第4話 責任の取らせかた

 騎士団宿舎の自室に戻り、勢い良く扉を閉める。

 コレットの腕を投げるように解放すると、セルジュは襟元のタイをほどき、上着を脱いで椅子の背凭れに掛けた。手袋を机の上に投げ捨てて、シャツの胸元を荒々しく寛げる。一部始終を見ていたコレットが、小さく息を飲み、心許なげに視線を彷徨わせた。

 セルジュの一連の行動は毎日の習慣から無意識にとったものだったが、コレットには何やら誤解を与えたようだ。黙りこくったまま顔を俯かせると、彼女はベッドの端にちょこんと腰を下ろした。


 気まずい沈黙が部屋に降りる。勢いに任せてコレットを部屋に連れて来てしまったものの、庭園から宿舎までの長い道中でセルジュの頭はすっかり冷え切っていた。

 冷静になって考えれば、先のコレットはセルジュを心配していただけで、別段おかしな言動はしていなかった。

 セルジュの女性恐怖症の元凶がコレットであることに間違いはないが、今回の件に関して言えば完全な八つ当たりでしかない。だが、そうとは理解していてもつまらない意地が邪魔をして、セルジュは素直に頭を下げることができなかった。


 机と椅子とベッドとチェスト、その他に何もない狭い部屋にふたりきり。女性恐怖症の身には些か辛い状況を、セルジュは自ら作り出してしまっていた。

 この状況をどうしたものかと打開策を考えていたところで、衣擦れの音が微かに響く。ハッとして顔を上げたセルジュの目に、ベッドの端に腰掛けたまま胸元のスカーフリボンをほどくコレットの姿が映った。


「何をしている」

「何って……するんでしょう?」

 素っ気なく応えて軽蔑するようにセルジュを睨め付けると、コレットは腰の後ろに手を回し、今度はエプロンの紐をほどいた。

「ちょ……っと待て、何か誤解が」

「仲良くするって、ですよね?」

 狼狽えるセルジュの足元に白いエプロンがはらりと落ちる。ぞんざいに革の靴を脱ぎ捨てて、コレットが脚を引いてベッドの奥へと後退った。

 膝を立てたせいでスカートの裾が持ち上がり、白い靴下を穿いた脚がちらりと覗く。身動ぐたびに徐々に露わになる白い下肢からセルジュは目が離せなかった。

「おまっ……ちょ、いいから落ち着け」

「わたしは落ち着いてます。セルジュさんこそ、無理矢理部屋に女の子連れ込んでおきながら、今更怖気付いたんですか?」

「ち、違う! そんな目的で連れて来たわけじゃない! 犯罪者を見るような目で俺を見るな!」

 真っ赤に染め上げた顔をベッドから背けつつも、セルジュの視線はふらふらと吸い寄せられるように捲れ上がったスカートの中へと向かってしまう。慌てふためくセルジュを見ながら、コレットは艶やかに榛色の瞳を細めてみせた。


「……っていうかお前、軽蔑していると見せかけて実は誘っているだろう!」

 不自然に捲れあがったスカートを指差してセルジュが声を張り上げると、コレットはちろっと舌をのぞかせて「バレたか」と小さく肩を竦めた。

 白い下肢をスカートで覆い、ベッドの上にぺたりと座り込む。へへへっと無邪気に笑われて、セルジュは深い溜め息を吐いた。

「相変わらず純情なんですね」

「お前は以前にも増して破廉恥になったがな」

 動揺を誤魔化して突き放すように言い捨てる。

 一瞬、コレットが傷付いた表情を見せた気がして、セルジュは慌てて話を続けた。

「……まあ、安心しろ、絶対に手出しはしない」

「絶対って、わたしが相手じゃそういう気分にならないってことですか?」

「何もお前に限った話じゃない。言っただろう、女性が怖いと……その、つまり……」

 視線を落として口籠るセルジュを見上げ、コレットは少し前のめりになってセルジュの顔を覗き込む。

 いつになく深刻な顔付きで彼女はその言葉を口にした。

「もしかして、勃起不全ってやつですか?」

「おまっ……!」

 ただでさえ紅かったセルジュの顔が茹でだこのように真っ赤に染まる。つぶらな瞳を瞬かせるコレットにセルジュは勢い良く噛み付いた。

「仮にも婚前の娘で……貴族令嬢だろう! もう少し慎しみを持った発言をしろ!」

 感情的に喚き散らしたものの、コレットはあくまで澄まし顔だ。息を切らして睨みを利かせるセルジュを前に、彼女は悪怯れもせず反論した。

「それを言うなら、こんなシモの話をわたしに振ること自体が間違ってるんじゃないですか?」

「振ってない!」

「……あれ?」

 わざとらしく肩を竦める姿が小憎らしい。

 ふん、と鼻を鳴らし、そっぽを向いたセルジュに、コレットは尚も興味津々といった様子で続けた。

「でも不能なんですよね?」

「……誰のせいだと思っているんだ」

「わたしのせいなんですか?」

 小首を傾げて訊ねられ、セルジュは力強く頷いてみせた。

 セルジュにトラウマを植え付け、人生を狂わせたのはコレットだ。他の何が間違っていようと、これだけは譲れない事実だった。

「それに、不能では語弊がある。……全く勃たないわけではない。いざという時に緊張しすぎて萎えてしまうだけだ」

 勢いに任せて暴露して、馬鹿正直に話したことを後悔した。いい加減冷静になれと自分自身に言い聞かせ、セルジュは軽く咳払いをした。

「……まあ、勃つ勃たないの話はどうでもいい。問題は女性恐怖症のほうだ。護衛騎士を続ける以上、今日のように女性に触れられるだけで失態を犯すようでは流石に不味いだろう。こうなったのはお前の所為でもあるわけだし、少しくらい協力して欲し……しろ」

