第56話 原色地を巡る
スレンたちは一路ラベンヘイズを目指すことにした。理由は二つ。セレベセスより南に下ったのは、結社の活動拠点がわからない以上、以前に遭遇した場所周辺を捜索するしかなかったからだ。そしてラベンヘイズを選んだ理由は、スレンが修復した原色地の様子を確かめるためだ。もしかしたら再度破壊されているかも知れない。破壊されたのであれば、修復しなければならない。少なくとも、スレンたちは体制の崩壊など望んではいないのだから。
「それにしても結社は、どんな手を使って原色地を破壊しているのかしら」
アターシアが疑問を溢す。
濃い魔力の滞留する原色地の中心には核ともいうべき魔力の結晶が存在する。地形か、地質か、いずれにせよその地に原色地のできる理由が、人為的なものでないのだとしたら、その核を壊したところで、いずれ同じように原色地が形成される可能性は高い。だが、多くの属性が入り交じる自然界の魔力の中から、ひとつの属性だけが一箇所に集まるという現象が、数年、あるいは数十年で再現されるとは思えない。だとすればあの核を破壊すれば原色地の破壊は達成されたも同然だろう。実際、ラベンヘイズではそうだった。ただ、どうしても拭えない疑問もある。
「そもそも、ラベンヘイズの原色地は本当に結社に破壊されたのかしら」
彼の地のように消失していなければ足を踏み入れることすらできないアターシアには、原色地の破壊など、戯言以外のなにものでもないかった。スレンという存在に触れ、かろうじて飲み込めているに過ぎないのだ。直すことができるのであれば、壊すこともできる。だがその仮説は、スレンと同レベルの非常識な存在が結社側にもいるということだ。そんな存在がそうほいほいいてはたまらない。けれど理屈がわからないアターシアには彼女の名前を出すことができなかった。だが、彼女の魔法を体感した者ならば――
「聖女……ヨルヤなら」
それがスレンの答えだった。やはり、と想いつつもアターシアは唾を飲み込んだ。
「ヨルヤは自分の魔力を他の魔力と混ぜ合い、操作することができる。その力を治癒の魔法に使ってるみたいだけど、その気になれば魔力の結晶に自分の魔力を混ぜ合わせて操ることができる……と思う」
確証が持てないのはスレンも同じだが、アターシアと違って仮説を立てることはできる。
「……とんでもないわね」
「前におれにも聞いたよね。他人の魔力を操ることができるのかって」
「覚えてたの?」
「まあね。おれはできないけど、多分ヨルヤはできる。治癒じゃなくて、単純に乱すことに使えば……」
その先は、スレンをして口にするのも躊躇われた。魔道師にとって自身の魔力が掻き乱されるということは、どれほど恐ろしいことか。スレンにもわかっていたからだ。あまり考えたくないスレンの仮説は、ふたりの間にしばらくの沈黙を生んだのだった。
□
道中、水属性と風属性の原色地を経由。二箇所の無事を確認した後、三人はラベンヘイズへと到着する。
結論から言えば、同所の原色地は壊されてはいなかった。念のためにスレンが単独で中心部の様子を見に行ったけれど、魔力結晶も彼が修復したままの状態だった。
「警戒したのかしら」
「まあ、アニムの隣にあるし」
隣といっても馬車で三、四日かかるのだが。
「あれ? てことはアニムから遠い原色地のほうが、遭遇できたかもしれないってこと?」
「途中に立ち寄った原色地は無事だったでしょ。北に向かったとは考えにくいわ」
「南にも原色地があるの?」
「ええ。ここからフィアレンゼとのちょうど中間に、火属性の原色地があるわね」
じゃあ次はそこだと意気込むスレンにアターシアは、しれっと水を差す。
「そうね。けど、そこで何も無かったらいったんアニムに帰りましょう」
見つかるまでぶっ続けで捜索するつもりだったスレンは、訴えかけるような視線をアターシアに向けた。
「手がかりもないのに闇雲に探したって仕方ないでしょ。破壊された原色地を見つけたって、いつ破壊されたのかわからなければ近くにいるのかすらわからないんだから」
アターシアの言うことはもっともである。
「ミザリに協力してもらったほうが効率的よ。それに旅の準備もろくにしていなかったから、今度はちゃんと準備をして出発したい」
「ミザリちゃんまで巻き込むつもり?」
