第9夜 世界の混ざる場所


 僕が泣く理由も、

 僕の胸が痛む理由も、

 きっと誰にも、全部はわかってもらえないけど


 それでも、あの時


 僕は、リリスの言葉に、ほんの少しの安心感を覚えたんだ。




「……あ? 何でリリスがいんだよ」

「あら? 何か問題でもある?」

「何か問題でも、ってお前、忙しいんじゃねぇの?」

「御影ったら、凪と同じことを言うのね」


 半ばリリスに引き摺られるようにGATEをくぐった先で待っていたのは、見慣れた御影の姿と、御影のやけに驚いた表情。


「そりゃ言うだろ。この時期の補佐候補生なんて誰が見ても忙し」

「でも今日は凪の日だもの」


 トントントン、と軽やかに階段を降りていき、御影の前に立ったリリスに、御影の言葉が止まる。


 ぐん、とさらに近づいたリリスが御影に耳打ちをした、ように思えたけれど、見間違えかもしれない。

 そんなことを思いながら、じゃれ合う二人を眺めつつGATEの階段をおりていく。


 そういえば、先輩もよくこの二人のやりとりをこんな風に少しだけ、後ろから見ていて。

 僕はそんな先輩の後ろから、3人を見ていた。


 ずっと続くと思っていたのに。

 そんなことを思ってしまって、ふと足が止まった。



 先輩、琥珀先輩。

 ここは、貴女の居場所じゃなかったんですか?


 ー 「ほら、凪も!」

 

