「そんな特別なところに入れてもらえるのですか」
都心の高層ビル群の明かりが大きくなってきはじめた場所で、ヨシキさんは首都高速を降り、交通量の少なくなってきた夜の市街地を縫うように走り、広い駐車場でクルマを止めた。
「あのビルの24階が、オレの部屋だよ」
そう言ってヨシキさんは、夜の空にそびえ立った高層マンションを指さした。
期待と不安がいっそう高まってくる。
今からあの部屋でヨシキさんと…
「今ならまだ戻れるよ」
「え?」
「あの部屋に連れて行けば、オレはもう止まらない。凛子ちゃんのこと、奪いつくす。
それがイヤなら、今のうちに帰った方がいいよ。ちゃんと送るから」
決心を迫るように、ヨシキさんは意地悪げに少し微笑んだ。
また挑発しているのだろうか。
「大丈夫です。いやじゃないですから」
わかっていても、その挑発に踊らされるわたし。
不敵に微笑んだヨシキさんは、クルマを降り、助手席の方に回って、ドアを開けてくれた。わたしは黙ってクルマを降りる。ヨシキさんはわたしの手をとり、マンションのエントランスをくぐった。
エレベーターで24階まで上がり、ヨシキさんは部屋のドアを開けて、わたしを招き入れてくれた。
なかに入ると、微かに鼻腔をくすぐる、ヨシキさんの香り。
ここでヨシキさんは、日々の生活を送っているんだ。
そう実感する。
玄関に入るとすぐに小さなキッチンがあり、その向こうはベッドや机のあるスペース。正面の大きな窓からは、カーテン越しに都会の夜景がぼんやり映えて見える。
10帖程度の部屋を、ヨシキさんはうまくレイアウトしていた。
窓辺の壁には、簡素なパイプのシングルベッド。
その前には小さなテーブルと、いろいろな生活雑貨の置かれたローボード。
ベッドの隣には机とスチールラックが並んでいて、狭いワンルームマンションには不釣り合いな、大きなパソコンとプリンタが備えられている。カメラ類は向かいの壁のキャビネットに収納されているみたいだった。
わたしは本能的に、女ものの小物やカップなどがないか、目で追った。
しかし、男性が使うような機能的な雑貨ケースや、地味な食器類しかなく、女性の匂いのするようなものは、意外にも、部屋の中には見当たらなかった。
「綺麗にしているんですね。小汚くなんかないです」
「今日はラッキーだったよ。先週のコミケ前までは修羅場で悲惨な散らかり方だったけど、ちょうど昨日掃除したばかりだから」
「ここへはお友達も、よく来るんですか?」
「ミノルがたまに来るくらいだな」
「女性の、お友達とか…」
「ああ。オレ、うちに女の子を上げない主義だから」
「そうなんですか?」
「引っ掻き回されるの、嫌いなんだ。この部屋はオレだけの、特別な空間なんだよ」
「でも、わたしは…」
「凛子ちゃんはもう特別。お茶でも飲む?」
「ありがとうございます。いただきます」
「アイスティでいい?」
「はい」
「じゃあ、適当に座ってて」
そう言うとヨシキさんはキッチンに立ち、ケトルをガスレンジにかけた。
テーブルの前に座り、わたしはヨシキさんの仕草を見ていた。
お湯が沸騰するあいだ、冷蔵庫から氷を取り出してふたつのグラスに入れる。てっきり、できあいの紅茶が出てくるかと思っていたが、ヨシキさんは紅茶缶を開けるとお茶の葉を
その姿が
家事をしてくれる女の人は、いないのかな?
そんなことをつい、考えてしまう。
「すごいです。ちゃんと葉から淹れて下さるんですね」
「まあ、ね。特別なお客さんだから、気合い入るしね」
「いえ… ヨシキさんは、お料理とかもされるんですか?」
「ああ。ひとり暮らしだから、家事はひととおりこなせるよ」
「男の人がキッチンに立っているのって、なんだか新鮮です。うちの男はだれも家事しないから」
「ふうん。古風だね」
「そうなんです。封建的で、いまだに男尊女卑の考えが強いんですよ」
「大河ドラマとか見てても、昔の薩摩ってそんなイメージだよね」
「…ええ。ほんとにあんな感じです」
話しをしながら、わたしの隣に座ったヨシキさんは、グラスを目の前のテーブルに置き、頃合いを見計らって、ティーサーバーの熱い紅茶を注ぐ。
カラカラと、氷が溶けていき、熱いお茶と冷たい氷がグラスのなかで混ざり合う。
そのさまをじっと見つめていたヨシキさんは、ふと、わたしに視線を移すと、ニッコリと微笑んで言った。
「凛子ちゃんが『変わりたい』ってのも、わかる気がするな」
「どうしてですか?」
「凛子ちゃんに、男尊女卑なんて似合わない。
自己主張がしっかりしてて、負けず嫌いで、黙って男に従うだけの女じゃないもんな」
「それって、褒めているんですか?」
「最大級で褒めてるつもり」
「父も兄も、『慎み深くてしとやかで胃袋を満たしてくれて、いつでも男を立ててくれる女が、男は好きだ』みたいなことを、いつも言っていますけど、ヨシキさんは違いますね」
「まあ。一般的にはそうかもな。でもオレは、手応えのある女の子の方が好きだな。凛子ちゃんみたいな」
「…ヨシキさんの好みは、少し変わっていますね」
「そうかな? まあ、オレだって、いつでも『男』を『立てて』くれる女の子は、好きだけどな」
「?」
「あはは。悪りぃ。
凛子ちゃんにはまだ通じないギャグかな。とりあえず乾杯しよう。今日の記念すべき夜に」
つづく
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