第48話 逃走
鋭い剣撃を靭やかな剣さばきでいなすアキュナ。だが凄まじい衝撃は完全に受け流せるものではなかった。馬上で体勢を崩すもなんとかしがみついて耐える有様だ。
「囲い込め! 攻撃を絶やすな! ラベンヘイズへ逃げ切られる前に排除するんだ!」
ジフと呼ばれた男の号令に呼応して騎士たちは怒号を飛ばす。向こうは騎馬の専門家。対してこちらは二人乗りの上に手綱を握るのは旅慣れているとはいえ、一介の魔道師だ。当然その差は徐々に詰められていく。そして再び振りかざされる剣。魔法の射程に入ったのだ。
「「「第二の神カンカよ、静寂をもたらしむる炎の神カンカよ、紅剣ハーヤードが灼熱を我が剣に降ろし給え! 天高く立ち昇りしは浄化の篝。此れ神鎗となして我が敵を貫かん」」」
敵魔道騎士の呪文の斉唱。剣の直上に紅焔が渦を巻くように顕現し、それはやがて穂先の形を成す。あんなにも轟々と五月蝿いのに何が静寂なものかと、スレンは叫びたかった。穂先の数は九。騎士たちは間髪入れずに投擲する。防壁を! しかしこの距離では無詠唱は気づかれてしまうだろう。相手は騎士。つまり貴族に類する者。情報漏洩による危険性は盗賊相手とは訳が違う。だが、悩んでいる暇などない。スレンは反射的に風属性の魔力を収束させる。そして炎の穂先の行く手を遮るように片手を突き出し、自分たちを囲むように風の防壁を展開させた。
普通の騎士たちから見れば三人は見事に炎に包まれたように見えただろう。だが魔法を放った魔道騎士たちは誰もが眉をひそめて訝しむ。放ったのは槍であって毛布ではないのだ。貫きこそすれ、包み込むような効果などもたせてはいない。彼らの、その疑問はすぐに晴れる。
まるで火の玉に突っ込んだように全視界が炎に包まれた。それほどまでに、魔道騎士の放った火量は凄まじかった。火球を突き抜けるように脱するスレンたち。馬もよく驚かないなと、スレンは褒めてやりたい気持ちになった。それとも取り乱して捉えられれば殺されるとわかっているのだろうか。まさかな、とスレンは自嘲し、思考を切り替える。本格的に戦うのはこれで二度目。今回も不可抗力だが、決して気分の良いものじゃない。だが躊躇は即、死に繋がるだろう。迷っている場合ではない。
状況は最悪だった。すでに騎士たちに囲まれている。前方でグシャリと気持ちの悪い音がした。見るとアキュナが一人葬るところだった。首の無い鎧が落馬して遥か後方に流れていく。その残酷さに、スレンは目を大きく見開いた。
「どうして……アターシア! どうして戦うんだ?!」
気づけば叫んでいた。
「そんなの決まってるでしょ! 襲われてるからよ!」
悲鳴か、怒声か、アターシアは返事をするにも必死だ。
「どうしておれたちは襲われてるんだ?!」
「私が知る訳ないでしょ! あいつらに聞きなさいよ!」
道理だ。
「わかった……」
その呟きはアターシアに聞こえていただろうか。スレンはおもむろに手を天に向けて突き上げる。集めるのは紫色の魔力。即ち雷属性だ。
「な、何してるの?!!」
急速に濃度を高めた魔力の影響を受けたアターシアは、思わず肩越しに振り返った。収束地点が目と鼻の先にあるからだろうか、中心へ集まっていく魔力の動きを肌で感じることができる。スレンの手にはいったいどれほどの魔力が集まっているというのか。
「アターシア」
「なに?!」
「目を瞑っていて」
「え……?」
「はやく!」
全力疾走中の馬上で? 無茶を言うなとアターシアは心中で悲鳴を上げたが、スレンの掌の上で圧力限界に達した魔力が見たこともない幾何学模様を浮かべているのを目の当たりにして、これは尋常ではないと悟る。呪文があればタイミングもはかれよう。しかし無詠唱ではいつ発動するのか予測ができない。スレンが早くと急かすのならば、それは今すぐに必要なことなのだろう。アターシアは崖から飛び降りるような覚悟できつく瞼を閉じた。次の瞬間、何かが破裂するような乾いた音が鼓膜を劈いた。
それはまさに青天の霹靂。
アターシアが目を開けた時、周囲を囲っていた二十の騎士は、その数を五に減らしていた。十五の騎士はすべてが遥か後方だ。これで引くか、と三人の誰もが思っただろう。しかしこの程度揺らぐ相手ではなかった。
「ちっ、仕方あるまい。囲い込め!」
無詠唱にも、珍しい雷属性魔法――それも大規模なそれにすら反応しない緋色の騎士。そして表情に驚きの色を浮かべつつも、乱れることなく指示に従う騎士たち。
「私たちがいったい何をしたっていうのよ!」
たまらずアターシアは叫ぶ。
「ジフ・ベルディアージ……貴方、本当にあのエルベストルの赤獅子なの!?」
少しでも状況を把握しようというアキュナの問いかけに、緋色の騎士は自嘲するように鼻を鳴らして答えた。
「そう呼ばれていたこともあった。昔のことだ」
「どうして私たちを襲うの! 英雄に襲われる謂われは無いわ!」
「……死にゆく者たちに聞かせる言葉などありはしない」
