第5話 閉錠

「し、執事長!!」

「近衛のものが、お后様のお部屋の近くで執事と謁見者が揉めている、とワタシを呼びにきたのですが、貴方ですね?」


 驚いた表情を浮かべる男とは反対に、執事長、と呼ばれた白髪混じりの男性は、執事服の男を見たあと、僕と、僕の手元の箱に視線を動かし、執事服の男へ呆れたような表情を浮かべながら口を開く。


「貴方は確か、少し前にも、林檎農家のかたと揉めていますよね? 今度は何です?」

「……ちがっ、これは!!」

「何ですか? 何か言い分でも?」

「違うんです! こいつ、こいつが分けの分からないことを言い出すから!」

「分けの分からないこと?何です?それは」


 執事長が眉間に深く皺を刻みながら、執事服の男に問いかける。


「……そう、何も言わないのか?」


 僕の隣に並んだケビンが、コソ、と小さな声で耳打ちをしてくるが、「言わないよ」と執事服の男と執事長のやり取りから目を離さずに答える。


「何で?」

「すぐに、わかるさ」


 ケビンの質問に、そう答えた直後、ぶわ、と鼻につく濃厚な花の薫りが、突然、一帯を覆う。

 それと同時に、ギィィ、とそれはそれは豪華な扉がゆっくりと開いた。


「わーお」

「……お后様の、ご登場、だね」


 噎せ返りそうな薫りが、后が歩く度に広がっていく。


「待ちくたびれたぞ、妾の林檎よ」


 にこり、と微笑む后の言葉に、「そう、完全にバレてんじゃん」とケビンがヒソ、と小さな声で僕に話しかける。


「別に構わないさ。僕たちは今回、彼女の機嫌を損ねるわけではないからね」

「へ?」

「それに、正直、今の状況ならお后様に直接会っておいたほうが話が早かったみたいだね」

「え?」


 にっこり、とケビンに笑顔を向けながら答えればケビンは、ポカン、とした表情を浮かべ、キョロキョロと僕とお后様の顔を交互見つめた。




「やはり、貴方の言う通り、あの者は依存症の可能性が高いとのことでした」

「そうでしたか。彼はこれから治療を?」

「町外れの静かな診療所で治療も兼ねて休息をとり、心身ともに休めるように手配致しました」

「それはそれは」


 コトリ、とカップを先に置いたのは、お城からやってきた執事長で、彼は、依頼主を真っ直ぐに見て、「オリヴァ殿」と彼の名を呼んだ。


「コチラの不徳の致すところとは言え、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

「いえ、あの、そんな!」

「まだやるのか」


 もう何度目になるか分からないほど、オリヴァさんの家に来てから、何度目も頭を下げる執事長と、恐縮しっぱなしのオリヴァさんとのやり取りに、ケビンは最早呆れ始めている。

「まあまあ」と僕自身も何度目かの仲裁を行い、もうそろそろ良いかな、とカタン、とわざと少し音を立てて立ち上がった。


「ソウさん?」

「オリヴァさん、申し訳ありません、僕たち、そろそろ帰還の時間でして……」

「え、あ! す、すみませ……っ!!」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ」


 ガタガタガタッ、と慌てて立ち上がったオリヴァさんのテーブルの上のものが激しく揺れる。


「今回は本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げるオリヴァさんに、「そんな、頭をあげてください」とオリヴァさんの肩に触れながら声をかける。


