第55話 真実の在処

「あーあー聞こえなーい」


 耳を塞ぎ目を逸らすアターシア。質問に答えただけのスレンは、思いもよらぬアターシアの反応に目を丸くしてしまった。


「え、なに?」


 とはいえ本当に聞こえていないわけがない。このまま演技を続けていても埒が明かない。アターシアは頬を引き攣らせてスレンに向き直った。


「今なんて言った?」

「だから、聖女がヨル――」

「あああ! やっぱりいい!」


 アターシアは一体何がしたいのか。スレンには理解し難かったが、とにかく今は、哀れなほど取り乱す彼女が落ち着くのを待つしかない。考え込んでいるというよりは先へ進めるのを躊躇しているような、そんな沈黙を経て、アターシアはゆっくりとスレンに問いただす。


「そう思う根拠は?」

「ラベンヘイズでおれ、怪我をしただろ? ヨルヤにその傷を治してもらったんだ」

「治癒の魔法で?」


 スレンは頷く。


「でもしばらく包帯を巻いていたじゃない」

「……秘密だって言われたから」

「あんたまだ何か隠してるでしょう」


 スレンのわずかな逡巡にアターシアは目ざとく反応する。迂闊な自分を呪ったスレンは、バツの悪そうに口を開いた。


「う……おれも見せなきゃ不公平だと思ったんだ」


 当然アターシアも、ヨルヤがスレンの無詠唱を知っていることを知っている。何を隠そう自分自身が五月蝿く騒いだのだから。となると当然スレンが見せた秘密とは、魔力の拠り所についてのものだと察することができた。


「私との約束はどうなったのよ」


 ぐうの音も出ないスレンは、まさに沈黙せざるを得ない。だがスレンに沈黙されては話しを進めることができないと、アターシアも許さざるを得なかった。


「まあ良いわよ。もう無詠唱については知られてしまっていたし。それで、あんたはヨルヤの治癒魔法を直接見たのね?」


 スレンが頷くとアターシアは、すばやく立ち上がり即断する。


「一刻も早くここから、セレベセスから脱出します。アキュナ、馬車の手配を使用人に命じて」


 明らかな焦りを見せるアターシア。


「ど、どうしたっていうんだよ」


 今すぐにでもこの場から離れたいアターシアだが、同行者が非協力的であれば脱出に影響が出かねない。わずかな時間を惜しんだせいで手間取ってしまうくらいなら、時間を使ってでもスレンを説き伏せるべきだと彼女は判断する。


「ヘズモント先生がどれだけ優れた《目と耳》を持っているのかは知らないけど、それでもファーロラーゼ公のそれを上回るとは思えないわ。そのファーロラーゼ公が何週間もかけて手がかりひとつ得られないなんてこと、あると思う? 先生は結社に辿り着けたのよ」

「どういう意味。わからないよ」

「公爵の手がかりはないという言葉は嘘だと考えるべきよ。じゃあどうして嘘を吐いたのか。それは結社が公爵の手先だからよ」

「そんなのアターシアの想像だろ?」

「じゃあ公爵の孫娘を拐う理由が結社にあると思う? 身代金目的? 馬鹿な、危険すぎるわ」

「だから聖女として――」

「じゃあどうして結社は……ジフはヨルヤの治癒魔法を知ったの? もし仮に、偶然知り得たとして、利用価値のあるヨルヤを、公爵が守らないわけがないでしょう」

「公爵はヨルヤの魔法を知らなかったんじゃ?」

「現実的に考えなさい」


 ヨルヤの治癒魔法を結社は知っているのに、祖父である公爵が知らないわけがない。公爵は、ヨルヤを結社の聖女に据えることで利用しようとしているのよ、とアターシアは続けた。


