伍章:最一編

嘆くかな

 酷く、全員が混乱している中で、一番混乱を極める思考を手に持っていたのは、カズであった。暴れる一人の小柄な少年を押さえつける自分の父親と、それを手伝う自分の従者と、それをにこにこと笑顔で見守る少年の母親、文という構図に、情報量の多量さに、脳味噌がパンクしている。手元を見ようと、その父の手を見るが、今までに見たことも無い速さで、事を運びつつある。それが置いてけぼりにされているようで、何故か寂しさがこみ上げる。情報の速度は既に倍速を超えていた。


「佑都、応急措置だけでもやる。ベラドンナを呼べ」


 何故自分がいるのに手伝わされないのだろうと、その恐れも抱いた。異常で、且つ緊急の事態に、自分が対応しきれていないからだろうか。そう、考えを巡らせる。そうして、思考の中に入り、周囲を遮断した。


「千寿香、カズトを受け止めなさい。そろそろ脳内麻薬が切れる」


 カズを見ることも無く、一姫はそう、カズの目線をはじき返す。ぐらりと、視界が揺れて、いつの間にか千寿香の顔と天井が視界に入っていた。足に力が入らず、背から崩れ落ちたのを、千寿香が受け止めたらしい。一夜を押さえつける応援をしていたノアも、心底驚いたような声を上げていた。


「そのまま一回寝なさい。一夜君はこっちでどうにかする」


 いやだ、と言おうとした。その前に、先程まで呆然としていた文夜が駆け寄る。


「ついさっき自己とこの子の命を容易く天秤にかけた奴が、こんな状態のこの子の傍にいてはいけない」


 駆け寄った文夜に、一姫はそう言って睨む。その殺気に、その場にいる全ての者が怯んだ。


「君も元治も、手前のわがままで命を弄んだ前科がある。今回だけは絶対に触れさせない。今、君が身代わりに使われていないのは、カズトのおかげだと肝に銘じなさい。そうでなければその命、この子の為に奪い踏み潰してやるところだ」


 牙をむいて、手を止めて、去れと、一姫は唸る。苦しそうな一夜の声で、止まっていた手を再度動かす。袖から延々と出す呪符付きの包帯で、一夜を巻いていった。動きが少しずつ落ち着いていく一夜は、目元と口元以外を残して、殆どが布に覆われる。一つ、呼吸を置いて、一夜は咳き込んで口を動かした。


「他人ん家でよそ同士が喧嘩するな。クソ」


 ハッキリした口調で、一夜はそう喉を鳴らす。


「一夜!」


 細好がそう言って駆け寄ると、一姫は一仕事終えたと、畳の上に腰を落ち着ける。足を摩って、自身の痛みを受け入れているようであった。


「痛みはどれくらい引いたかな」


 一姫がそう尋ねると、一夜は上半身を起こし、浴衣の裾をグッと握る。


「半分と少し。それ以外は痩せ我慢」


 ふむ、と、汗で濡れた襟元を一姫は仰いだ。その様子を見ていたカズは、自分も畳に座り、力を抜く。


「……話も何も見えてこないんだけど」


 カズがそう尋ねると、一姫が笑って、カズの頭に手を伸ばす。


「会議のときに、羽賀屋の君影の子が教えてくれた。予知があると。一夜君が倒れる。人類には耐えられぬ痛みを背負って。それでこっちに駆けつけた。お前が無理していることもわかっていたしね。危険なとき、助っ人は必要だろう?」


 こそばゆい様な、何故だか嫌なような感覚が、カズの中で這いずり回った。千寿香がふわりとスーツの上着をカズにかける。


「何が助っ人だ」


 ふと、そう細好が呟いた。その声にカズが目を向けると、泣きそうな、それでも辛うじて怒ったような顔で、細好が声を震わせていた。


「一夜の体にある字の列は魔法だろう? 一夜を苦しめたのは魔女だろう? お前たちが全部仕組んだんじゃないのか? お前たちが一夜を殺そうとしたんじゃないのか?」


 その声に、真樹もびくりと肩を震わせる。カズは脳が狼狽えていた。情報のパンクと耳鳴りに、処理が追いつかない。


「悪いけど、それは答えとして合っていない。考え方としてはらしいけどね」


 おいで、と、一姫は細好に手を向ける。一夜を守るように、細好は前に出た。


「魔女には歴史がある。宮家とほぼ同等、遡ればそれ以上のね。だからこそ、我々にも古すぎてわからない情報がある。一夜君にかけられた魔法がそれだ。これは原初も原初、何が元となったかもわからない古代魔法の一種だろう」


