明く弓引き

 談話室、と言えど、それは所謂『説教部屋』のようなものらしい。部屋全体は防音でカーテンを閉めない限りは窓で廊下から何が起きているのか見える。つまり、放送室のことである。ただ、樒曰く、放送の機械類を弄る、放送機材室以外は今では使われず、DJがトークをするようなこの放送室は、教師と生徒が周りに知られてはいけないような話をする為に使われているという。鍵も内側からかけられるし、カーテンだって中から閉められる。確かに、内密な話をするにはもってこいであった。

 だが、一夜達がそこに入った瞬間に思った事は、ここでは内密な話以外のこともされていただろうということ。

 悪寒。背に蛇を這わすような感覚。ここでは何かが行われている。それをいち早く感じ取って身を振るわせたのは、ヒヨだ。

「おや、片山君はわかりますか。いいや、三人ともわかってはいるが、一番影響しているのは片山君、なのかな」

 樒はそう言って、室内の丁度四つある椅子を引き、自分は奥側の椅子の一つに座った。二つ二つで奥側と手前側、背に壁を作る方と、背に脱出口を作る方。どれに座るか、一瞬で決めなくてはならないが、まず第一に、ヒヨが、樒の隣に座る。

「何だ、体調が悪いんじゃないの?」

 樒が問うと、ヒヨは苦し紛れに鼻で笑う。

「近い方が嘘か本当か聞き分けやすいんでね」

 餓鬼が何を言うか、と言うように、樒もニヤリと口角を上げ目を細める。そのまま、一夜が樒の前に、フセがその隣に座り、樒を見つめた。

「では、御三方。まずは、大宮一夜君、片山比寄君、月乃宮伏子さん、私の話を聞いてくれてありがとう。まさか君達から話に来てくれるとは思ってもいなかった。いやいや、良い予想外だ」

 アハハと笑って、樒は両手の指先を合わせる。それが合図だったのだろうか。それをした瞬間に、あの異様な女が樒の後ろで笑った。

「そうだ、自己紹介をしよう。私は樒祐都。茉衣舞中学で社会科教師をしている二十六歳男性。恋人はいない。何せ、こんな美人を飼っているからね」

 彼がふと目を逸らすと、その目線の先に、女が顔を近づけ、ウフフと笑う。どうにもこうにも、樒達の勢いに飲まれそうであったが、何か恐怖感によるものだろうか。一夜もヒヨも、フセでさえも、何も突っ込めなかった。

「この美人の名前はベラドンナ。私の使い魔だ。君達が思っているようなものではないだろうがね」

「それ、どういう意味だ?」

 一夜が思いついたように口を動かすと、樒はベラドンナを撫で回す手を止めずに、また笑う。

「君達はおそらく彼女を私が喚んだ【悪魔】だと思っただろう。けど、彼女はそうじゃない。悪魔を模して作った【式神】の一種だ」

 まあ、私が作ったのではないけどね、と付け足して、口を閉ざす。納得がいかない。何故なら、一夜達にはベラドンナは完全に悪魔の気配と一致している。

「大宮君。君は悪魔と出会ったことがあるね?」

「……はい。一年くらい前に、ですけど。二人も一緒に」

「そうか。そうだったね。あの時子供は四人いたからね」

「……何を」

「何を知っているんだ。かな? あの時の事は私も忘れないよ。何せ、齢十一になったばかりのクソガキが、生意気にも、悪魔を喚び出そうとしていたんだから」

 クソガキ、と言われて、ぞくりとした。一夜は、自分の事を言われたのだと、そう直感で思ったからだ。いや、確かに一夜を指したのだろう。ベラドンナが、一夜を懸命に睨みつけていた。

「ベラドンナ。何、あの儀式は失敗だったんだ。気にすることないよ。ベラドンナも頑張ったからって褒めてもらえたじゃないか。ね、大宮君。結局、君は一夕君を悪魔を喚んでも助けられなかった。だからあの悪魔はすぐ帰った。そう思ってたんだろう?」

 そう、一夜は、悪魔を召喚したことがある。だから悪魔がどんなものかも知っていたし、この放送室は悪魔が一度召喚されている場所だと感じ取れた。だが、少し、意味がわからない。樒が何を言っているのか、ちょいちょい、わからないのだ。

「あの時って、一年ちょっと前の俺の誕生日だよな?」

 一夜が問う。

「そうだよ。一夕君の誕生日でもある。君がプレゼントをあげようとした、その日だ」

「確かに俺はあの時、悪魔を喚んで願ったけど、アイツは『何も出来ない』って言って勝手に帰った。それがそうじゃなかったって言いたいのか?」

「そうだよ」

「……アンタがなにかしたのか?」

「後処理はしたかな。悪魔は私達と全く別の次元にいる生物だから、そのさらに遠くに逝ってしまっている一夕君を助けることなど、確かに出来ない。手が届かないからね。だが、喚んだ時点で、悪魔は本来何もせずとも何か奪っていく生き物だ」

