう一つの意味が隠されている場合が多い。とりわけ王女のこの発言には「権威主義に縛られずに好きな研究をするのは構わないけれど、師匠のヘズモントのように、異端に手を染めてしまわないように気をつけなさい」という意味が隠されている、とアターシアは読みとった。明日予定だった面会日時を今日にずれ込ませるような会話が、スレンと王女の間でなされたのだろう。それは予想できることだし、仕方のないことだと思っていたアターシアだが、まさか自分に火の粉が飛んでくるなど夢にも思わなかった。余計なことを言うなとスレンを責めたくなるのも当然だが、残念ながらスレンはアターシアの視線の意味に理解が及ばなかったようだ。きょとんと首を傾げるスレンに、アターシアはガクリと肩を落とした。


「はい、この環境を与えてくださったアカデミーに感謝し、王国のさらなる繁栄のため、微力を尽くす所存でございます」


 つまり、奴のように異端に手を染めるようなことはない、とアターシアは主張した。


「それは良かった。ところで面会の日程をずらした理由は、スレンから聞いていますか?」

「……はい」


 王女はセレベセスのアターシアに書簡を送った。彼女がスレンたちの居場所を知ることができたのは、ファーロラーゼ公が王女に報告したからだった。

 ミルレットもスレンも互いの交友関係を隠していたわけではなかった。スレンは何も考えていなかったが、ミルレットはむしろ、スレンは自分の派閥に取り込んだと周知させる意図があった。だからわざわざ調べる必要もなく、ファーロラーゼ公はふたりの関係を知り得たのだ。そしてニーザ平原にて、ミルレットがスレンを取り込もうとしている理由を知る。将来の王位継承争いにおいて、重要な戦力として期待しているのだと。

 であれば、半ば王命に背いているような状態のスレンを王女が放って置くわけがない。居場所を知れば必ずコンタクトをとろうとするだろう。そして王都へ同道し、父親たる国王に赦しを乞い願うはずだ。そしてそれは現実となろうとしている。それが公爵の狙いどおりなら、その先にどのような効果を期待しているのか。


「彼がわたくしに報告すること自体は、普通に考えれば何もおかしいことではありません。けれどスレンから話を聞けば、なるほど確かに裏があると感じざるを得ません」


 王女の話とは裏腹に、アターシアは苦い顔をした。嫌な予感がするというところには、もちろん異論はない。問題はその前。


 ミルレット王女殿下にスレンの居場所を報告するのは当然のことなのか。国王陛下の伯父たる公爵までもがそういう認識でいると。先程王女は「のびのびと研究している」と言ったが、それはとんでもない間違いだ。


 もはや諦めてはいるが、だからといって納得できているわけではない。まだまだ心穏やかとは言い難い。アターシアは不貞腐れたい思いでいっぱいだった。だが現実に不貞腐れるわけにはいかない。対面的にも状況的にも。


「しかし、殿下に知れれば陛下がスレンを取り込むことになります。それは公にとって都合が悪いことなのでは」

「一体何をお考えなのでしょうね。あの御方は」


 きっと碌でもないことだ、とは誰も言えなかった。スレンを除いては。


「どうせ碌でもないことを企んでいるに決まってるさ」


 歯に衣着せぬ物言いのスレン。アターシアやミルレットが体面を取り繕っていることなんてお構いなしだ。それもそのはず、アターシアとミルレットは互いに初対面だが、スレンはそうではないのだ。それでも普通は気を回すものだが、スレンにそこまでの繊細さを求めてはいけない。


 普段なら「あんたねえ」と呆れつつ文句をこぼすアターシアも、いつもなら「一応ヨルヤのお祖父さまなのだけれど」と、言葉遣いを正そうとするミルレットも、今は頬をひくつかせるだけだ。