 腕を組んで踏ん反り返り、せめてもの虚勢を張る。

 セルジュの言葉にくすりと笑うと、コレットはさも愉快そうに頷いた。



***



「ここに砂時計がある」

 そう言って棚の上の砂時計を手に取ると、セルジュは机の上でそれをひっくり返してみせた。

 淡く色付けられた砂の粒が小さな穴からさらさらと零れ落ちていく。榛色の瞳を輝かせて、コレットは愉しそうにその様子に見入っていた。

「お前には、毎晩この砂が全て落ちきるまでの十分間、俺の手を握ってもらう」

「そんなことで良いならお安い御用です」

 セルジュがぶっきらぼうに告げると、コレットはぱっと顔を上げて躊躇いなく頷いてみせた。


 口先だけならどうとでも言える。

 少年の頃、ダンスのレッスンで大声で馬鹿にされた屈辱を思い出しながら、ベッドに腰掛けたままのコレットと向かい合う。差し出された小さな手に恐る恐る手を伸ばし、セルジュはごくりと息を飲んだ。

 ほっそりとした指とかたちの良い薄桃色の爪。触れた指先は少し冷たく、包み込んだ手のひらはしっとりと柔らかかった。

 セルジュの額に汗が滲む。部屋にふたりきりという状況に今更緊張してきたのか、それとも手が触れ合っているせいか、心臓が耳障りなほどにばくばくと音を立てていた。

 じっとりと背筋を伝う汗が気持ち悪く、嫌な汗がシャツの脇や背中をぐっしょりと濡らしていた。握り締めた手のひらは既に汗だくで、コレットの指が手の内でぬるりと滑った気がした。

「……手汗すごいですよ」

 あっさりと指摘され、セルジュはぎくりと身を強張らせた。

 予測できていたものの、その言葉はセルジュが苛立ちを覚えるには充分すぎるもので、セルジュのこめかみにうっすらと血管が浮かび上がった。

 ‎——万が一にも気持ち悪いなどと口にして手を放そうものなら、無理矢理にでも捕まえて、指の先から上腕まで手汗を塗りたくって、それこそトラウマになるほどぬるぬるにしてやる!

 そう息巻いたセルジュだったが、事態は予想外の展開を迎えた。繋いだ手を黙ってみつめていたコレットが、あろうことかセルジュの指に自分の指先を絡めたのだ。

 指と指のあいだにぬるりと指先が滑り込み、肌の表面を親指が丁寧になぞる。ぞくりと肌が粟立って、思わず熱い吐息を漏らしそうになった。

「座らないんですか?」

 空いたベッドを視線で指され、セルジュはハッと我に返った。

 大きく首を振り、コレットの隣に腰を下ろす。木製のベッドがぎしりと軋んだ音を立てた。


 砂時計の砂が流れる清らかな音が室内に響く。

 手を繋いでからの数分間、セルジュはひたすら前方の壁を睨み、シミの数を数えていた。相変わらず全身が不快な汗をかいているが、決して嫌な気分ではない。

 隣に座るコレットは暇を持て余すように脚をぱたぱたと動かしているものの、先程から黙りこくったままだ。普段が騒がしいだけに、大人しくされると余計に調子が狂う気がした。

「その……小説を書いていると言っていたが、どんな話を書くんだ」

 視線を壁に向けたまま、セルジュが思い切って口を開く。ぱたぱたと動いていたコレットの脚が止まり、榛色の瞳がセルジュの顔に向けられた気がした。

 ややあって、セルジュの耳に緊張感のかけらもないコレットの声が届いた。

「期間限定とはいえせっかくの王宮勤めですし、この経験を活かして嫉妬と陰謀に塗れたどろっどろの人間関係を巡るめくるめく官の——恋愛小説でも書こうかと思ってるところです」

「お前今官能小説って言いかけただろう」

 呆れたように呟くと、コレットは「えへ♡」と肩を竦ませて悪戯っぽく微笑んだ。


 不愉快なだけの相手だと思っていた。それなのに、不思議と憎めない気がして。

 セルジュはふたたび口を閉ざし、壁のシミの数を数えはじめた。

「……本当に手汗すごいですね」

「うるさい黙れ」

 素っ気ない言葉を返すたびに、彼女は愉しそうにくすくすと笑う。

 胸の鼓動は未だ落ち着きを取り戻してはいなかった。けれど、セルジュはいつの間にか、この状況に不思議な心地良さを感じはじめていた。

 砂時計の砂がすべて零れ落ちるまで、あと少し。


 この日から、セルジュの毎日におかしな日課が加わった。

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