状況は悪化の一途を辿る。相手には聞く耳もなければ対話のための口もない。さらに最悪なのは彼らの包囲によって進路が予定よりも南にずらされているということだ。このまままっすぐ走り続けてもラベンヘイズには辿り着かない。軌道修正の必要があるが、今の状況では叶わない。それを見せつけるかのように、なだらかな丘を越えた三人の前に、大地に寝そべるように広がる森が姿を現した。
「そんな……!」
絶体絶命か。しかし諦めるという選択はあり得ない。追い立てられるままに坂を駆け下りる。
「あれは……まだ仲間がいたの!?」
そう叫ぶアターシアの声は悲壮感たっぷりだ。スレンが、彼女の肩越しに前方を覗き込むと、森の手前に騎士や魔道師の混成集団が集まっているのが見えた。なんとかしなければと、スレンは再び右手を掲げた。その時だ。
「!!??!?!」
スレンの掲げた右手が何かに押されるように横に流された。何事かと目をやると生白い腕に投げナイフが突き刺さっていた。
「うああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「詠唱がなくとも、予備動作があるなら対応は可能だ」
牽制するように宣言するジフ。だが混乱するスレンに届いてはいなかった。戦場に響き渡るスレンの絶叫。アターシアも、アキュナも、ジフも、並走する騎士たちにも、スレンの動揺を理解することはできなかった。みんな、大袈裟すぎやしないかと不可解さに眉をひそめた。
当のスレンにとっては、腕に投げナイフが突き刺さるというのは、どうしようもないほどに衝撃的な出来事だった。過保護なズウラに育てられたスレンは、今まで怪我らしい怪我など負ったこともなかった。痛みを感じたことはもちろんある。だが、敵意を剥き出しにした相手に、傷を負わされたことはなかった。今までそんなものは大勢見てきた。マリもそういう目にあっていたし、自分が負わせたこともある。だが、いざ自分が傷つけられる立場になった時、負わされた傷が敵意の実体として瞳に映ったのだ。初めて戦いを恐れたスレン。とっさにナイフを引き抜くと、ゴポリと鮮血が溢れでてきた。
死ぬ!
混迷を極めたスレンは暴走する。身を護るために必要なのは暴力だ。スレンが使える暴力は魔法。そのために必要なのは魔力だ。スレンは所構わず、属性すら構わず魔力を集めだした。
通常、魔力が急激に移動するなどありえないことだ。さきの攻撃ではスレンは雷属性に限定して使用したが、今回はすべての魔力を動かした。結果、大気中の魔力に濃淡が現れる。それが波のように交互に押し寄せ、広範囲に渡って影響を及ぼした。ある者は酷い魔力酔を起こし悶絶する。またある者は凍えるように体を抱きしめて蹲った。比較的近くにいたジフたちも、スレンと距離をとり警戒を顕にした。彼らよりもさらに近くにいたアターシアたちはどうだろうか。炎に包まれてもなお走り続けた肝の座った名馬は、前足を高らかに上げ、嘶き、取り乱している。その上のアターシアは振り落とされまいと必死にしがみつくばかり。アキュナも同様に、勇ましく剣を振るう余裕はない。ざわめく空気、地面がうねりを上げているような感覚。そんな異常な戦場のなか、暴れ馬から飛び降りたスレンだけが、嵐のように荒れ狂う魔力の影響を受けずにいた。
まるで坩堝。すべての属性の魔力が一点に集められ、圧縮され、結果、可視化する。赤茶けた虹色に燦めく幾何学模様は火属性と土属性が多い証。やがて圧力限界に達し、現象として実体化する。今まさに身を焦がしながら大気圏を通過してきたような燃え盛る岩石がスレンの頭上に顕現した。
「ちょっと、ス、スレン!」
ソレをどうするつもりなのか。まさかそのまま落下させやしないだろう。そうなればスレン本人とてただではすまない。アターシアの警告にも似た叫びに我に返ったスレンは、自身が巨大な影の中にいることに気づき、とっさに上を見上げた。
「へ……なんだこれ?!」
何か目的があって魔力を集めたわけではなかった。ただそこにあるものを反射的に無作為に集めたのだ。だからこそ、それが事象化した時どんな効果が現れるのか、スレンにも想像しえなかったのだろう。
「投げるならあそこ!」
体勢を崩しながらも、なんとか森の手前の集団を指さしてみせるアターシア。
「う、うん!」
戸惑いを顕にスレンは頷いた。そして腕を振り上げ、本来不要な投げる動作をとる。
「くっ、聖女を逃がせ!」
隣で酷く焦った様子のジフが下の連中に指示を飛ばす。その怒号に反応した集団が白いローブ姿の魔道師を馬に乗せて森の中へと逃がすのをスレンは目撃する。あの白ローブがおそらくジフの言った聖女とやらだろう。彼らにとって重要な人物なのだろうか。ならば彼女を狙ったほうが良いのだろうかともスレンは考えたが、生き延びることを考えれば敵の戦力を削ぎ落としたほうが手堅いと冷静に判断。そして石でも投げるかのように――間違ってはいないのだが――轟々と燃え盛る巨大な岩石を敵集団の中心に落としたのだった。
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