ロスト・アーカイブ

黒猫工房

Prologue 暗闇からはじまる異世界

 停電か!?


 仕事から帰ってすぐにノートパソコンの電源を入れ、コンビニ弁当で簡単な夕飯を済ませつつ、発売日当日に入手したアプリゲームの公式ガイド本に目を通す。


 そんな日常の安息タイムを満喫していた俺は、突然漆黒の闇に包み込まれた。

 咄嗟にテーブルへ置いていたスマホを握ると、続いて激しい揺れに襲われる。


 おいおい今度は地震かよ!最悪!


 あ、パソコンヤバくね!?

 

 思いのほか長く続いた地震のさなか、自分の身の危険よりもパソコンの安否を気にするあたり、俺はどうかしてるなと後から思った。


 縦揺れから始まる地震が一番ヤバい。

 この時はまさにユラユラズズン!ではなくズドングラグラ!

 

 ワンルームマンションの五階に住んでいたから、逃げ出すにしろ揺れが治まらないことにはどうにもならない。

 スマホを握ったまま中腰の姿勢でふらつきながら壁にもたれかかり、ひとまず俺は玄関を目指すことにした。


 揺れのせいでドアが変形し、出られなくなってしまう恐れがある。

 何としてもドアを開けておき、様子を見計らってから避難するつもりだった。


 あ、ノーパソ忘れた。


 暗闇の中、足先の感触を頼りに靴を履いた俺は、土足だということを躊躇せず部屋へと引き返す。



 ゾクリ。


 悪寒が走った。



 !?……ふと何かを踏みつけたような感覚があった。


 独身ながら不測の来客に備えて部屋は常に片づけている。

 激しい揺れのせいで棚から落ちたのものを踏んだのかと思った。

 フィギュアでなければ本の類でもない、柔らかく纏わりつくようなこの感じは布系のようだがクッションとかではない。

 答えを導き出せない俺は、その場で動きを止めた。


 途端に揺れが嘘のように治まり、静寂が訪れた。

 揺れの大きさは体感で震度4以上はあったかに思われた。


 だがまだ余震が来ないとは限らない。

 じっと耳を澄ませ、異変の気配を感じとる。


 こんな時はパトカーやら救急車などのサイレンが遠くで響いたり、隣近所の人達が慌てふためく様子などがドア越しに伺えるのだが、それらが全くなかった。

 揺れの割に大した被害が出ていないのだろうか。

 しかしまだ安心は出来ない。


 はあ、と溜め込んだ息を思い切り吐き出すと、鼻から思わぬ異臭が舞い込んだ。


 くさっ!何だこの汗と黴の濃厚なブレンド臭は!?

 

 悪臭の元になるものなど当然俺の部屋にあるはずが無い。

 ペット禁止のマンションだし、生ゴミはこまめに出していたのだ。

 靴の臭い対策は万全だし、あの程度の揺れで自分の下半身が緩んだとも思えない。


 暗がりに慣れてきたのか、視界の端にぽつぽつと薄明かりが見え始めた。

 蛍光灯とは違う、どこか危うい感じの蝋燭の炎のような灯。


 ごくりと息を飲み、気になっていた足元にゆっくりと視線を向けると……



 薄汚れたローブを身に纏った、白骨化した人体が倒れていた。



 うおっ!



 反射的に飛び退いた俺は即座に周囲を見渡した。


 明らかに快適な日常が詰まった俺の部屋とは全く異なる、石造りの壁と床はまるで西洋の地下室のような場所。


 もしかして……俺、あの地震で逝っちゃったのか?


 何かの拍子で転んでしまい、頭の打ちどころが悪かったのかも知れない。

 もしくは一瞬のうちにマンションが倒壊して圧し潰されてしまったのだろうか?


