第39話 図書館探索

 数日後、スレン、ヨルヤ、ミルレットの三人は図書館の会議室に集まっていた。


「それで、収穫は?」


 捜索の結果を問うミルレットに、スレンは短く答える。


「何も」


 一方ヨルヤはこう答えた。


「図書館の見取り図ならあったけれど、城塞のものは見つからなかったわ」


 ヨルヤの前に広げられている一枚の羊皮紙がそれなのだろう。


「ミルレットはどうだったの?」

「……わたくしのほうも良い結果は得られなかったわ」


 ことさら残念そうなミルレット。スレンとしては喜ばしい結果にほっと息を吐きたいところだった。だが残念なことに、これで諦める王女殿下ではなかった。


「騎士団の宿舎は探したの?」


 騎士団はアカデミーの存在する主戦力だ。アニム市が所有するものとは別にアカデミーも所有している。


「そこには手が入れられなかったわ。仮にわたくしの騎士たちを遣わせても、彼らの所属は近衛ですもの。同じ騎士でも指揮系統を別にする者に、ましてや用途が不明なのに地図など見せられるはずがないわ」

「じゃあ手詰まりだね」


 スレンは言い切ってみせる。断定することで結論が出たかのようにミルレットに錯覚させるためだ。


「うーん、けれど一枚しかないとも思えないのよ」


 だがミルレットは、手拍子では答えてはくれない。


「他にありそうな場所といえば……」


 大部屋で、テーブルがあって、椅子もたくさんあってと、地図のありそうな部屋の特徴を再確認するミルレットの横で、スレンはふと、あることに気がついた。


「なあミルレット。大部屋で、テーブルがあって、椅子もたくさんある場所って、ここじゃないか?」


 一番最初、スレンとヨルヤが出会った日、シフォニ語の授業をするためにヨルヤが選んだ場所がここだ。それ以来、集まるときはずっとこの部屋を使ってきた。ミルレットが加わってからも同じだ。

 一瞬、停止したミルレットの思考は、すぐに機能を取り戻し、スレンの言葉を理解する。


「も、もちろん気づいていたわよ?」


 わざとらしすぎて突っ込む気にもならないスレンが、訝しげな視線をミルレットへ向けている傍ら、ヨルヤが会議室に備え付けられた背の低い書棚に近づいていた。本を漁るヨルヤにふたりが気づくのと同時にヨルヤは立ち上がる。彼女の手には、筒状に丸められた一枚の羊皮紙が握られていた。


「これじゃないかしら」


 こういうのを《物見櫓の足元にも火を灯せ》と言うらしい。

 羊皮紙を広げるとミルレットから歓喜の声が上がった。ようやく見つけたアカデミーの見取り図が描かれた羊皮紙の、クルリと戻ってくる両端をミルレットは嬉々として抑え、広げる。


「これで前に進めるわね!」


 喜び勇むミルレットとは対照的に、スレンは酷く後悔していた。いや恨んでいたというべきか。なんて迂闊な口なのだろう。とっさに思いついたことをああもあっさりと考えなしに言葉にしてしまったのか。黙っていればあるいは、ミルレットが諦めるという未来もあったかもしれないというのに。


「本当に探すのか?」

「今更何を言ってるのよ」


 ミルレットはアカデミーと図書館の見取り図を照らし合わせている。その眼差しは真剣そのもの。そしてヨルヤは、その背中を見つめていた。いつもの無表情を顔に貼り付けて。


 危険など気にする様子もないふたりに、スレンは少し大袈裟に心配しすぎたかなと思った。いやいや、昔、同じことをしようとした生徒が死んでいるのだ。注意して、し過ぎることはないと、すぐさま思い直す。そして目の前のお気楽なふたりを見て、