「……つまり」

「つまり、アイツが大人しく帰ったのは、私達の仕事のおかげってことさ」

 仕事、と聞いて、ヒヨが口を開ける。

「エクソシスト」

「正解」

 樒はヒヨに体を向けて、薄ら笑いで答えた。

「私の副業はエクソシスト。悪魔専門の祓い屋だ。ベラドンナは悪魔に攻撃する為の愛しの兵器。と言ったところだよ」

 即ち、一夜が喚び出した悪魔は、彼らによって大人しく帰った、と言いたいらしい。一夜達三人が未だ鮮明に覚えているその出来事は、確か、呆気なかった気がする。一夜が、願いを叶えるために喚び出した悪魔は、その願いを蹴って、さっさと帰った。悪魔にも何も出来ない願いだったと痛感した日だった。

「大宮君……もう呼びにくいから一夜君でいいや。一夜君が喚び出す前に、私達は同じ悪魔を喚び出して、ベラドンナでフルボッコにした。そこで『次に喚び出した子供からは代償を得ない』と神に誓わせた」

 それが事の顛末だと、樒は意気揚々に語る。なるほど、ならば、一夜から悪魔を喚び出す代償を得なかった訳だと。ヒヨとフセは納得していた。特にヒヨは隣で樒を見ていて、彼が嘘をついているようにも思わなかった。だが、一つ、引っかかることがあった。

「何でアンタらはそうやって俺を守ったんだ?」

 一夜が、落ち着いた声で聞く。だが、所々怒りのような感情が声に出ている。樒はそれに眉をピクリと動かしたが、同じように落ち着いて返した。

「私達の若君の為さ。我らが若君の協力者に、君は成り得る」

 若君、とは何か。それはヒヨ以外は知っていること。けれど、ヒヨは知らない。一夜もフセも、若君と聞いてわかる事はあれど、それが誰かは知らない。知らない、の多い方から、問いは生まれる。

「若君って何だ?」

 ヒヨが問うと、樒は若干溜息を吐いて、目だけをヒヨに移し、気だるそうに言う。

「私の仕えてるご主人様。一夜君と同じ宮家の若い当主。その人の願いを元に、私は一夜君を助けた」

 だが、と付け加える。

「命令は『協力者になり得る子供を助けること』であって『大宮一夜を助けること』じゃない。そして私は仕事をしたら、その分の報酬を要求する。年月が経とうともね」

 まるで悪魔だ。そう思って、一夜は耳を傾ける。普通の人間なら信用しないであろう会話の筋のおかしさだが、一夜達の界隈の人間には、これで十分信用に値するのだ。彼は嘘を言っていない。唯一、自分の主人が誰であるかだけを隠している。そして、彼は、一夜が自分の双子の弟の【大宮一夕】をとある場所から助け出そうとしていると知っていた。それだけ、一夜は調べ尽くされ、周りを固められている。そして、その若君も、何となく、何かを求め焦っている。樒は【協力者】と言った。その例えも間違っていないのだろう。脅しではなく、これは協力を求める姿勢でもある。名もまだわからぬ彼は、樒祐都という、明らかに公平を期すエクソシストを材料に、こちらに寄越したのだ。おそらくこの樒の態度では、樒は自分の若君にも見返りを要求するタイプの人間だろう。それが、きっと、見えぬ彼の覚悟の表れ。そう考えなければ、今はこの状況を打開できない。

「わかった。何をすればいい」

 一夜は、腹を括る。樒は笑う。

「もう一人の協力者を引きずり出して頂きたいんだ。これは君にしか出来ないからね」

「わかった」

 一夜がそう言って樒にてを差し出すと、樒はニコリと笑って、その手を握る。

「若君にも是非その手を出してやってくれよ。多少ウザい性格だが、礼儀は重んじてくれるからね」

 彼はベラドンナと共に、ウフフと笑った。




 その翌日、樒は学校のことが終わるとすぐにメモを寄越した。曰く、早い方がその協力者候補にも良いのだという。三人はそのメモをその場で開けずに、一度、一夜の屋敷に集まって開封することにした。樒からもらったというだけで、何故ここまで嫌な予感がするのかと、一夜は首を捻っていたが、ヒヨとフセはその発言を聞いてすぐ呆れた顔をしていた。

 一夜は帰ってすぐに、人は誰もいない屋敷に声をかける。

「ただいま」

 精一杯の今出来る言葉。時々、無性に腹が立つが、やめることが出来ない。

 幾つかの閉まった襖を通り過ぎ、襖の開いた一番デカい、畳しかない部屋の前で立ち止まる。着替えもまだ済ませていないが、今はそれが一番にせねばならないことだった。

 その部屋は嫌に殺風景で、華やかなのはその部屋を作る襖、特に一夜から見て正面にある襖だけだった。そこには満月と紅い蝶が描かれ、曼珠沙華も紅く紅く咲いている。幼い頃から、一夜はこの絵には恐怖感があって、それでいて美しく、好きではあったが、恐ろしかった。今でもその恐怖心は抜けきらない。一夕も同じようなことを言っていたなと、ふと、思い出す。今、一夜はこの部屋に用事があるのだ。この襖を開けることに意味があるのだから、その恐怖心は一度捨てて、進まねばならない。