 今の状況を把握出来ない俺は、精神的に不安定な状態に陥りつつある事を自覚して少し焦りを感じた。


 いやまだ死んでしまったとは限らない。


 異世界に飛ばされた、なんて考えなど及びもしなかった。

 体には何の衝撃も痛みすらも感じていなかったからだ。


 恐る恐る白骨化した死体へと歩みより、この場所の手がかりを探ろうとした。


 マンションの地下に、……こんなところあるわけないよな。


 仮にそうだったとすれば、かなりヤバい場所に俺は住んでいたことになる。

 背筋に冷たいものが走った。


 ?


 よく見れば白骨は丸い円の図形の上に倒れていた。

 その図形にはどこか見覚えがある。


 大小異なる円が複数重なり、その隙間は文字らしき記号で埋め尽くされていた。 

 俗にいう魔法円陣。

 

 赤黒い塗料みたいなもので描かれていたのと周りが暗かったこともあって、すぐにそれとは気づかなかった。


 何だっけ?

 最近というか、しょっちゅう見てた気がするんだけどな。


 記憶の糸を辿り始めた俺は、ふとスマホの事を思い出した。

 もしやとは思っていたが、掴んでいたはずの左手にそれは無かった。


 だよな……やっぱり俺、死んでしまったのか……。

 まあ苦しまず、痛みを感じずだから、良かった方なのかな。

 

 ……


 !?


 ……


 俺の左手の甲が蒼白く輝き、そこには紋章のような刻印が浮かび上がっていた。

 間違いなくこれにも見覚えがあった。


 魔法円陣と紋章。

 その二つが俺の記憶の中で繋がった。



 ロスト・アーカイブ。



 気づけば帰宅してすぐにジャージに着替たはずなのに、俺は今、ゲーム世界でよく見るような黒衣のローブを着込んでいるではないか。


 ゲーム世界なのか?


 即座にそんな考えが浮かんだ。



 スマホアプリゲーム「ロスト・アーカイブ」。

 基本料無料アプリ内課金有り……の、ごくありふれたゲームの一つだ。


 魔法円陣はガチャ画面で見慣れたもの。

 紋章はプレイヤーが選択中のジョブを示すためのものだ。


 仮にゲーム世界だったとしてだ、お決まりのウインドウはどこにあるんだろうか?


 自分の生死、現実と幻想、俺はそれらを一時忘れ、俺は思いついた仮説が正しいか否かを確かめることにした。


 まずはVRゲームでは定番の操作方法を試してみる。


 右手の人差し指を横に振ってみたが、ウインドウらしきものは現れず。

 続いて両の手の平を合わせても何の変化も無い。


「メニュー」、「システム」、「コマンド」。


 関係がありそうな単語を声に出してみても反応は皆無。


 苛立ちを感じた俺は、半ば投げやりな気分になって魔法の一つを唱えてみることにした。標的になりそうなもの……右手を白骨死体に向けた。


 一息入れてから、声に力を込める。


 どうせ出る事なんてないだろうけど。



焦熱炎獄メギドバーン!!!?」



 白骨死体が瞬時に現れた強烈な爆炎に包まれ灰になった。

 熱気が辺りに充満し、不快な悪臭が消えた。


「ああっ、ごめんなさい、すいません」


 こうなると思っていなかった俺は、灰となった白骨へ激しく頭を下げる。

 こちらに害のない相手に対しての一方的な冒涜、と思えたからだ。

 とは言えおかげで確信を得ることが出来た。


 次にやってみることは……。


 左手の甲にある紋章に、そっと右手で触れる。


 ひと際強い光が放たれると、左手の上に半透明の画面が浮かび上がった。


 よしっ!


