漆章:前夜編

双頭の

 夏の、海に攫われた日から、また幾分か、空気と光が、熱を増したように思える。一夜達は入院の必要がある者も含めて一度、亥島に戻り、必要な仕事を幾つか体力が万全な人間に適当に投げ、それぞれで休養を取るために、海では全くの無駄となった水着を使うべく市民プールに行ってみたりと、それなりの楽しみ方で、各々、夏を満喫していた。

 そんな中で、時々行方不明や大量失踪事件の重要参考人になっては授業の受けられないことがあった一夜や真樹、ヒヨ、フセ、カズ等は、久しく通えていなかった中学校に呼び出され、補習を受けていた。他の一般生徒たちは、中学校で自殺が起きたり、近所の高校で大量死が起きたからと、一学期中の封鎖が決まった亥の島中学校には来ず、違う地区の中学校に行くなどして、対応があったらしい。ただ、宮家の関係者であるという理由で、彼等は他の中学校に代わりに授業を受けに行くと言うようなことが出来ない。故に、封鎖が終わったという夏休みの中学校に、暫く着ていなかった学校制服を着て、通学しているのだ。

 そして、一年生として通う彼等は、一つの教室に集められ、三人の教師を前に、それぞれ二枚ずつ、計六枚のプリントを配られ、椅子に腰かけていた。


「はい、皆さん。不貞腐れないでください。俺だって夏休みに補習なんてしたくないんですから。お互い様ですよ」


 頬杖をついて睨む一夜に、樒がそう言った。一年生のクラス担任の一人である樒は、一緒に行方不明になることがある仲だが、夏休みまで共に授業をする仲になるとは、一夜は予測していなかった。


「今日は社会、理科、国語のプリントですから。貴方達、案外頭は良い方ですし、教える教員も三人いるんです。すぐに終わりますよ」


 樒がそう言った先、同じく毒花の者共に属す二人が、黒板の前で立ち、採点用の赤いペンを持ってにこやかに微笑んでいる。理科教師であり、真樹とカズの担任である君影と、国語教師であり、光廣の担任である弟切である。


「プリントはどうでも良いんだ。すぐ終わるからな」


 教員の三人を見つめて、一夜が放つ。その眼光は、一部、疲れを見せていて、言葉もためらっているようであった。


「それより、何で陰陽師の奴らがいない。笠井と三輪はどうした」


 その言葉に反応したのは、二人の担任も務める、君影である。


「管理課には通うのがこの中学校でなくてはいけないという決まりはありませんし、管理課そのものにも教育カリキュラムがありますから。何より、君のように、管理課をあまり好まない宮家も多いですから。こちらに来て孤立するよりも、来ないで孤立する方が、気が楽という話かと」


 へらへらと、君影がそう言って、プリントを配り始める。内容は極々簡単な知識問題ばかりであった。それに続いて、樒と弟切も、それぞれのプリントを渡し、身を引く。


「もう夏休みも中盤。他の一般の子達も部活動なんかをやりに来てるから、出来るだけ静かにね。終わった人から採点して、全部に丸が付いたら、帰ってもらっていいから」


 わからなければ教えるしね、と、弟切が微笑む。そうして教師らしく三人は、それぞれ、呼び止められればその席に向かい、紙に向かって赤い水性ペンやらボールペンを立てた。


 暫く経って、一度も教員の名を呼ばず、ただシャーペンを走らせるばかりだった一夜とカズが、ほぼ同時に、採点にそれぞれ、君影と樒を呼んだ。その近く、フセの席で、弟切は古文の一つに線を引いていた。


「豊宮君はともかく、一夜君、早いね」


 ふらっと弟切はフセと共に一夜達を見る。カズのプリントを淡々と見る樒と、一夜のプリントをペンを回しながら見ていた君影は、顔を見合わせる。樒がカズを見て、溜息を吐いた。一方で、一夜は君影に苦笑いをかけられる。