 おれはこのお姫さまたちを守らなきゃならないんだ。いざとなったらアターシアとの約束も……


 と、密かに覚悟を決めた。


「やはり図書館の真下に通路のようなものがあるわ」

「ここは……古代ネユタの書架よ」

「古代ネユタ!」


 地獄の五週間で、アターシアに教わったことのなかに、古代ネユタという単語が登場したのをスレンは思い出す。


 アターシア曰く、古代ネユタとはアグニア国以前に存在した国である。アグニ革命という事件によって滅びた。革命の指導者は魔力の新しい扱い方をもたらした。それは従来の魔術よりも遥かにわかりやすく、多くの者たちに広まった。それが魔法の始まりだ、と。


「スレン、知っているの?」

「ああ、アターシアに教わったんだ」


 あのアターシアが教育を? と、スレンの言葉を疑うヨルヤ。自身の研究時間を犠牲にしてスレンに教育をほどこしたというのに、あんまりだろうか。


「それにしても、これはまた、まるで狙ったかのような場所ね」


 地図を見て、呆れるようにミルレットは呟く。

 古代ネユタを打倒して成立したアグニア国。その伝統を受け継ぐシフォニ王国にとって古代ネユタは紛れもない過ちであった。特に魔術についてはすべてが禁術扱いだ。そもそも積極的に保存しようという流れが生まれなかったために、ほとんどが失われてしまっている。古代ネユタ自体、アグニア国の正当性を証明するためだけに、存在を許されているに過ぎない。だから古代ネユタを研究する学者は皆無だ。正直、素行に問題のある者が古代ネユタの書架に近付こうものなら、異端審問官の機嫌が悪ければ異端者と断定され、即刻火炙りになっても可怪しくはない。そんな場所に誰が近付こうか。ミルレットの「狙ったような場所」というのはそういう意味だった。


 三人は件の現場へ向かう。

 誰も近付こうといない場所。つまり、図書館にあって意味のない場所となる。そんな場所には灯りすらない。幸い蔵書数がそう多くない古代ネユタに割り当てられた区画は狭い。だから隣の区画の灯りが曲がり角から回折してきているため、真っ暗闇ではない。そのわずかな灯りを頼りに三人はこそこそと手がかりを探し始めた。


 地面に隠し扉があるのか、書棚が回転して通路が現れるのか、あるいは低い天井から梯子が降りてくるのか、見当もつかない三人は、すべての面をくまなく捜索する。本に顔を近づけて、さらに睨むように目を細めないと背表紙に何が書いてあるのかすらわからない。中途半端な灯りのせいで黄昏時のような視界になっているなか、スレンは書棚を探した。


 捜索は一日では終わらなかった。翌日も昼休みに集まっては薄暗い場所で目を凝らした。


「わたくしたちがここにいた痕跡を残してはだめよ。本はきちんとあった通りに戻すし、絨毯についた足跡も均さないと」


 そもそも手がかりなど存在するのか、存在したとして本当にこの場所にあるのか。それすらも不明なまま、三人が捜索を開始して三日が経った。


「ん、これ……」


 書架の向こう側の壁を調べていたスレンは、一箇所、煉瓦が外されている窪みを見つけた。棚の奥はますます暗いため、目を凝らしてもどうなっているのかがわからない。指先に触れた感触で壁が途切れていると思い、ペタペタと触ってみて煉瓦ひとつ分の窪みがあるとわかった次第だ。


「その窪みのなかはどうなってるのかしら」


 報告したら当然、調べてみろとのお達しが王女さまから返ってくる。気乗りしないスレンは、しかし二人にさせるわけにもいかずに諦めて恐る恐る窪みに手を伸ばした。と、そこで脳裏にとある悪戯を思いつく。いや、思い出したと言うべきなのだろうか。それはスレン本人ですら理解不能な既知感。


「うわあああああああああ!」


 手を入れた瞬間、突然叫び声を上げたスレンに、ミルレットは激しく取り乱した。予想通りの反応にしてやったりとほくそ笑んだスレンは、さらに袖のなかに手を引っ込めてミルレットの前に突き出してみせる。


