春はまだ青いか

月波結

春が来た

 ピンポーン、とチャイムが鳴って、うちのおかんがバタバタと玄関に出る音がする。窓の下をのぞくと、紙袋を提げた女性がぽつりとたたずんでいた。


 ここからだと、玄関先の紫木蓮の花が邪魔をして、よく見えないが、アイボリーのプリーツスカートをはいているところから、若い女性だろう。保険の勧誘……にしては、格好がイマドキだ。


「はーい、今、出ますから」

 うちの玄関は引き戸だ。母親はガタガタと雑にドアを開けた。

「ごめんください。ご無沙汰してます、おばさん」

「あらー、春ちゃんじゃないの?上がっていって、ね?」


 春。高遠春タカトオハルは、オレのうちの裏に家がある。確か、今年、東京の大学を無事に卒業したと聞いたのだが。

「久志、春ちゃんだよ。あんた下りていらっしゃいよ」


 めんどくさい。

 確かに小さいころは春とよく遊んでやったけど、年の差が五つもあるし、遊んでやったのはほんの短い間だ。いまさら会っても『ご近所さん』以外の何者でもない。


「ほら、久志!お菓子もいただいたから。なんだっけ、東京名物の、テレビでやってたやつよ」

 ……勘弁してほしい。東京バナナだろう?そんなに大騒ぎするほどのことでもない。

 みんな、東京土産はそれを買ってくるし、オレだって買ってきたじゃないか。もう忘れたのか。おかんもいよいよボケ始めたのか。


 仕方がない、とあきらめて腰を上げると、とんとんとん、と軽いノック音がした。


「久志さん、開けても、いい?」

 どきり、とする。

 すごく久しぶりに聞く春の声は、大人になっているはずなのに透き通っていて、学生時代の合唱コンクールをなぜか思い出した。

「あー、汚いけど」

 煙草の火を消して、窓を少し開ける。臭いより、寒い方がましだろう。


「ご無沙汰しちゃったけど、戻ってきました」

「何、東京は肌に合わなかったの?」

「ううん、肌には合わなかったかもしれないけど、大学は楽しかった」

 自分でもちょっと冷たい言い方だったかもしれないと思い、他の話題を探す。


「あー、あれか?やっぱり一人娘だから帰ってきなさいって言われた?こっちは田舎だから、あっちの方が楽しいよな、うん、オレもそう思うよ」


 春はオレの部屋の、煙草の灰が落ちてるに違いないカーペットの上に腰を下ろした。

「母さんに座布団持ってきてもらおうか?」

 突然のことで、あたふたする。ずいぶん、この部屋に女のコを呼んだ覚えがない。

「ううん、大丈夫」


 体育座りした春は、おっとりした表情でオレを見ていた。そこには特に何の感情も見られなかった。でもオレには都会に出て彼女の何かが明らかに変わったと感じられた。


 無意識に煙草に火をつける。カチリ、とライターをつけてそれに気がつく。

「煙草、平気?消した方がいいよな」

「いいの、大丈夫だよ」


 春もあわてる。お互いに何かがギクシャクしている。なまじ、互いのことを知っているから気まずいんだ。

 大したことを知っているわけではないが、一緒に過ごした時間が妙な配分で存在するから、意識してしまう。今のオレたちと、むかしのオレたち。


「久志くんの言う通りなの。親にね、帰ってこいって言われちゃって、反対を押し切れなかったの」

「そっか。オレは長男だからどうしても帰ってこいって言われてやっぱり断れなかったから、わかるよ」

「……。久志くんが暮らしてたところに行ってみたかったの」


 

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