第41話 してぃーがーる

「きっとまた」


 スレンに背を向けて、私はお城の坂を降りてゆく。眼下に広がるのは茜色に染まった大都市アニムの街並み。村から出たことのなかった私は、その壮大な光景にただただ目を丸くするだけだった。


「マリ、何してるの、行くわよ」

「あ、はい!」


 先を行くミザリさんが呼びかけてくれなければ、足を取られて転んでいたかもしれない。





 スレンがアターシアさまにお願いしてくれたおかげで、私は無事に牢屋から出ることができた。なんと銀貨二枚という大金が動いたらしい。もちろんそのお金は返さなければならない。何年かかるかわからないけれど、必ず返そうと思っている。でも、そのためにはまず仕事が必要だ。村にはもう帰れないので、私はミザリさんのお世話になることを選んだ。


 ミザリさんの居城、モール商会アニム支部で暮らし始めて三日後。私は貸し与えられた自室で読み書きの勉強をしていた。なんでも、街で暮らすのならばできるようになったほうが良いとのことだ。今は基本文字を覚えている。

 と、部屋の扉が叩かれ、ミザリさんが軽やかな足取りで入ってきた。そして朗らかな声で、


「マリ、貴女の職場が決まったわよ」


 と告げた。


「ほんとですか?!」


 ペンを走らせる手を止めた私は、知らないうちに立ち上がっていた。


「ええ、歌う小麦亭という酒場よ。モール商会とも付き合いがあるわ」

「酒場、ですか……?」


 私は酒場と聞いてギクリとした。酔っ払った男の人は苦手だったからだ。村でも収穫祭の時だけはみんな、ひどく酔っ払うまでお酒を飲み干したものだ。その後片付けをするのは、いつも私たち女の仕事だった。だから、これから毎日酔っぱらいの相手をしなくてはならないと思うと、ぞっとしてしまったのだ。


「不満かしら」


 あからさまだっただろうか。ミザリさんは腕組みをして、ちろりと私を窺った。


「あっ、い、いえ!」


 慌てて取り繕っても後の祭り。ただ私の不安など、ミザリさんにはお見通しだったようで、彼女は呆れ気味に溜め息を吐きながらも私を勇気づけてくれた。


「そう心配しなくても大丈夫よ。店主のハンスさんは強面だけど優しい人だから。それに、問題のある職場をあなたに紹介するはずないでしょう」


 はずがない、の理由がよくわからないけれど、ミザリさんが大丈夫だと言うのなら、それはきっと本当のことなのだろう。それにせっかく私の仕事を見つけてくれたのだ。感謝こそすれ、尻込みしていて良いはずがない。



 職場となる酒場、歌う小麦亭まではそう遠くない道のりだった。カロア村にいた時の、水汲みに使っていた川までと同じくらい。職場が近いのはひとつ安心できるところだ。

 歩きながらミザリさんは、歌う小麦亭のことを話してくれた。


「他の酒場とは少し違っていて、まあ、すぐにわかるけど、とにかく値段が少し高いの。だから酒場でありがちな、変な客が騒いだっていう話もあまり聞かないわ」

「すこし違う、ですか?」

「ええ。といっても、他を知らなければ何が違うかなんて、見てもわからないかもしれないけどね。そのうち、実感するわ」

「はあ……」


 もったいぶるミザリさん。もっとも、彼女の言う通り、酒場というところに足を運んだことのない私が説明を受けても、きっとピンとこないだろう。


 そうこう話している内に、私たちは目的地に到着した。石造りに扉や窓の木枠がはめ込まれているところは、村もここでも変わらない。けれど、毎日掃除されているのだろう、私の家とは大違いで、造られたばかりのような綺麗な店構えが私たちを迎えてくれた。

 扉のノブには掛札が。基本文字すら覚束ない私は、読むことができなかったけれど、扉をくぐり、お客さんのひとりもいないガランとした店内を見ると、まだ開店前だとうことが想像できた。


「ハンスさーん」


 ミザリさんが店主さんの名を呼ぶ。しかし返事はない。ただ奥から物音が聞こえてくるので、不在ということはなさそうだ。ミザリさんは溜め息を吐いて、所狭しと並べられているテーブルの隙間を縫うように奥へ足を踏み入れた。


 厨房はスイングドアの向こう側にあった。物音はここからしていたようで、なかでは数名の料理人たちが忙しなく働いているところだった。その内のひとりが厨房への侵入者に気づき、振り返った。