貴族のごたごたに正真正銘の平民であるミザリを巻き込むのは可哀想だとアキュナは苦言を呈した。まして大商会の支部長とあればいざという時、気軽に逃亡することもできない。
「大丈夫よ。モール商会の目と耳は王国でも最上級の品質なんだから。ま、さんざん文句はいわれるでしょうけど、姉の頼みを聞くのは妹として当然よ」
などと事もなげに言ってのけるアターシア。確かに、アキュナの知る限りでも、アターシアの無茶ぶりにミザリがしくじったことは一度たりともなかった。モール商会の情報部はさぞ優秀なのだろう。だが今回の件が危険なことには変わりはない。アターシアとてそれは理解しているはずだ。だがあくまでも楽観的な態度を崩さない彼女に、アキュナは非難の視線を向けた。
「ええ? スレンはともかくアキュナは私と付き合い長いでしょう?」
すると、なぜわからないのかと、アターシアは驚きの声を上げた。そしてなぜミザリが巻き込まれないのかを懇切丁寧に説明するのだった。
「ふたりが、というかアキュナが思っているよりモール商会は綺麗じゃないわ。セレベセスにも支部はあるし、もちろん王都ラミアンには本部がある。商館のある都市は例外なく商会から多額の支援を受けている。なかには完全に依存している領主だっているくらい。それに、動いているのは税金という公的なお金だけじゃない。あまり口には出せないような……ね。つまり、私ひとりだけなら簡単に消してしまえても、商会となるとそういう訳にはいかない。だから商会に籍を置くミザリは、多少の情報収集くらいで危ない目にあうことはないってこと。仮にいきすぎたとしても、先に警告として目と耳が潰されるだけよ。そしたら手を引けばいい」
これまでも莫大な資産にものを言わせ、多くの貴族に取り入り、取り込み、そして制御してきた。平民でありながら強大な権力に寄り添い、何代にもわたって拡大を続けてこれたのには、相応の理由があるのだとアターシアは語る。見かけだおしではないのだと。
□
原色地の周囲には集落ができやすい。だが必ずしもそうとは限らない。人の集まりやすい属性と、そうでない属性があるのだ。生命属性や土属性、水属性の原色地は古来より大きな都市が栄えてきた。その場所を巡って争いが起きることも珍しくなかった。逆に火属性や風属性、雷属性の原色地には、そこを拠り所とした都市が生まれにくかった。
次に三人が向かった火属性の原色地は、草原の中心に唐突に出現したような場所だった。濃密な魔力は健在で、アターシアとアキュナは外縁部に辿り着いただけで顔を青ざめさせたほどだ。これが本来あるべき姿とはいえ、涼しい顔をしているスレンを前にすると、アターシアはなんとも悔しい思いに苛まれる。叶うなら、自分もスレンのように魔力の結晶をこの双眸に焼き付けたい。魔力を研究する者として当然の思いだった。
原色地の無事を確認した三人が、アニムへの帰路へつこうと踵を返したその時、事態は急変する。
「こ、これは?!」
視覚的には一切の変化はないはずなのに、まるで地面が揺れているような、空間が歪曲しているような、体を揺さぶられているような錯覚に陥った。
まさか!? と、アターシアとアキュナが中心部に視線を向けた時、
「ヨルヤ!」
すでにスレンは走り出していた。
中心部に近づくにつれ、魔力のうねりは大きくなっていく。事を成せるのがヨルヤひとりならば、今、中心部にいるのは彼女ひとりなのだろう。誰にも邪魔されずに話ができるのは、今を逃せば、次はいつになるかわからない。と、そんな目論見など毛頭なく、スレンはただただ走り続けた。そして、獣の白骨死体が辺りから姿を消し、地面が何もない吹きさらしの地肌に変化したとき、スレンはなだらかな丘の頂上に、ラベンヘイズで目撃した白ローブの姿を見つけた。
「ヨルヤ!!」
彼女だという証拠などなかった。すべてはスレンの確信。だが彼は間違っていなかった。
驚いた彼女が身体を起こしたその反動でフードが翻る。
襟元からこぼれ落ちるように長い黒髪があらわになり、スレンに向けられた琥珀色の瞳は怯えたように歪んでいた。
「どうして――」
ヨルヤの声は、ひどくか細いものだった。
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