 一夜の布を一部捲りながら、一姫はそう答えた。細好は未だ信じきれていないようで、唸ることをやめない。そのうちに、真樹も傍に寄り添って、元より近くにいた樒のシャツの袖を握る。


「……だから、根本的な治療、解呪は出来なかった。出来る限りの対症療法だ。体をさっき弄ったとは言え、これ以上は何が起きるかわからない。魔術も魔法も、魔女の血が入ってない宮家には、どうしても毒になりやすいからね」


 それに、と呼吸を置いて、一姫は一夜の手触って、指を持つ。


「他人が明確な殺意を持って主人を傷付けようもんなら、こうなる」


 ゴキンッと音が鳴って、一夜の指が手の甲の方向へぐにゃりと曲がった。一姫が平然と子供の骨を折ったことと、痛みで唇を噛みしめる一夜に驚いていると、一夜の背の襖が音を立てて文字通り粉砕される。一夜すら踏みつける勢いで、巨大なそれが、一姫に向かって吠えた。


 それは金の毛束を持ち、金の鱗を持ち、海をすっぽり収めたような瞳に、狂気的な感情を抑え込んでいる。


――――龍、と、呼ぶのだろうか。これは。


 確かにこれは、金色の龍である。神というにふさわしい、龍だ。見えるその特徴的な頭で、十分、巨大さと神々しさを現していた。ただ、それは狂気を孕んで、自分と、一姫を見ている。その狂気はその頭から流れ落ちる、黒い液体が醸し出すのだろうか。鱗の禿げた部分、折れた角、口、目から、溢れ出す液体は、ねっとりとしていて、おそらくは血液であることを予想させる。唸り声を上げる度に、カズ達の顔に飛沫が刎ねる。


「落ち着けよ。今のは幻術だろう? 考えもせずに出て行ったら、自分でプチっと踏み潰してしまうよ。それじゃあ」


 よく見ると、一姫は、数人の子供をその腕の中に抱え込んでいた。一夜、細好を自分の体に寄らせている。ノアと樒はいつの間にかカズの隣で座っていた。


「いつの間にいたんだお前ら」


 カズが尋ねると、樒はにやりと歯を見せて笑う。


「一夜君が起き上がってからずっと、ですね」


 遊ぶように、全て予想通りというように、彼は蛇の姿のベラドンナを撫でる。それは優美で、妙な高揚感を与えた。


「……後で君も治療してあげよう。大丈夫。君の二人の主人はちゃんと、今は俺が責任もって守るよ。君は今は、君のことだけ考えなさい」


 そう、一姫は金龍の鼻筋を撫でた。ぼたりと血液を垂らすと、金龍は何かに納得した様子で、襖の中の暗闇に消えていく。落ちていた血液達も、蒸気を上げていた。


「あぁ、勿体ない。佑都、乾いた瓶でもペットボトルでも良いから何か持ってきなさい。これは人間が混じっちゃいるが、龍の血は凡庸性に富む。体力の強化、夜のお祭りに最適だ。中々高く売れるぞ」


 そう言った一姫にパッと離された一夜と細好は、揃って畳にへたりと座る。所作を似させた二人は、また似たような顔つきで、一姫を見上げた。


「豊宮はこう、悪趣味だから嫌なんだ。他人の神経を逆なでするのが大好きだろう、お前らは」


 細好がそう言って、ぷいっと、顔を背ける。真樹のいる場所まですり寄ると、真樹を一姫から遠ざけるように、カズから遠ざけるように、ずりずりと引っ張った。ハハっと一姫が笑うと、一夜は溜息を吐く。


「豊宮は俺達と違って、見てる世界が違いすぎる。信仰対象を材料と言い、売るだのなんだのと、社会的なことに繋げる。俺達宮家は本来、そういうことには触れないように避けるのが暗黙の了解だ。物体として残る形で一般人にも流れるような商いはしてはいけない」


