第25話 平民の編入生
編入試験に合格してから三日ほど経った今日、スレンはミミに連れられアカデミーの講義棟の廊下を歩いていた。その身に纏っているのはアカデミーの制服。真っ白なシャツに深緑のベスト、それに黒のジュストコールに黒のキュロット。胸には大樹が刻まれた真鍮のブローチが輝き、紫の飾り紐がスレンの歩調に合わせてゆらゆらと揺れている。
制服とは、例えば着る者の身分を保証したり証明したりするもの。例えば着る者に帰属意識をもたせるもの。例えば集団内の連帯感を強くするためのもの。他にも様々な目的・用途が込められるものだ。
制服なのだから皆、同じであることが望ましいが、ここアカデミーは貴族の学校で、通うのは十代前半の多感な少年少女たち。いくら貴族としての教養を身に着けているからといって、他者と違う存在でありたいという願望は隠しきれるものではない。そういった思いが、制服にはお洒落という形で表現される。ともあれ制服だ。無茶な着崩しや改造は禁止されている。融通がきくのは、男子はベスト、女子はソックスやタイツだ。ちなみにスレンのベストは深緑だがこれは魔法都市アニムの象徴となる色だ。
ミミが扉の前で立ち止まる。緊張した面持ちのスレンを見下ろして、
「ふふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。みんないい子たちばかりだから。そうそう、最初に自己紹介をしてもらうから、今度は失敗しないようにね」
と、微笑んだ。スレンが頷くのを見ると、ミミは扉を開く。当然だがとてもあっさりと入室するミミ。スレンは後に続こうとするが、扉のこちら側とあちら側がまるで異質な空間のように思えて、ほんの一瞬だけ躊躇われた。相変わらず表情は強張っている。しかし心は勇ましくあろうと、スレンは一歩踏み出した。
「え?!」
「きゃぁ!」
「あ、あいつ!」
「え、なになに?」
「もしかしてあの子が?」
スレンが入室した瞬間、様々な反応がスレンの耳に届いた。みんな顔を覚えているわけではなく、白髪に灰色の瞳という特徴を覚えているだけだが。
ミミの隣に並び、そしてスレンは、クラスメイトに向かい合う。教室は階段状になっていて、最奥の生徒の顔もよく見える。ふたりでひとつの長椅子と長テーブルを使うようだ。ルニーアクラスの総勢は十八名。そのうち、魔法科が八名、騎士科が十名だ。
「あの方が本当に噂の……その、へんた……なのですか?」
「そのようには見えませんけれど」
事件のことを噂でしか聞いていない生徒たちは、整った身なりをしているスレンを見て、噂の人物がスレンではないのではないかと、疑っている。ランプの色を反射して黄金に光る白髪に、すべてを見透かすような灰色の瞳、伏し目がちな表情も相まってどこか儚げに見える彼は、まるでお伽話に登場する妖精のよう。まさか神聖な学び舎を全裸で徘徊するような頭の可怪しい変質者だとは思えやしない。
「今日はみなさんに新しい仲間が増えます。さあ、自己紹介を」
促された彼は、その儚げな容姿には不釣り合いな力強い目つきで顔を上げ、大きく息を吸った。そして、噂に半信半疑だった生徒――特に女生徒たちのスレンに対する儚げな少年という幻想を一撃で粉砕した。
「おれの名前はスレン! よろしくおねがいします!」
気合が入りすぎたのか、先程忠告されたにもかかわらず「おれ」などという荒っぽい言葉を使ってしまうスレン。たかが一人称の乱れだが、噂を疑っていた生徒たちの意見を百八十度変えてしまうには十分な判断材料だった。
「まあ、なんて言葉遣いなのかしら」
「おいおい、一体どこの平民が迷い込んだんだ」
そして彼らの反応したポイントはもうひとつ。
「あいつ、家名を言わなかったぞ」
「まさか本当に平民?」
「平民が魔道師に?」
「いや、でも過去にそういう例もあるらしい」
「今はいるのか?」
「さあ、聞いたことないけど」
もっとも、アカデミーに通うような平民は、家名を持てるくらい財を成した者だけなのだが。
「はいはい、みなさんお静かに」
ミミが手を叩いて騒がしい生徒たちをたしなめる。ようやく静かになったクラスメイトたちに、ミミは改めてスレンを紹介した。
「彼はスレン。あなた方の想像通り平民の出身です」
再び湧き上がる生徒たちのざわめきを押し返すようにミミは声を張る。
「けれど! あなた方と同じように魔道師の素質があり、それを磨いてきたのです。ここにいるということはそういうことでしょう? つまらない噂よりも目の前の彼のことをよく見てあげてくださいね」
皆が落ち着きを取り戻したのを確認すると、今度はスレンに、
「貴方の席はあそこよ」
と、一番うしろの窓際の席を指さしてみせた。
スレンが指示された席につくと、隣に座っていた男子生徒が身体をずらしながらこそこそと近づいてきた。
「やあ」
淡いブロンドに紅眼を輝かせた少年は声を殺して話しかけた。
「こっ、こんにちは」
いつもありのままの態度で誰にでも接していたスレンだったが、この日この時は違った。少し言葉を吃らせて、相手の様子を伺うように短く挨拶を返す。
丁寧な言葉づかいを心がけようとしたのは、アカデミーでは荒っぽい言葉は好まれないことをアターシアから教わったからだ。基本的な方針はこれで良いとしても、今話しかけてくれた彼に対してはどうだろうか。自分は彼のことを何も知らない。何が好きで、何が嫌いかを知らない。それがスレンの目を泳がせた理由だった。
スレンはアターシアから受けた講義で複雑怪奇な人間社会のことを知った。森での生活は酷く純粋なものだった。腹が減れば食べ、眠くなれば寝る。調理は焼くだけ。服はない。ズウラのおかげでなんとか二足歩行と会話能力は手に入れたけれど、本質的にスレンは純然たる獣だった。それが森を出て、人と交わるようになった。
カロア村に行った時も、最初は緊張してたっけ。
とはいえ、これまでの人間関係は立場が今よりもずっとはっきりしていた。おおよそ救う者か救われる者のどちらかだった。あるいは敵か味方。けれど今はどうだ、自分と彼とは対等だ。そして今後の対応で関係は変化し定着するだろう。できれば仲良くなりたい。だが、決定的にその方法がわからない。早い話、スレンは人見知りをしていたのだ。
「あ、わたしは……」
「ははっ、おれで良いよ。そっちの方が慣れてるんだろう? 言葉遣いも普通でいいさ」
爽やかな笑顔を見せる金髪の少年の言葉に、スレンは逡巡する。まだ基礎すら満足に実践できていないというのに、少年の甘言に身を任せても良いのだろうか。
「わた――」
わたしは、と言いかけたスレンは、少年の紅い瞳が寂しげに移ったのを見た。
「――おれ」
それで良いと言わんばかりの満面の笑みを少年は見せた。
「でも、ミルレット王女殿下の前では、ちゃんとしたほうがいいかもね」
「ミル……?」
「いつも人だかりができてるからすぐにわかるよ。その中心にいる人物だから」
「わかった」
助言を終えた少年は思い出したように再び口を開く。
「あ、私の名前はアルトセイン。アルトセイン・メイオール。アルトでいいよ」
「……アルト」
スレンは、確かめるように彼の名を呟いた。
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