「スレン、貴方、この部屋に自分たちだけしかいないからといって、少し油断しすぎではないかしら」


 まだ公爵の容疑が固まったわけではないのだとミルレットが苦言を呈したが、もうすっかりそのつもりだったスレンは「そうだっけ」と、あっけらかんと首をひねった。


「それにしてもミルレット、なんでそんな丁寧な話し方なんだ?」


 この言葉に一番に反応したのはスレンの後見人であるアターシアだった。噂には聞いていたが、目の前で王女を呼び捨てにされるとは思ってもみなかったからだ。本当なら考える間もなく警告していたが、今はそうはいかない。何せ呼び捨てにされた王女自身が、そのことに反応していないからだ。


「わたくしだって、時と場合によって言葉を使い分けることくらいするわ」

「アターシアも、いつももっと適当だろ?」

「貴方はもう黙っていなさい」


 アターシアは威圧感たっぷりにニコリと微笑んだ。


「ところで殿下。面会の日時を早められたということは、出来る限り早く王都へ向かったほうが良いとお考えなのでしょうか」

「ええ、何か嫌な予感がします」


 話にならないスレンを放置し、ふたりは面会を続けた。


 話し合いの結果、明日の朝には出発することに決まった。公式な王女の遠出など、今日の明日で準備できるようなことではない。だがどんなに急に決まったことでも、この手のことでモール商会に不可能などない。翌日の朝には、しっかりと旅支度を追えた王家専用の荷馬車と王女の旅を支えるに相応しい使用人たちが、アカデミーの玄関前に用意されていた。


「流石ですね。けれど少し大袈裟すぎないでしょうか」

「何をおっしゃいますか。王女殿下の公式な旅とあれば、どれだけ急ぎといっても最低限度というものがあります」


 遊びに行くのではない。だからこそ王家の品格を示すだけの装備が必要なのだ。それもそうですねと肯定するミルレット。そんななか、場違いに騒ぐ影がひとつ。


「すごいな! なんだこの馬車! しかもこんなにたくさん! これ全部で行くのか!?」


 そんな者はスレンしかいない。アカデミーの制服を着ているが、王女殿下の前で平民のような言葉遣いをするこの少年は一体何者なのだと、使用人たちの訝しげな視線は一様にそう語っている。

 スレンが経験したもっとも大所帯な旅でも、護衛の冒険者を含めてもせいぜい馬車三台で事足りる程度のものだ。だが今回はその倍以上。馬車のグレードだって、比べるのもおこがましいくらいに豪華だ。


「なあ、おれはどれに乗れば良いんだ?」


 なかなか落ち着かないスレンに、ミルレットはアターシアの心労に思いを馳せ、アターシアは被後見人の無礼に頭を深々と下げるのだった。


「お互い大変ですわね」

「え、ええ……いえ、申し訳ございません」


 上等な馬車に乗り、スレンたちは一路セレベセスへ向かう。これがバカンスならば、セレベセスほどの大きな街には数日間滞在することもある。だが今度ばかりはそんな悠長なことはしていられない。モール商会セレベセス支部の力技で即日の内に補給を済ませ、翌日の早朝には出発する。


 慌ただしいながらも順調に旅程は消化されていった。だが、セレベセスを出発したその日の夕刻、スレンたちは偶然通りかかった行商人の口から、ジヤン街道で戦があったことを知る。そしてその結果も。


 スレンは悟る。公爵は自分たちを戦場から遠ざけるために王国南部のアニムにいるミルレットに情報を寄越したのだ、と。北部が戦場になりやすい現状、スレンを南部に追いやることができれば、スレンが情報を手にするのも、そこから戦争を止めるべく動き出すのも、戦場へ到着するのにもかなりの時間を必要とするだろう。公爵の狙いはまさに『手遅れ』という現在の状況を生み出すことだったのだ。アターシアもスレンに頷いてみせた。どうやら彼女も同じ考えに至ったようだ。


「スレン……」


 ふと、ミルレットのか細い声が背中から聞こえた。何気なく振り返るスレン。


「……お父様が」


 そこには、いつもの不敵な王女の姿はなかった。

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