 一夜がそう言うが、カズはそれを聞いて鼻を鳴らした。


「別に宮家としてそういう活動をしてるわけじゃない。龍の血を使うのも、商人を輩出したのも、豊宮家としてではなく、魔女の家としてだ」


 元よりあまり良い空気ではなかった空間が、更にその熱を極める。だが、その熱も一姫の一声によって冷や水をかけたように、書き消える。


「下らない事について、あまり熱を上げて議論しないように。これから暫く、一夜君は暇にならざるを得ないかもしれないが、カズ、君は忙しくなるんだからね。こんなところで騒いでいる暇はないよ」


「はあ?」


 カズの声が上がると、一姫はゆっくりと微笑んだ。そのまま一夜の冷や汗ついた手袋を剥ぎ取って、その手でカズを撫でる。


「レイヴンで義母様に連絡しなさい。この国にある知恵だけじゃ対処しきれない」


 使いどころを見ていたその鴉は、ふわりとカズの頭に乗った。撫でることを止めた一姫の手は、離れかけに、レイヴンを撫でる。


「ふむ、なんだ、あちらも用意ができているじゃないか」


 わけがわからずに、一姫がレイヴンを撫でるのを見ていたカズやその周囲は、揃って首を傾げる。文も、離れて見ている文夜も、元治も、ただ黙ってそれを見ていた。一姫はレイヴンの頭を指の腹で撫でて、ゆっくりと笑う。


『――――何だい、全く、どうせこれに気づくのも遅れるんだ。こんなのに何の意味があるんだい』


 流暢な英語で、レイヴンの鳴き声、否、ピリリとした女性の声が響いた。その後ろから、彼女を宥めるような、低音の女声が聞こえている。


「グランマ?」


 思わず、声が出た。正真正銘、その声は、カズの母方の祖母、西の魔女である。裏に聞こえるのは、おそらくだが、一姫の母であり、カズのもう一人の祖母である北の魔女であろう。これはメッセージであるから、声をかけても無駄だと察知して、カズはその先を聞き入った。


『あぁ、全く。全くだ。何故お前はそっちに執着するんだい。面倒なことに巻き込まれると知っているくせに。こちらの仕事もちゃんと考えて行動してほしいもんだよ全く』


 勿体ぶるように、彼女はそう続けていく。一人、苦虫潰した顔をしているカズを、一夜が困惑した顔で見ている。


『古代魔法の出現を、レイリーが察知した。まあ、使うと簡単にバレるレベルで、あれは周りを変動させちまうからね。察知してすぐにこの子を送らせてもらったよ。何が起きるかわからなかったし、お前で対処できる問題でもないだろう。それだけ伝えたかった。お前だけじゃできない。その土地にいる間は解決できない。そんな教育底辺のクソ国家でなんちゃってガールフレンドを待って、甘ったれた生活してる時点で無理だね!』


 グッと怒りがこみあげて、頭の上のレイヴンを引き裂いてしまいたくなるが、これが手紙の一種だということを考えて、周りには事情も知らぬ者が殆どだということも考えて、なによりレイヴンが可哀そうだと、そのこみ上げる怒りを飲み込んだ。ずるりと、その、レイヴンの喉から、袋が落ちて、カズの胡坐の中に落ちた。獣の吐瀉物の臭いが染みる。


『土産を三人持ってきな。アンタは許可証を持ってるから要らないだろう。その三つは土産達の分だ』


 フッと、西の魔女は息を吸った。


『知りたくば賢者の元へ。身に付けたければ師共の元へ。待っているよ、私の最高の弟子。いつだって、お前が私の元に戻ることを、私が許可する』


 長ったらしい、暴言と綺麗ごとの羅列が、終了を告げる。その合図に、レイヴンはカズの機嫌を見るように、足元に飛び降り、カアと一鳴きした。


「……随分、口の悪い方ねえ」


 ふと、遠くから見守っていたらしいテトリンがそう呟く。その言葉が、凍り付いていた空間を動かす。ふむふむ、と、一姫が唸ると、またゆっくりと笑った。


「どうやら、行かねばならないらしいね」


 にこやかな笑顔を向ける父親とは裏腹に、カズは、何もない空中を一心不乱に睨みつけていた。他人の感情に無関心な一夜でさえ引きつるその表情は、ごった返す状況の理不尽さと、祖母の火の付け方に起因している。どうにも、奴は自分を怒らせないと気が済まないらしい。


「……俺は英語がわからんので何言ってるかわからなかったが、とりあえず、カズが何か愚弄されていたんだということだけはわかった。で? これは、何か俺に関してのことなのか?」


