現実世界は整“心”院から

@sbso1996iaia

序:疲れた心に

僕は走っていた。いつも乗る電車の時間はまだまだ先だ。それでも走らなければいけなかった。特急の通過時間まで、もう時間が無いから。


毎日毎日、僕はただ苦しんでいた。同級生の意味の無い行動のせいで。誰一人助けてくれない世界のせいで。──何一つできない自分のせいで。毎日、そんな生活に終止符を打ちたかった。テスト勉強も手につかなかったほどだ。


『鶴岡将人』と書かれたIC定期券を握りしめ、素早く改札にそれを触れさせた。階段を駆け下りた。息が切れる。誰もいないホームの先に立つ。

『1番のりばを、特急列車が通過します。危ないので黄色い線から──』音が遠ざかる。視界の端、高速で迫る青い列車。あれだ。つま先から伝わる凹凸。踏み越える。重心を前に傾け、重力に身を任せる。そっと目を閉じた。何も見えず聞こえない。あと少しで楽に──


「おや。決断するには若すぎやしないか?」


ふと。聞こえた声に目を開ける。身体の感覚が全て戻る。自らの頼りない2本の足が、しっかりと地面についている。先程視界の端に見えた電車が、風を引き裂きながら背後を通り過ぎた。そして目の前には、背の高い1人の中年男性が立っていた。

「う、わっ!?あ、え……なんで」

「驚いたよ。目の前で君が急にバランス崩しちゃったんだから。ともかく、間に合って良かった」

思わず頼りない声を出してしまった僕に、おそらく声の主であろう彼が柔らかい笑みを零した。人懐っこいような、それでも年季の入った年齢相応の表情だ。それはともかくだ。僕は電車に飛び込んだはず……

「ん、その顔は……まさか自分から飛び込んだのかい?それはすまなかった、余計な事をしてしまったかな」

朗々と語る彼。その顔と言葉からは嫌味を全く感じさせなかった。

「……夢か?」

頬を勢いよくつねる。鋭い痛みが走った。夢じゃないみたいだ。……でも、それはおかしい。そもそも飛び込む直前、だれもホームに居なかったのだから……

「ハハハ、そこまでせずとも夢じゃないよ。もうすぐ次の電車が来るからね、今日はそのまま帰るんだよ。……ああ、そうだ!明日は水曜日だから、丁度いい。明日ウチの店に来ないかい?」

彼はそう早口で言いながら、僕にひとつのパンフレットを渡してきた。表紙を読み上げる。

「……整心院?」

聞いたことがない言葉に首を傾げる。

「そうだよ。毎週水曜日だから、丁度明日空いてる。どういうのかはそれを読めば分かる。来る時はそれを持って来ないと入れないからね」

「怪しい店なのか?」

「まさか!ちゃんとした場所だから大丈夫さ。宗教勧誘とか危ない薬を売りつけたりもしないよ」

色々と聞いたけれど、嘘を言っている感じはしなかった。


「……おっと!もうこんな時間だ。そろそろ仕入れ先に行かなくちゃならないんだ。って事で僕はそろそろ行くよ」

「あ、あぁ……そうだ、貴方の名前は?」

不本意とはいえ、一応命の恩人だ。名前くらいは聞かないと……

「僕の名前?……あぁ!秋永だよ。秋永浩志。普通の名だろう?じゃあ僕はそろそろ行く。ちゃんと帰って、良かったら明日おいで、将人くん」

そう言って彼は、駅の階段を登っていった。

直後、いつも乗る時間の電車が目の前に止まる。すっかり話し込んでしまったようだ。

そういえば。

「──僕の名前、あのおじさんに教えたっけ…?」

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