 そう言って、いつも手を伸ばしてくれてたじゃないですか。




 僕は、

 僕は、先輩にとって



「邪魔だった、のかな」


 いつでも優しい先輩だったけれど

 いつでも笑顔を浮かべていた先輩だったけれど


 本当は、すぐにでも、探しに行きたかったのかな。

 世界から自分が消えるとしても、それでも、

 あの人の元に。



 僕は、

 もしかしたら

 僕の存在が、

 先輩を引き止めてしまっていたのだろうか。


 ー「この世界は、曖昧にできてるんだよ」



 答えなんて、返ってくるわけもないけど。


 振り返れば、半分締まりかけたGATEの扉があって。



「凪!」

「おい!」


 焦ったように叫んだ二人の声から逃げるように、僕はGATEの中へと、飛び込んだ。



「……そんなヘマはしないと言ったのは自分では……」


 無理矢理に通ったGATEの先で、1人呟く。


 ……やってしまった。


「……無理矢理とおったら座標すら分からないっていうのに……」


 ぺたり、と閉じてしまったGATEに触れるものの、やはり反応は無い。


 これはあとで確実に色んな人から怒られるやつ。

 そうは思うものの、何故だが少し、身体が軽くなったような気がする。


「……とりあえず、狭間では無さそうだけど……」


 狭間。

 僕たちの世界と『彼ら』の世界の混ざる場所。

 出られないわけではないけれど、僕たちが出るにはとても大変、というか面倒だし、すっごい怒られるやつ、とカペルから聞いた。


「……まあ……地面があるとこに出ただけでも」


 良かったのだろう。

 そんなことを考えて、何もないように見える視界に、ほんの少し息をはく。


「それにしても……」


 見事に何もない。

 遠くのほうに見えるのは水面だろうか。

 ゆらゆらしているようにも見える。


 ひとまず、背負っていたオールを手に持ち直し、着ていたシャツの襟を少し緩める。

 少しの開放感に、ふう、と小さく息を吐いた直後、ヴォン、という音とともに、GATEが、姿を消した。


「……ゴンドラは……あるわけがない」


 くるり、と周囲を見回してもあるはずもなく。


 歩いてみるか。

 そう誰に言うでもなく呟いて、あてもなく歩きだす。



 ふいに上を見上げてみれば、遠くのほうに光が見える。

 時折、連なった光が空を走っていたり、流れ星が流れていたり。


「空に町があるみたいだ」


 光の固まっている場所から、動く光が出たり入ったりしている。


「空に町があるなんて、聞いたことないけど……」


 けれど、曖昧に出来ているこの世界ならば


「有り得ない、ってわけでも……」


 そんなことがあるわけが無いとも言い切れず。

 少しの間、特に、何かを思うわけでもなく、線を描くように動く光と、光の終着点をぼんやりと見上げていた。



 ふと。


「ーーーーッ!!」

「っ?!!」


 微かに、離れた場所から、何かが聞こえた。


 その方向に耳を向け、息を殺し、目を閉じる。


「ーーるなぁッ!!」

「これは」


 叫び声。しかも


「ディアボロの気配がする」


 さっきまで、本当についさっきまで、自分以外、なんの気配も無かったというのに。


『うわぁぁぁぁぁ!!!』


 近づいてくる叫び声に向かって走り出す。

 だいぶ、言葉がはっきりと聞こえてくる。


 もう、近い。


 そう思い、オールを握る手に力をいれ、走る速度をあげた。





『た、助かったよ……』

「また貴方ですか……」


 こんなにもディアボロに襲われる人も珍しい。


 というか、何故、こんなところにこの人は居るのだろうか。


「貴方は帰ったはずでは……」


 どうせ言葉は通じない、と一人呟く。

 ーけれど


『それが、なぜだか分からないけど、ここに辿り着いたんだよね』

「?!」


 言葉が通じている。

 なぜ?

 だって、彼とはさっき ーー


『助けてくれてありがとう。ところで、君は誰だい? 君はオレを知っているのか?』


 ついさっき、会ったばかり。

 そんな言葉は、飲み込んだまま、彼を見やる。

 きょろきょろと周りを見回す彼は、どう見てもさっきの人だ。


 忘却の粉はしっかり効いてるらしい。

 その事実に、ほんの少しだけ、喉がつかえた感覚がする。


 彼らは、僕たちを、ここを、思い出すことは無い。

 そんな今更なことを、何故いま再認識しているのか。


 それもそのはず。

 彼とは、ついさっき、本当についさっき別れたばかりのはずなのに。


 あなたは、いまこの世界にいないはずなのに。

 そう思いながら小さく首を傾げる。


「……この世界に、いないはず……?」


 自分で思ったその言葉に、何かが引っかかった。


 どうして、この世界にいないはずの彼が

 どうして、彼と言葉が通じている?


 ここは、もしかして


 黙ったまま考え始めた僕を見て、彼は一度だけ瞬きをしたあと、『君、どこかで会ったことあったか?』と静かに疑問を口に出す。


「……」


 あるとも、無いとも言えずに、黙り込んだ僕を見て、彼は『ふむ』と頷きながら呟く。


『なぁ、ところで、あっちには何がある?』


 そう言って、彼が指さすのは、いまのところ何も見えない先の方向。


「それが、僕にもちょっと分からなくて」

『……そうか』


 少しぼんやりとした表情のまま、彼は遠くを眺めたあと、彼の身体がふらふらと動きだす。


「え、あの」


 ぽてぽてと歩きだした彼のあとを思わず追いかけるものの、彼は「なに?」と僕に答えるだけで、足を止めない。


「何処に行くつもりですか?」

『あっち』

「……あそこに何があるんですか?」

『会わなければいけない人があっちにいる。そんな気がするんだ』

「……会わなければいけない人?」

『ああ』


 こくん、と頷いた彼と、視線が混ざる。

 ジイと僕を見つめたあと、彼が静かに口を開く。


「君からは、彼女の薫りがする」

「……彼女?」

「ああ。三日月の夜に、溶けて消えてしまいそうな、彼女だよ」


 にこりと微笑んだあと、彼はまたぽてぽてと歩き出す。


「三日月の、溶けて、消える」


 それってもしかして。


「先輩……琥珀先輩……?」


 月明かりの中、静かに笑っていた先輩の姿が頭をよぎる。


 先輩、生きているんですか?

 先輩、もしかして、



 この人が、先輩の会いたかった人ですか?



 少し先のほうに見える彼の背を眺めながら、返ってくるはずのない問いかけだけが、空気に消えた。










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