第24話 編入試験

 四日後、スレンはアターシアとともにアカデミーの講義棟の廊下を歩いていた。アターシアはいつもどおり魔道師の装いで、スレンはアカデミーの制服ではなくアターシアが用意した身なりの良い格好だ。廊下には壁掛けのオイルランプの光が転々と続いている。ランプに映し出される影は三つ。スレンとアターシアと、そして、


「ここでお待ちになってください」


 ふたりを案内したメイドのものだ。メイドはふたりが頷くのを確認すると、また来た道を戻っていった。部屋は狭く、少人数――二、三名で使うことを前提に作られているようだ。


「ここは?」


 スレンがアターシアを見上げた。


「試験会場よ」

「シケン?」

「一応アカデミーに入るまでにみんな魔力の操作を習得してくるの。それができなければ魔法を使うことなんてできないからね。まずその前提がスレンに有るかどうかを確認するのよ。ま、スレンなら楽勝だろうけど」

「そうなの?」


 常識を叩き込んだとはいえ、野生と一緒に覇気もなくなってしまったのか、スレンがやけに静かだ。アターシアは顔を覗き込んで「緊張してる?」と尋ねた。


「してない」


 わざと視線を反らし、部屋の角に向けるスレン。どうやら柄にもなく緊張しているようだ。確かに、彼にとって試されることなど今までなかったことだろう。


「これからは試験がいっぱいあるからね、その度に試され、比べられるわよ」


 その言葉にアターシアを見上げたスレン。その喉がゴクリと動いた。


「身構えなくても、あんたならきっと活躍できるよ」


 そう励まされたスレンは、緊張の解けない強張った表情のままコクリと頷いた。


「あ、でも、わかってると思うけど……」

「自分の魔力を使う、でしょ?」

「それと?」

「詠唱する」

「その通り、ちゃんと覚えてるね」


 スレンの魔法は特別過ぎた。無詠唱も、自然界に満ちる魔力を使うことも、ここでは誰にもできやしない。魔法の研究者が多く集まるアカデミーで、そんな特殊なものを見せびらかしたらどうなるか、火を見るより明らかである。アターシアは、自分が《保護》した意味を失わせないためにも、スレンの魔法使用に二つの約束を交わしたのだ。


 ほどなくして小部屋の扉が開かれる。裾を引きずるほど長い黒ローブを纏い、頭には三角帽子。現れたのは年を召した老婆だった。


「お久しぶりです、ミミ先生」


 アターシアが懐かしむような笑みを浮かべて膝をちょこんと折る。


「アターシア、お久しぶりね。この子が?」

「ええ。スレン、挨拶を」


 振られて慌てるスレン。


「あ、お――わたしは、スレンです」


 つい「おれ」と言いかけてしまう。アターシアは額に手を当てて首を横に振ったが、ミミは微笑ましそうにふふっと笑った。


「はじめましてこんにちは。私はミミ・オルディヨール。ルニーアクラスの一年生を担当しているわ。貴方が編入試験にパスできれば、貴方の担任になるわね」


 ミミは部屋の真ん中にあるテーブルに歩み寄った。そして奥の椅子に腰掛けると、向かいの椅子に座るように、スレンに促した。


「さてさて、では早速始めましょうかね」


 ミミは懐から布の包を取り出し、テーブルに広げる。ゴロリと透明な水晶が転がった。手首に嵌めた腕輪を外し、ミミはそれを台座にして水晶を置いた。


「ではスレン、この玉に手を置いて。魔力を込めなさい。大丈夫、いつも通りで結構ですよ」


 ミミの優しい声に少し落ち着きを取り戻したスレンは、言われた通りゆっくりと水晶の上に手を置いた。そして瞑目し、自分の内に秘める魔力を感知すると、いつも自然界の魔力でしているのと同じ要領で掌に集め、水晶玉に流し込んでいく。すると、無色透明だった水晶玉は生命属性の魔力の色――すなわち若草色の光を発するようになる……はずだった。


「……」


 これでどうだとばかりに目を開いたスレンは、ふたりの大人の表情を伺った。彼女たちは真剣に水晶玉を注視している。やがてスレンがこちらを見ていることに気がついたアターシアは「どうしたの、早くしなさい」と、急かしたのだった。


 早くしろって……


 訝しげに視線をテーブルへと落とすスレン。そこには手を乗せる前と同じ無色透明の水晶玉があった。


「あ……あれ?」


 可怪しいな、アターシアの言う通り緊張してるのかな。そう思いながらもリトライ。魔力を感じ、腹の底から押し上げるようなイメージで腕の付け根に集め、そこから押し出すように掌から水晶玉へと送る。


「あらあら、普段はできているのでしょう?」

「ええ、それはもう――」


 それはもう、そこら辺の魔道師なんて話にならないくらいに。そう言いかけて、アターシアはあることに気がついた。彼女ははっとしてスレンを見る。うんうん唸りながら必死に魔力を込めようとしている白髪頭の旋毛が揺れている。アドバイスしてあげたいところだが、これは試験。アターシアには見守ることしか許されていなかった。



 当のスレンは困惑の渦中にあった。


 くそっ、くそっ、どうして上手くいかないんだ!


 スレンは今、初めて自分の魔力を使おうとしているのではないか、というのがアターシアの推測だった。これは半分正解で半分は不正解だった。厳密には、自分の魔力を外に出そうとしたのが初めて、だ。魔力自体は身体能力の強化などで普段から使っていたから。しかし自分の魔力を外に出せないというのは魔道師としては致命的な欠陥だ。もはや魔道師という呼称からして相応しくないだろう。

 ただ、考えてみればスレンが自分の魔力で魔法を使った経験がないのは当然のことだった。自然界に満ちた魔力を使えるというのに、どうして自分の魔力を使おうか。魔力が減れば疲れるのだから、わざわざそのような愚行をとる必要はない。現状は、その合理的な選択の結果だった。だが、だからといって諦めるわけにはいかない。自分もあのキラキラした場所へ行きたい。その一心で、スレンは己の内に秘める魔力に向き合い続けた。


 ――と、


「あ!」


 まるで自分の事のような驚きの声がアターシアから上がる。スレンも気づいた。


「やった!」


 それはランプの灯りにも負けそうなくらい淡い若葉色の光だった。だが成功は成功だ。ふたりは同時にほうと安堵の息を吐いた。油断して消えそうになる光をスレンは慌てて持ち直し、アターシアに目配せをすると、彼女もそれに応え、安心させるように力強く頷いてみせた。

 歓喜に満ちるふたりとは対照的に、ミミは呆れたような息を漏らした。アターシアからの推薦状には優秀だと記してあったのに、現実は吹けば消えるような弱々しい光で胸をなでおろしている。アターシア・モールは大言壮語など吐くような生徒だったろうか。ミミは学生だった頃の彼女の背中を思い出す。そしてすぐに、どうしようもないくらいリアリストだったと、疑問を否定した。


「先生!」

「え、ええまあ、そうですね。問題……ないかはスレンのこれからの努力次第ですが、ともあれ編入の基準は満たしていますね」


 その言葉にスレンは目を見開き、


「おめでとう、スレン。貴方の編入を許可いたします」


 というミミの宣言にスレンは「やったぁ!」と声を上げた。握りこぶしを天高く突き上げはしゃぐスレンを咎めようかとアターシアは思ったが、今だけはと、その気持をぐっと抑え込むのだった。

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