「ジフの目的は確かに体制の破壊かもしれない。けれど彼は騎士。混沌を望んでいるわけではないはずよ」


 さしずめジフは、公爵の甘言にのせられた哀れな子羊。共通の理想。その実現のために力を貸せと唆されたのだと。

 アターシアの背筋に冷たいものが伝う。鳥肌が立つほど嫌な予感がする。言葉にすることさえ躊躇われる。だが、すべてが一本の線で結ばれる仮説はこれしかない。


「公爵は、王位を簒奪するつもりなのかもしれない」


 そんなのに関わってたまるものかと、アターシアはこれまでにない強い口調でスレンを説き伏せた。

 アターシアの言葉が正しければ、ここは敵の本拠地ということになる。スレンにとっても脱出を拒む理由はない。だが公爵は許してくれるだろうか。今はまだ客人という体裁。客人が何かしらの都合で帰ると言っているのだから、公爵に強く拒む理由はないはず。だが、公爵からしてみればスレンたちは、野望の前に立ち塞がる邪魔者だ。とはいえジフ・ベルディアージの邪魔をしたのがスレンたちだと公爵が認識しているとは限らない。確かに公爵は、ジフから何者かに原色地破壊の邪魔をされたと報告を受けただろう。だが彼の報告だけでは個人の特定に至ることはできないはずだ。ヨルヤが報告していれば話は別だが、スレンにはヨルヤが約束を反故にするとは思えなかった。というよりも、信じたかったのだ。そしてその心のままに確信していた。まるで賭けにでるような、緊張した表情のアターシアとは真逆に、スレンは脱出の成功を確信していた。

 だから、無事セレベセスから出られた時、安堵の息を吐いたアターシアに苛立ちを感じたのだった。


「それで、脱出してどうするの」

「アニムに帰るに決まってるでしょ」


 そして何が何でもアカデミーに引きこもるのだとアターシアは宣言した。


「じゃあ、おれはここで降りるよ」


 だがスレンにとって、それは許されざることだった。ヨルヤが助けを求めているというのに、自分だけのうのうとアカデミーで勉学に励む? なぜだろうか、そんな自分を想像すると、死んだほうがマシだと思えた。出会って半年にも満たない少女のために、命を賭すことさえ惜しくはないとさえ思えたのだ。


「何言ってるのよ」


 スレンの心境など知る由もないアターシアが眉をひそめるのも当然だ。


「おれは、ヨルヤを助けなきゃならない。そのためにアターシアたちに迷惑はかけられないから、だからひとりで行くよ」

「そんなこと、許すわけがないでしょう」


 スレンの所有権は変わらず自分にあるのだとアターシアは主張する。


「大丈夫だよ。ヨルヤを助けたらちゃんと戻ってくるから」

「そういう問題じゃない。あんたが勝手をしたら後見人である私に迷惑がかかるって言ってるの」


 マリを助け、そしてあんたの願い通りアカデミーに通わせてあげたのを忘れないでとアターシアは続ける。

 アターシアとてヨルヤとは知らない仲ではない。一時とはいえ師事され、共に旅をしたこともある。そんなヨルヤが今、スレンの主張するように苦しんでいるのだとしたら、それはとても悲しいことだ。だが、だからといって後世において政変として語り継がれるような大きな事件に巻き込まれることを良しとするほど、彼女はお人好しではなかった。


「ごめん、アターシア」


 アターシアはスレンを説得しようと言葉を尽くしたが、彼の口から出たのは謝罪の言葉だった。何に対する謝罪なのか。言われずともアターシアは理解している。


「謝るな」

「……ごめん」

「だからっ――」


 アターシアの言葉を遮るようにスレンは席を立つ。どうあってもスレンは行くつもりだ。そしてそれを力ずくで止めることは、アターシアでは叶わなかった。


「あああああもう! 絶対後悔なんてしないんだから!」


 立ち上がったアターシアは、御者に馬車から馬を離すように命じる。そして二頭のうち、一頭を御者へ、そしてもう一頭に跨ったアターシアは、スレンに向かって手を差し出した。


「良いわ。こうなったら無詠唱も自然界の魔力も使い放題よ。ついでにヨルヤには治癒魔法でも見せてもらおうかしら」


 アカデミーに戻ったところで、スレンを御するための生贄にされかねないのならと、アターシアは腹をくくる。一蓮托生? いいや、彼女の場合、ヤケクソというのが正しいのかもしれない。

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