「答えはあってるんですけどねえ……」

「えぇ、答えはあってますよ。答えは」


 君影が一夜の目を見て、その瞳の見えぬ目で訴えた。


「シャーペンで書いてるんですから、出来れば楷書にして欲しかったですね」


 君影が見て苦く笑う先、一夜の筆跡は、実に達筆な、崩し字である。下手という訳ではない。そういった文字に慣れている人間であれば、毛筆に置き換えればそれなりに上手いとはわかる程度である。ただ、一般的な人間が見て、それを読むことが出来るかと言えば、否であろう。

 そう言われた一夜が不貞腐れるように、ふんっと、目を反らす。


「若、貴方についてはまずその万年筆持って来るのやめてください」


 カズの持つペンを指さして、樒がそう言った。その手には、年季の入った万年筆が一つ、ペン回しの遊具にされている。


「しかも答えが時々アルファベットになってますよ。日本語かカタカナに直すかしてください。サラッと理科用語までドイツ語やら英語になってるじゃないですか。やめてください。今日は良いですけど、二学期の定期テストでは他の社会科の先生に褒められたとしても俺権限で落としますからね」


 お前にそんな権限あるのかよ、と、カズがぼそりと呟く。樒がそれを拾って、ぶつけるように言った。


「俺も新米教師という訳ではないですし、何なら俺達は校長にも物言いできますので。お忘れなく」


 貴方達の従者ですから。と、付け加えて、樒は黙る。そうである。ここは、宮家の子女が通う、少しばかり特殊な中学校なのだから、毒花の者である彼らが、その肩書よりも上位にいたとしても、これと言って、間違いはない。


「そういえば、君影先生や弟切先生も、カズ君みたいに、この学校の誰かのお世話をしてるの?」


 ふと、教室の中、真樹がそう問うた。それに対して、ペンをポケットに収めた君影が、一夜のプリントを回収し、真樹の傍にしゃがみ込む。


「さて、どうでしょう。佑都君は、というより、豊宮君は佑都君が自分の従者であると公開していますが、意外とそういうのって、佑都君レベルの仕え人の扱いとしては、少数派なのですよ」


 君影がそう言うと、真樹は首をかしげる。そんな彼の様子を弟切が笑って、黒板にチョークを当てた。


「いい機会だ。柳沢君や片山君もそろそろ知っていて良いはずだし、休憩がてら、僕達について少し教えよう」


 弟切は毒花と書くと、そこに、七つの名を当てる。


「樒、君影、弟切、三枝、鬼灯、裸女、飛燕。この七つの毒花が、それぞれ別々の方針や特性を持って、宮家に仕えたり、宮家に仕える者を育成してる。そして、各家内で、血筋を除いた純粋な実力によって、順位を決めている」


 七つの名の下、それぞれ、知っている名や、見知らぬ名、空白を詰めていく。樒の下の元治という名が書かれたとき、一部が、一夜を見た。


「その順位の最高位が各家の方針決めや、所属する個々の仕え先の斡旋、宮家との関わり方を決めるんだ。今書いたのはそれぞれの最高位の人」


 弟切がそのまま続けて、元治の名下に線を引く。


「樒家最高位は一夜君の父親である樒元治。佑都君の義兄でもあるよ。最近あんまり表に出てこないし、今は千宮家との関わりが深いから、君達と関わることが少ないかもね。因みに佑都君は樒家の第四位。樒家は百人ちょっとと、毒花でも一番人数が多いし、かなり実力者なんだよ」


 そう言って、弟切が次の名を差す。それを見て、真樹が君影を見る。


「君影家の最高位は何を隠そう、亥の島中学校理科教員の、君影きみかげたくみ。君達の目の前にいる匠君だね。君影家は人数がちょっと少なめだけど、全体的に生まれついて基礎能力の高い人が多くて、女性だと宮家に嫁ぐ人も多いんだ」


 君影が胸を張るでもなく、真樹に微笑む。真樹の方は何処か、カッコいい物を見たとでも言うように、見えない尻尾が全力で振られるようであった。


「そして、僕が所属する弟切家だけど、ここは元々、宮家にも他の毒花にも、内部の順位を公開してないんだ。知ってるのは各毒花の最高位や、弟切の人間を使ってる一部の宮家くらいかな。僕も自分の順位や最高位の人が誰だかは知らなかったりする」