 一夜が絞った声で、皆に問う。少々の怒りを抑えたカズが、不調な機嫌のままに、言葉を紡いだ。


「お前にかかってる魔法について、俺のババア達が何か知ってるらしい。それを知ることを餌に、一度奴らの前に赴けと。その時に、三人誰かを連れて来いと」


「何故三人も誰か連れてかなきゃいけないんだ。一人で行きゃ良いだろ。それこそ従者でもなんでも連れてきゃいい」


 一夜の言葉は最もだと、細好もうんうんと頷く。しかしカズは溜息をして、重く黙る。代弁するように、一姫が笑った。


「佑都と千寿香はこの国から出る許可が貰えないんだよ。それに、知らない人を同行させて面会するのは、西の魔女のマナーみたいなものなんだ」


 ふうん、と、興味なさげに一夜は鼻を鳴らす。怒りから、困惑に既に切り替わっていたカズの顔は、眉間に皺が寄っている。さて、誰を連れて行こうかと。一夜はここから持ち出せない。細好は襲われやすそうなので却下。真樹も同じ理由につき却下。最低限、自分で身を守れそうな人間であらねばならない。そう言ったとき、まず出てくるのは、よその守護者の誰かである。


「カズ」


 呼ぶ声を聴いて、父を見た。


「一人は私に選ばせてくれ。うってつけが一人いる」


 手袋を指で治して、一姫はまた笑う。どうも、彼の焦りを知らない表情が、気味悪くて、一瞬目を逸らした。


 そして二人を絞らねばならないと、また、頭を絞る。


「カズ、俺にも一人、行けそうな奴がいるんだが」


 珍しく好意的な言葉を向ける一夜に、カズは一瞬怪訝な表情を向けてしまったが、それをしまい込んで、何、と尋ねた。


「フセは魔女の血族だ。自分の身も守れるし、俺に近しい人間だから、何よりもう一人がどんな人間だったとしても、ついでに守れるだけの知恵と力がある」


 信頼を寄せた人間を、売るように、分け与えるように、一夜はそう言う。一瞬考えて、思いついて、カズは鼻を鳴らす。


「良いだろう。俺も何となく察しがついた」


 ニヤリと笑ったカズを見て、ノアがほんのり笑った気がした。


「それじゃあもう一人は」


 と、声を出して、整理しようとしたときであった。




「ただいま戻りました」


 ガラリと、音がして。それが玄関の開く音だとわかり、その声に耳を澄ませる。妙に聞き覚えの無い声だと思ったが、一夜の反応で大よそを理解する。


「買い出しか。ご苦労、崇知、羚」


 新しい一夜の下僕だと察知して、軽くカズは微笑んだ。ふと、時間を見回す数人の大人を見て、カズは嫌な予感を頭の中に放り込む。


「あ、一夜君起きたんだ」


 さも当たり前のように、羚が畳を踏む。崇知は顔を青くして、特に嫌そうな顔をしていた。その後ろから、茶色の短髪に糸目の男や、ぞろぞろと見たことのある顔を見て、一夜の繋がりの広さに呆れる。


「新しい問題が出たけどな。この屋敷にいるなら基本的に大丈夫だ。というかこの人数で買い出しに行ってたのか?」


 一夜の従者に、羽賀屋の異夜に従者らしい黒い青年、鋸身屋、金糸屋、ヒヨとフセ、それに足して大宮支族の三人姉弟妹。関係も分からぬ見知らぬ人間が二人。嫌に人が多い。


「いや、商店街を回ってたらRPG形式でどんどん増えたんや。皆、当主はんのことが心配なんやて」


 はんなりとした、きな臭い男は言った。隙間隙間から顔を出す中から、カズは候補を既に選び出している。あぁ、女はダメだと。真夜はきっと選べない。かと言って、他の男を連れて行っても、意味をなさない気もあった。


「……私、もう帰るわね」


 突然、清らかな女性の声が、そう、一夜を射殺すように鳴る。その声は、文の声で、まるで感情を持っているように感じない。


「……母さん、忙しいの?」


 子供らしい声で、一夜は言う。しかし、文は表情を崩すことなく、声を張った。


「うん。明日も授業だから。それに一夜はこんなにお友達がいっぱいいるんだし、寂しくないって、わかったから」


 一末の居心地の悪さが、唸る。泣きそうで泣かない、一夜の顔がもどかしい。カズは、一夜の頭に手を置いて、一言、唸る。


「またそうやって、子供を手放すのか、アンタは」


 誰にも聞こえないような、低く小さな声で、カズはそう呟く。一夜にだけ、それが聞こえていたようで、ハッと、彼はカズを見る。睨まれた文は、一瞬だけ不思議そうな顔をして、また、にっこりと微笑み、立ち上がった。