「きゃあ!」


 薄暗いなかでもわかるくらい顔を青ざめさせるミルレット。よほど心配したのだろう、スレンが袖口からにょきっと生えるように手を出してみせた後の彼女の機嫌は、すこぶる悪かった。ただ心配しただけではない。自分が巻き込んでしまったせいで、スレンに片腕をなくさせてしまったのだと、途方もない罪悪感に苛まれたのだと、彼女は涙目で主張した。

 そんな可愛げある王女に対し、ヨルヤの反応はかなり淡白だった。曰く、


「どうしてかしら……なんとなく、くだらないことを企んでいるきがしたから」


 だそうだ。よく考えればミルレットのように取り乱して然るべき状況なのだが、酷く落ち着いていられた理由については本人もよくわかっていないらしい。不思議そうに首を傾げている。


「もう、静かにしないとダメなのに。それで、なかには何かあったの?」

「ああ、いや、何もなかったよ」

「本当かしら」


 あんなお茶目をやらかしたのだ。スレンの発言に対する信頼は地に落ちた。だが何もなかったのは本当だった。ミルレットとヨルヤが恐る恐る手を入れて確かめたことでそれは証明された。


「だろ?」

「……この窪みに意味はないのかしら」

「何か嵌めるのかも。ちょうど煉瓦一個分だわ」

「煉瓦っていったって、そんなものどこに」


 当然、そんなものがあればこの三日間ですでに見つけているはずだ。


「じゃあ本は?」


 図書館にある四角いものってなーんだ。本だ。だが問題がひとつある。ヨルヤが言及した。


「こんな小さな本、見たことがないわ」


 あるのはスレンたちでは抱えなければならないほど大きな本がほとんどだ。小さくても流石に煉瓦大のものはない。そしてその煉瓦大の何かが部屋への鍵となるようなものなのなら、部屋の主が大切に保管している可能性がある。さもなくとも物騒な部屋なのは、確定しているようなものなのだから。


「けれど、物騒な部屋だからこそ部屋の持ち主だとわかるような決定的な証拠を持ったままにしておくかしら」


 ミルレットの言い分ももっともだ。部屋の鍵を持ち歩くか、植木鉢の下のような人目につかないところに隠しておくか、今回の場合、どちらであっても不思議ではない。であれば、


「結局探すしかないってことじゃないか」

「あら、この三日間ずっとそうしてきたじゃない。探すべきものの大きさがわかったのだから、偉大な前進だわ」


 簡単に言ってくれるとスレンは溢す。


「だいたいどうやって探すんだよ。もう十分探しただろ。もしかしてアカデミー中くまなく探すなんて言わないだろうなぁ」


 スレンの苦言は的を得ていた。それだけにミルレットは沈黙してしまう。そして半ば自棄気味に、


「見えてる背表紙を一冊一冊書架から抜き取って、その本の奥行きを確かめていくのよ!」


 と豪語して、ミルレットは一冊の本を書架から抜き取った。ただ、その本はあまりにも大きすぎた。


「そんなの取り出さなくてもわかるだろ。背表紙の時点で大きすぎる」


 スレンの言ったとおり、十二歳の彼らでは普通に持つことすら手に余る大きさの本だ。ミルレットの手は重さに耐えきれず、弾くように本を手放してしまう。床に落ちた本はゴンと重い音を立てた。その音に全員が違和感を覚える。いくら大きくて重たい本だからといって、今の音はまるで鉄のようじゃないか。床に落ちた本に視線を落とす三人。


「これは……!」


 真紅の絨毯の上には、薄暗くてよく見えないけれど、煉瓦台の四角い物体のシルエットが本の隙間から覗いていた。本は分厚く、しかしページはすべて貼り付けてあって捲ることはできない。そして中央が切り抜かれており、どうやらその隙間に黒い物体は納められていたようだ。


「本、いえ、箱の背表紙は『腐敗と毒』。誰も手には取らないでしょうね」


 納得する三人。だが、あり得るだろうか。禁忌に触れる本のタイトルが、シフォニ語によって書かれていることなど。

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