 でも僕だってそこそこ強いんだよー、と、弟切は付け置く。


「三枝家の最高位は女性であることが多くて、今は三枝さえぐささきさん。この学校の体育教師である三枝みのりちゃんのお母さんだよ。娘であるみのりちゃんは修行中とは言ってるけど、第三位の実力者。三枝家は少し厳しい所で、所謂七つの能力じゃなくて、心技体、武術など、肉体的な能力を重視する面が強いよ」


 みのりちゃん、という言葉に、ふと、一夜が首を傾げた。美人だが力に任せて語るところの多いあの女性教師を、ちゃん付けで呼ぶ弟切が、不思議でたまらなかったのだ。


「次が鬼灯家だね。ここの最高位の人は最近変わったばかりで、鬼灯ほおずき来夏らいか君って言うんだ。黒稲荷高校で体育を教えてるから、そのうち会うだろうね」


 さて、と、一息入れて、次の裸女を差す。その名はまた、見たことのない物であった。


「裸女家の最高位は少し不思議な人で、ここ数十年変わったって話が無いんだよね。名前は裸女らじょ道春みちはるさん。女性の方だし、年齢は聞かない方が賢明だね。前にどっかの樒なんとかっていうお兄さんが最高位って知らなくて口説こうとして年齢を尋ねたら、鼻折られたっていう話もあるからね」


 気を付けてね、と、弟切が樒の顔を覗く。白々しい目で、周囲の子供の視線を集める樒は、目を反らすように、窓の外を見ていた。


「最後に、飛燕家。飛燕家は美男美女揃いで、順位付けにもその美貌が加味されてるって噂があるんだ。それの裏付けみたいに、最高位の人も凄い美人な男の人なんだよね。名前は飛燕ひえん八雲やくも。僕の同級生なんだ。お姉さんの玲子れいこさんも第三位で美人で、黒稲荷高校の物理教師なんだよね」


 長くなった話の中、飛燕という名を聞いて、ぞくりと背を震わす樒がいた。青い顔で、弟切に語る。


「あの人は確かにとんでもない美人ですけど、中身は三枝先生を優るゴリラですからね。何なら飛燕家は大体精神ゴリラですから。ゴリラに失礼なレベルでゴリラです」


 樒がゴリラの何を知っているのかはわからなかったが、兎に角、樒が手に入れらるような、軟な女性ではないらしい。


「いや、お前、自分の魅了に掛からない女は大体ゴリラって呼ぶじゃん」


 主人であるカズの言葉に、何も言わず、飲み込んで、樒が手に持ったプリントで顔を隠す。その様子を無視して、真樹が不思議そうに、もう一度、問題を提起した。


「で、その、順位の高い人達の中で、樒先生が少数派っていうのは、どういうことなの?」


 その質問に、近くにいた君影が、また目を見て答えた。


「そもそも最高位の人間は、その家の運営に携わりますから、一部の場合を除いて、一人の人間に仕えるということをしないんです。例えば、元治さんとは会ったことがあるとは思いますが、あの人は各宮家の重鎮から出される依頼を請け負ったり、研究をしたりして、一人の人間を守ったり、一人の人間の為に動いたりすることはしていません」


 そして、と、君影は続ける。


「順位は上になればなるほど、守護者ではなく従者の仕事が増えるんです。従者として仕えれば、主人の命令で暗殺や情報収集の仕事が増えます。そうすると、誰が主人かわかっていると、姿が目撃されただけで、その主人が従者を使って何かしようとしていることが、バレるわけです」


 秘密の厳守を謳う彼は、一瞬、薄っすら目を開く。その瞳は光の無い闇の底のようであった。真樹が息を飲む。


「そうなることが無いように、上位に立つ毒花の者は、殆どの場合、自分の主人を明かしませんし、主人も従者がいることを明かさないことが殆どなんです。宮家でも、相手が従者を持っているのか尋ねるのは、暗黙のタブーとしています」