「クロ、仕事がある。行くぞ」

 自らを追い詰めるが如く、一夜は襖を開ける。


「何が仕事だクソガキが」


 その襖の奥、黒い黒い空間の中から、声がして、下を向いて目をつぶっていた一夜は、ハッと目を開ける。そこには、黒い獣が一匹、一夜を見上げていた。その黒い獣は狐にしては大きく、そういう犬にしては小さい。柴犬程愛らしくもない。顔は完全に狐だ。モフモフ感も狐だ。だが、何処か狐と言うにはかけている気がして、それが一体なんという生物か、一夜はわからずにいた。だから、一夜はいつも呼んでいる。狐ではない狐に近い神獣として。

「黒稲荷、力を借りたい」

 恐ろしく簡潔で大胆な願いだ。しかしそれが一夜の願いの本質。否、大宮家がこの黒稲荷にしている願いの本質だ。

「ハッ」

 クロはその本質を知ってはいるが、一夜がしてきたことも知っている。だから、今、鼻で笑った。

「何だ、今度は神でも喚ぶか? 悪魔の次は神か。まあアイツを閉じ込めた神を喚ぶのは難しいぞ。悪魔より遠い所にいるからな」

 笑う理由は様々だ。けれど今はそういうことじゃない。

「そうじゃない。破壊の能力を使うかもしれない。その補助が欲しい」

「補助? 要らねえだろ、お前は」

「相手のことがよくわからない。けど俺じゃないといけないらしい。だからお前も着いて来い」

「……面倒だ」

「それは俺もそう思う」

「だから行かない」

「俺はお前の主人だぜ?」

「ハハッ稲荷神を従わせていると。笑わせるなクソガキ。俺はお前がこれ以上やらかすなら手伝わん」

 ごもっともだと、一夜はまた目をつぶる。今まで、このクロという黒稲荷には、やらせすぎている。悪魔を喚び出した時も、その前だって、その後だって、補助という名の後処理や準備をやらせてきた。それはクロが危険なだけでない。一夜やヒヨ、フセも危険にさらされるものばかりだった。特に一夜とフセはお家断絶になりかねない状態にもなったことがある。それを止めるのだって、クロ、黒稲荷、大宮家を守護している彼の仕事である。

「どうしても」

 クロが嫌そうに言った。

「どうしても力が必要なら、今日の夕飯は鶏ササミのサラダだ。ドレッシングは胡麻ダレ」

それでいいのか。一夜はハハッと笑う。

「わかった、テトリンに言っとく」

 あぁ、今日は大嫌いなササミ肉がメインになりそうだと、一夜は頭をかいた。




「それで? 引きずり出すって言ってたけど、何やるのよ」

 フセが待ちきれずに、一夜が出したコーラを飲み干して言った。

「メモ読むから、待て」

 フセの言葉を切るように、ヒヨはメモ用紙を開封し、机に広げる。メモを開封しても何か変なモノが飛び出すだとかは無かったが、それでも身構えてしまう。それだけ、樒との会話は効いていたのだ。だが、そのメモを嗅ぐクロは、鼻にシワを寄せて、唸った。

「臭い。臭すぎて鼻がひん曲がる。読み終わったら燃し清めておけよ」

 相当臭うらしい。おそらく、それはベラドンナの臭いだろう。クロは他の人外の臭いに敏感だ。

「……まあ、いいや、まあ。重要なのは内容だろ」

 一夜がそう言って、メモに顔を近づける。それに習って、ヒヨとフセもメモを読み出した。


『大宮一夜君へ

「分断」の能力者が同校に入学したが、入学式にも来ない。こちらで調べた話によれば、養子に迎えられた家で軟禁状態のようだ。その家には何度か人柱を祀った形跡がある。彼が人柱として殺される前に、調査及び救出を願いたい。彼の名前は学校側の名簿には柳沢真樹とされている。だが恐らく真名は咲宮真樹だ。使える時に使えばいい。住所は――――だ。健闘を祈る。

樒祐都より』


 人柱という単語で、やる気が失せる。何故だか、恐ろしく失せていく。もしかしたらとんでもないことに巻き込まれているのではないか。今更そう感じて、一夜は頭を強くかいた。文章全てが一夜に向けて書かれているし、一夜がやらねばならないのはわかる。わかることにはわかるがわかりたくない。恐ろしく短調で複雑な感情を。唾を飲み込んで抑えた。

「行くなら支度は出来ているんだろう」

 ヒヨがそう言って、一夜を見た。

「今日着物着てないじゃん。お前。て、ことは、動くってことだ。そのパーカー、お前嫌いって言ってたし」

 今日、一夜は普段着の和装をしていない。一夜は本当ならいつもは、和装を好む。けれど、今日は、洋装。フード付きのパーカーに、ジーパン。それが何を示すかは、ヒヨもフセも知っていること。

「私達はアンタの意志を尊重するわよ。一夜」

 背を、思い切り突き飛ばされた気がして、三人と一匹は、柳沢真樹の家へと向かった。

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