「また休みが出来たら来るから」


 唖然としている、周囲すら見えていないように、彼女は玄関まで行く。荷物は玄関に置いていたらしい。何も持たずに、呆然としている一夜を置いて、目を逸らしている元治と文夜を置いて、歩き去ってしまった。


「動くなよ。また外に出ようとして死にかけたら困る」


 カズは一夜の襟をつかんで、その場を動かさない。やはり、カズには一夜にどんな事情があるかなどわかりはしない。しかし、異様な問題を孕んでいることだけは、その脳に刻み込んだ。


「あれ、一夜君のお母さん?」


 空気を壊すような、ある意味、浄化するような声が、光廣から発せられた。


「そうだ。天才を三人も生んだ天才」


 銃夜が、呼応して、怪訝な顔でそう笑った。抱く感情はそれぞれであるが、少なくとも、銃夜とカズは似た感情を持っている。目を合わせて、がたつく周囲の脳を待つ。


「……母さんが行ったんだ。テメエもどっか行け」


 豹変した一夜が、いつも通りに戻った一夜が、元治に向けて、そう言った。睨みつけた先、元治は、立ち上がっていて、一夜と同じく、眉間に皺を寄せている。


「あぁ、わかってるよ。『先生』、うちの子を頼みます」


 あぁ、と、一姫が言うと、元治はそのまま、庭を歩いて、誰にも目を合わせず、敷地を出て行った。文夜もそれに着いて行くように、歩き出そうとしたが、ぴたりと、止まって、一姫を見る。


「君は今いない方が良いよ。君は今、必要無いからね。必要なときは擁護してやれるが、今、私は君を立ててやれるほど、機嫌が良くない」


 ね? と、諭すように、一姫は困るように笑った。それを見て、びくりと肩を震わせ、黙って外へ向かう。頭をかいて、カズは状況を頭に留める。


「さて、ひと段落か、これで」


 もう一度、その場にいる全員を見渡して、使う者を見る。フセはいる。だが、二人目を悩んで、顔を睨みつける。


「佑都、アキラさんに連絡して」


 父はどんどん準備を進めている。その焦りで、カズはフセの肩を掴む。


「フセ、ちょっと俺とイギリスの魔女の学校まで来てくれ。あと二人ほど同行者もいるから」


「はあ?」


 如何にも嫌そうな顔をしているフセは、一瞬悩んで、カズの手を払いのけた。


「それってアカデミーって奴でしょ? 何で私が行くのよ。私、魔女になる気は無いの」


 ムッと、カズが眉間に皺を寄せる。それを見た一夜が、声を張り上げた。


「フセ、俺が提案したんだ。お前だったら信頼できるから」


 信望者にとって、信仰対象の声にどれだけの力があるだろうか。それは隣で恨めしそうにフセを見るヒヨの顔でよくわかることでもあるし、妙に嬉しそうに、尻尾を振っているように見えるフセを見ればわかる。


「仕方ないわね。行ってあげるわ」


 どうして自分は土産選びだけにこんな茶番を見ていなければならないのだと、心に留める。もう一人を探す脳は、片隅で、既に、条件を絞り上げる。


「……女装出来る奴が良いなあ……」


 ふとカズが零した言葉に、ギョッとフセが振り向いた。


「いや、本当は女が良いんだけどさ。真夜を連れて行こうにも、一緒に従者連れてく余裕ないし。それなら守護者か従者で女装出来る奴が一番かなって」


 弁明を撒くが、真夜が酷く嫌そうな顔をしたのを見て、スンっとカズは鼻を鳴らす。真樹を見たが、隠れて良い体付きで、断念した。既に女装している異夜を見るが、頭を振った。