 だから、と、君影は片目を開いて、真樹を見る。口に人差し指を当てる。樒や裸女にしてもそうだが、何処か、毒花の者というのは、異形的な雰囲気をまとわせているようだった。真樹が、その異質に当てられて、わかったと言うように、こくりこくりと首を縦に振る。


「まあ、柳沢君や片山君は実際、宮家の血筋かと言えば微妙だし、単純に一夜君とつるんでるだけだから、知らなくて当然さ。末端の支族の子にも知らないって子はいるし」


 でも、と付け足して、弟切がまた言った。


「一夜君や豊宮君と今後もよろしくするなら、知っておいて損は無いね。宮家はかなり歴史を持つから、よくわからないルールも多いし。少しずつ知っていけばいいさ」


 ハハっと、軽快に弟切は笑う。大人しく聞いていた皆も、その話の最中、筆を動かしていた者が多く、樒が黒板を拭いていると、弟切や君影が呼ばれ、採点を始める。その様子を見て、一夜が席を立った。


「俺は終わりってことで良いんだよな」


 弟切の話を心底つまらなそうに聞いていた一夜は、気怠そうにそう唸る。うん、という弟切の言葉を聞くと、じゃ、と皆を置いて、廊下に出る。ガラガラと扉の音が鳴った。


「俺は樒と用事があるし、終わるまで帰れねえな」


 カズがそう言っていると、立ち止まっていた一夜の傍に、羚が駆け寄っていた。どうやら、彼も三年生の教室で似たようなことをしていたらしく、夏の制服を着て、同じく三年生の葛木や、光廣、晴嵐と共にいるようである。


「珍しい面子だな」


 カズがそう零すと、自己解決したように、あぁ、と、もう一度笑う。


「真夜の見舞いのメンバーか、アレ」


 自問自答で解決した中、その言葉を聞いて、疼く三人がいた。


「僕も早く終わらせて真夜お姉ちゃんのとこ行きたい!」


 急いで筆を走らせる真樹の傍で、ぼそりと弟切が、漢字間違えてるよ、と、言って、興奮を抑える。その傍で、フセとヒヨが顔を合わせた。


「アンタ、見舞いはいつ行くの? 真夜さん、お礼したがってたわよ。アンタのおかげで皆に何処にいるかすぐにわかって、助かったんだって」


 フセが問うと、ヒヨが言葉を抑えて、ペンを走らせながら言う。


「……すまん。俺はあの病院には暫く、近づかないようにしようと思ってて……見舞いの品だけ渡すから、お前行ってくれ」


 ヒヨがそう答えると、フセがまた一種の嫌悪を魅せる。


「アンタそれ五月からずっと同じこと言ってるけど、そろそろしゃっきりしなさいよね。真夜さん、それには関係ないんだから」


 いい加減にしてよ、と、フセが、ヒヨを殴りつけるように唱える。一夜に見えない所で、二人、悪態つくのは、いつものことであった。次々に、採点が終わっていく。既に一夜達は傍にはいなかった。


 フセより前に、ヒヨと真樹がほぼ同時に、課題を終えて、席を立つ。真樹はすぐにフセの傍に駆け寄って、机を覗き見た。


「フセちゃん、理科が苦手なの?」


 真樹の目先、フセの消しゴムの跡が多いのは、理科のプリントで、何度も書き直して、ボロボロになりつつあった。


「違うわ、社会以外全部出来ないのよ。未だにこっちの原理に慣れてないから」


 フセの零した言葉に、真樹は首を傾げながら彼女の筆の終わりを待つ。カズも半分まどろみながら、机に突っ伏し始める。もうすぐ、昼時の、ランチの時間だった。フセの腹から、可愛らしい音が聞こえる。


「……一夜が居なくて良かった」


 顔を赤らめながら、真樹に首を傾げられながら、フセはもう少しで見える終点に、急いで駆け込んでいた。

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