「おお、支部長の嬢ちゃんか。悪かったな、仕込み中で気がつかなかった」


 店主さんだろうか。坊主頭に髭面は少し強面だけど、気さくそうな人だ。


「ハンスさん、話をしていた娘、連れてきましたよ」


 ミザリさんの紹介を受けて私は一歩前へ出る。


「マリといいます。これからよろしくおねがいします!」


 ハンスさん含め、手を止めたお弟子さんたち全員の視線が集まって、少しだけ緊張した私だった。



 案内役はミザリさんから奥さんへとバトンタッチ。気の強そうな、けれど気立ての良さそうな方だ。厨房を後にした私が次に案内されたのは従業員用の控室だった。ここで働く準備や休憩を取るらしい。


「準備、ですか?」

「そうよ。その格好で客前にでるわけにはいかないでしょう?」


 農民だったころの私の格好なら、埃っぽくて奥さんの言葉もなるほど納得なのだけれど、今はミザリさんに貸してもらっている服を来ているので、埃っぽいなんてことはない。きょとんとしている私に、奥さんは言葉を追加した。


「そんな上等なものを着て酔っぱらいの相手する気かい?」


 なるほど、納得の理由だった。


 そして奥さんは、代わりの服だと言わんばかりに、一着の服を私に差し出してきた。


「あんたならこれで合うはずだよ」


 折り畳まれた服を広げてみると、それは白と黒のエプロンドレスだった。ドレスといっても、お姫様が着るようなヒラヒラはなく、とてもシンプルなものだ。


「お貴族様のお屋敷じゃあ、もっとふりふりのひらひらを着た給仕が働いているそうだけど、ウチはお貴族様のお屋敷ほど広くないからね。そんなの着てたら引っかかってテーブルの間を通れやしない。でも、エプロンだけじゃなくて、ちゃんとドレスまで貸し出してるのは、ここいらじゃウチくらいなんだよ」


 お高くとまるつもりはないけれど、そこら辺のごろつきが集まるような店じゃないんだと、奥さんは誇らしげに言った。


 このエプロンドレスは制服というものらしい。騎士さまの鎧や、魔道師さまのローブのようなものかしら。みんなでお揃いの服を着ることで、自分がどこで働いているのかを知ってもらうものなんだと奥さんは言った。


「それに何か意味はあるんですか?」


 私が首を傾げると、奥さんは呆れ顔で息を吐いた。


「アンタ、ミザリちゃんの商会のこと、何も知らないんだねえ」

「す、すみません」

「あのねマリ、モール商会っていうのは、とても大きな商会なのよ。お貴族様とも懇意にしているし、いくつかの品に至っては王室御用達の箔さえある。もちろんそれだけ手広く商売していれば、良からぬ輩を相手にしなくちゃならない時がある。だから、モール商会は多数の私兵を抱えているし、臨時で冒険者を雇うこともある。そんなことをしていると普通は街の兵士と険悪になっちまうものなんだけどね、どういうわけか、仲良くやってるらしい。ほんと、どういうわけか、ね。だからモール商会と仲良くしたいって奴は後を絶たないのさ」

「詳しいんですね」

「そりゃあ、この店もモール商会と懇意にさせてもらっているからね。それはこのあたりじゃ知れたこと。だからここで働く娘たちには、制服を着てもらってるのさ。虎の威を借るじゃないけど、まあ、使えるものは使わないとね。ミザリちゃんもそれを見越して、この店にアンタを寄越したんだろうし。別に詮索するつもりはないけど、よっぽど大事にされてるみたいね」


 制服に着替えながら、私は心のなかで奥さんの言葉に首を振っていた。

 大事にされているのは私がスレンと繋がりがあるからだ。スレンは私に気を使わせまいと何気ない振りをしていたけど、あの子は自分が嘘を付くのが下手だということに気づいていない。具体的に何があったのかは知らない。だけど、きっとスレンが私のことに気を回してくれたんだと確信している。


「似合ってるじゃないか」


 黒のドレスに白いエプロンの制服は、ミザリさんに貸してもらっていた洋服と同じようにとても清潔で、村で着ていた襤褸とは大違い。くるりと回るとふわりと膨らむスカートがとても可愛らしくて、つい嬉しくなってしまった。


「それ、結構人気なんだからね。頑張んなさいよ」

「はい!」

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