 タブレットほどの大きさの画面には、使い馴染んだアイコンが整然と並んでいた。

 画面は再度紋章に触れると消え、表示させるにはまた触れればよいだけだった。


 考えるべきことは他にもあったのだが、俺はとにかく画面内容の確認を優先した。

 操作方法はスマホと同じで、画面のアイコンをタップするだけだ。

 メニューから他の項目を呼び出しさっと目を通す。

 

 プロフィール、リスト、アイテム、アーカイブ……。

 実際のゲームとは違っていくつかの項目が消え、かなりシンプルになっていたが、無くて困るとは思えなかったので気にはしなかった。


 逆に新たに追加された項目がいくつかあり、中でも目を引いたのが「アーカイブ」という項目だった。

 そこには地名のような単語が並んでいたのだが、触れても何の変化が無いので保留にする。


 文字はすべて見たことのない記号ばかりなのだが、何故か読めるし理解が出来た。

 これについては当然スルー。

 呼吸が出来る理由を考えるようなものだし、今は余計な時間を費やしたくない。


 まずはプロフィール。

 

 自分を指すであろう紋章の隣には現在の職名、その下には選択式の装備項目と使用可能なスキルの一覧があった。

 ゲームでは職ごとに使用可能なスキルは限られてたのだが、すべて常時使用可能。しかも数が恐ろしく増え、見知らぬ名前のスキルも追加されていた。

 ひとつずつの確認は後にして、次はリスト。


 リストの項目はキャラ、武器、防具、ルーンと分かれていた。

 キャラの一覧を呼び出すと、そこにはアイコンではなく名前が列記されていた。


 


 §§§




 大学卒業後、仕事の関係で満足な時間が取れなくなった俺は、パソコンからスマホへとゲームの母体を切り替えていた。


 スマホアプリゲームの手軽さは、自分の生活スタイルにあっていたし、他にこれといった趣味のない俺は、課金に対してもそれほど抵抗はなかった。


 ロスト・アーカイブの魅力は、サポートキャラクターが職を選択できるという点であり、それが数あるアプリゲームの中から選んだ理由となった。


 レアリティによってサポートキャラクターの育成上限レベルと習得出来る職の位階や数に制限があったものの、自分の手でオリジナル要素を追求出来るので、自由度の高さが他のアプリゲームとは比べ物にならない。

 そのためキャラクターへの思い入れがかなり強くなるのがこのゲーム最大の特長と言えた。


 見た目に拘らず、妥協さえすればそれほど課金することもないのだが、事前情報でキャラクターが期間限定で排出されることになった時は、さすがに俺もそれなりの投資を覚悟した。


 そのキャラクターの名前はモナ・アイギス。


 最上級レアSSRキャラクターの中でも稀少なバランスタイプで、上限レベルを解放するまでの育成行程が他キャラと比べて手間がかからないことから、事前情報の段階で入手推奨ランキングが当時1位となった。


 ただし入手確率アップ無しという状況での登場だっただけに、プレイヤーの不満が一挙に爆発したといういわくつきのキャラクターでもある。

 極低確率ではあるものの、出現期間中にガチャを回した回数に応じて、交換可能なチケットが配布されたこともあり入手難易度そのものは高くないとは言えたのだが、「課金の戦姫」という不名誉な二つ名がつけられたキャラクターだ。


 自分の場合は、運良く10連を3度回しただけで引き当てることが出来たのだが、チケット交換で入手したという話が少なくなかった。




 §§§




 キャラクターを呼び出したらどうなるんだろう?

 一覧を見ながらふとそう思った。


 この世界の摂理がゲームに準ずるものだったとしたら……。


 自分でも自然と息が荒くなっていたことが分かった。


 考えてもみろ、大好きなキャラクターが人として現れるのだ。

 膨大な時間とリアルマネーを費やした相手でもあるのだから、恋愛感情以上の思い入れがあって当然だった。……まあ、一人や二人ではないんだけどね。


 やばい、どうしよう……。


 大学で初めて合コンに参加した時以来の緊張感に襲われた。

 ちなみに俺、社会人になってから彼女ナシ。


 覚悟を決めた俺は、そっと震える指先でキャラクターの名前に触れた。




 ――――轟雷。




 蒼い雷の巨木が爆音と共に俺の目の前に出現し、消えた。


 立ち昇る陽炎の奥に人影。


 片膝を床につき、首を垂れた姿勢でそのキャラクターは最初の言葉を紡いだ。


「モナ・アイギス、盟主の命によりここに……」

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