「おい、何で俺を見て考えリセットしたんだ」


 低い声で、異夜は尋ねたが、カズは他を見つつ、テトリンに出された茶菓子を掌に、眉間に皺を刻む。


「だってお前、非処女の臭いがするし、非童貞っぽい臭いもするんだよ。そういうのあっちだとあんまり好まれねえの。あと単純にお前化粧がケバい」


 何か突いてはイケないところを突いただろうか。何かがポロリと落ちてしまったような表情で、異夜はこちらを見ていた。それも見ていられずに、ふと、真夜の隣にいた光廣を見る。少女的な顔と、細い体付き、髪も男とも女とも取れる。なにより、どちらの臭いもしない。


「……真夜、守護者一人借りて良いか? 可愛い方」


 ひしっと、真夜がゴミでも見るような目でカズを見つつ、光廣を抱きしめる。何を勘違いしているのだと思いつつも、カズは、手を上げて皮肉った。


「ちょこっと血液もらったりするかもしれないくらいだ。それ以上は何もしない。一緒に来てもらうだけだよ。心配すんな」


 ゆっくりと拘束を解かれた光廣が、真夜の手から離れる。にっこりと彼は微笑むと、大丈夫、と、真夜に呟いた。


「僕も、必要なことは自分でしたいんだ」


 するりと、人を避けて、光廣はカズに近寄る。顔が近い。カズはニヤリと笑った。


「こっちは揃った。そっちの人間は、誰」


 一姫に、カズはそう言う。どうにも、あたりも取れぬ彼は、また、優し気に笑った。


「すぐに来るよ」


 ガラリと、また、音が鳴った。今日はとても玄関がうるさい。どたどたと勢いの良い足音が、その男の重みを感じさせた。


「ふむ、妙に人が多いな。全員行くのか?」


 ハハっと笑った、男は、アキラだった。仕事中というわけではなかったようで、白衣は着ず、白いワイシャツにネクタイをせずにスーツを着、その様相は学生のようであった。


「いいや、うちの子と、そのお友達の二人を連れて行ってください。許可証は既に手にありますから」


 妙に敬意をはらったような口調で、一姫はアキラにそう言う。まるで魔女の血族であるらしいアキラが、宮家の長老たる一姫の上の存在であるかのようである。


「了解した。その襖から行くのか」


 指さし、その先には、彼岸花と蝶の描かれた襖が、きっちりと閉められて存在している。そんなもので行けるのかと、一言、ぼそりと細好が言ったが、カズは鼻を鳴らして、その襖に、手を置いた。


「行けるんだよ。あそこは殆ど異界と一緒だからな」


 ずるりと落ちる、カズの手に浮かぶ文字は、アルファベットのそれである。風が唸るように、その襖に吸い込まれていった。


「早く行って、早く終わらせよう。弱った一夜を見てるのはこそばゆい」


 カズは襖を開ける。そこにあるのは誰が見ても、暗闇と、数個のランタン。その数は四つであり、宙に浮いている。


「光廣とフセは俺に着いてこい。アキラさんは一番後ろに」


 歩み出そうとした先で、足を止めた。それは、光廣の、か弱い声からだった。


「何も持ち物は要らないの」


 襟を引かれたカズは、振り向いて、笑う。


「たかっちまえ。服も飯も。大丈夫それくらい許される。どうせ孤児だって通う処なんだから」


 振り向いた先、襖を潜るアキラと、フセとを見て、無関心にこちらを見たり、手を振って行ってこいと声をかける少年達を見る。行く先を思い出す。かつて、自分がいたところ。出て行くとき、後ろ髪引かれたあの場所を。また行くのかと、また引っ張られるのかと、重いその足を、指先に力を入れて踏み出す。


 裸足に石のような床が、ひんやりと冷たい。後ろが閉められて、真っ暗闇になる。そうすると、必然的に、用意されていたランタンに、全員が手を出した。それを合図と言うように、風景が変わっていった。驚いているフセと光廣は、自然と寄り添っている。


 周囲を囲むは、壁と化している大量の本棚。目の前にあるのは、計四人の見飽きた女と男。特に、カズを睨むように見ている、見目麗しい、若い女性は、会いたいとも思わなかった女である。


「靴履いてこいアホ」


 英語で、彼女は、西の魔女アリッサは、カズにそう言う。パァンという、軽快なスリッパが頭で跳ねる音と共に、彼女は確かにそう言った。


「さっきまで畳の上にいたんだよクソババア!!」


 一気に爆発した怒りが、持っていたランタン、既にただの紙切れに代わっていたそれを、祖母に投げつけるに至った。

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