「僕たちは、あくまでも依頼をこなしただけですから、お気になさらないでください」


 にこり、と笑いながら言えば、「でも……」とオリヴァさんがまだ何か言いたそうにしている。


そう、ケビン。繋いだよ』

「湊、あと2分」


 耳元の無線機からの声と、ケビンの声に、「分かった」と答えれば、オリヴァさんと執事長が不思議そうな表情を浮かべている。


「すみません、ちょっと急ぎますので、このまま失礼します」

「湊、急いで」


 クン、と引かれる腕に、「あはは」と笑いながら、オリヴァさんの家の玄関へと向かう。


「でわ、お邪魔しました」


 ガチャ、とケビンが玄関のドアを開き、僕もまた、ドアを潜る。


 二人揃って室外に足を踏み出せば、もうそこはオリヴァさんの家とも、玄関先とも異なり、僕とケビンが依頼の時に使う拠点内部へと一瞬にして切り替わる。


 パタン、と閉じられたドアの音に、フゥ、と大きく息を吐けば、ケビンも「最後はいつもバタバタなんだよな」と苦笑いを浮かべる。


『二人とも、お疲れ様でした』

『お疲れ様!』


 そう言って、立体映像で現れた師匠とニルスの姿を見て、はあ、と今度は安堵の息を、大きくつく。


「師匠、申し訳ありません。少し時間がかかってしまいました」

「湊のせいじゃねえよ! 俺が」


 頭を下げて謝った僕を見て、慌てたケビンに、『二人とも頑張りましたよ』と師匠は優しい笑顔を浮かべながら答える。


『大丈夫です。まだまだ元気ですから』

「いや、でも」

『二人とも、それ以上言うなら、帰ってからお仕置きでもしましょうか?』

「うぐ……」


 少し頬が、と言葉を続けようとしたものの、ニッコリ、と有無を言わさずに微笑む師匠に、言葉が詰まる。


『ふふ、良い子ですね。では、そう君、ケビン君。繋ぎますね』

「はい」

「はーい」


 師匠の言葉を聞き、僕とケビンは室内のどの扉よりも、存在感のある木の扉を開け、足を進める。

 扉の中に入ると同時に、浮遊感と暗闇が身体を包み、明るくなった、と思った瞬時には、重力が戻り、「よっ」と、店内の床に足をつけば、いつもの通り、キシ、と木の床がほんの少し歪む音が聞こえる。

 振り返って見えるものは、壁に取り付けられた傷さえも味わいと云えるほど古い木で作られた扉で、その扉の隙間から僅かに溢れていた眩しい光は一分も経たないうちに消える。


閉錠クローズ


 その扉の鍵穴部分に手を翳しながら、簡潔かつ確実な魔法を使って扉に鍵をかける。


 この扉は、こちら側の世界と、本の中の世界を繋ぐもの。

 鍵を開けるには、店主ユーグのように鍵を持つ者か、【扉】に認められた者にしか、異世界への通路は開けられない。

 この店で働くこと数年。つい最近になり、僕もやっと閉錠クローズの魔法に関しては任せてもらえることになった。


 ガチャン、と大きな音とととに、鍵穴が修復屋の金属の紋章で覆われる。


 この扉から本の中に入り、出てくるまでの一連作業を終え、ふう、と短く息をつけば、んー!と隣に立つケビンから元気な声が聞こえてくる。


「はああ! 久しぶりの外だ!」

「ケビンはそうだね」


 大きく伸びをしながら言うケビンに、「お疲れ様」とポン、と肩を軽く叩きながら言えば「へへっ」と嬉しそうな顔で笑う。


「俺、先にコレ、先生んとこに置いてくんね!」

「あ、僕も行くよ」

そうは魔法使って疲れてるだろ。ゆっくりで来ればいいよ!」


 そう言って、ダッ、と物が山積みになっている室内を器用に避けながら、かなり早い速度でケビンは走り抜けていく。


 本の中にいる間に魔法を使うと、外、要は現実世界にいる時よりも、確かに疲労は大きくなるが師匠ほどに魔力は使っていない。

 依頼が続いたことで、師匠の体力はほぼ残っていないだろう。

 早く休んでもらうためにも、早く師匠のところへ行かないと、と少し早歩きでケビン同様に室内を抜けていくと、前から走ってくる人影が見える。


「あ、ニルス」

そう! おかえり!」

「わっ?!」


 ダッ、と駆け寄ってきたニルスに、思い切り抱きつかれ、バランスを崩しそうになるものの、倒れるわけにもいかずググッと踏ん張る。


「おかえり! 湊! おかえり!」

「ニルス、あのですね…」


 笑顔で抱きついてくるニルスは、僕よりも年下で、僕よりも身長も低い。ただ、年下、とは言ってもやっぱり年頃の女の子なので、こう、気軽に抱きつくというのは色々とマズイのでは、とニルスの肩を軽く掴んで僕から身体から離す。


「いつも言ってるけど、こういう事は気軽にしないほうが」

「何で?」

「いや、あの、僕は男で、ニルスは女の子だしね?」

「?」


 首を傾げながら、僕を見上げてくるニルスに、「ええと、だから、その」と言い出した僕がしどろもどろになる。


そう、あたしは、湊なら」

「え、ちょ、ニル」

「湊」


 グン、と一歩前に出て、僕の胸元の服を掴んだニルスの行動に頬が熱くなるのが分かる。

 どうしよう、と割と本気で焦り始めた時、ダダダッ、とさっきと同様に走ってくる音が室内に響き、ニルスが「ちっ」と小さく舌打ちをした。


「くおら、ニルス! 何しようとしてんだコラァ」

「もう! イイトコだったのに!」

「ニルス、イイトコって」

「だって、湊、珍しく照れてくれたでしょ?」


 ふふ、と離れることなく、ピタりとくっついたまま僕を見上げるニルスに、「いや、そりゃ、照れるでしょ」と必死に返せば、「やった」と喜んだニルスがぎゅ、と身体に腕を回してくる。


「いや、だからね? ニルスっ?!」

「おい、こら! ニルス! そうから離れろよ!」

「ヤダ! このまま湊を落とす!」

「いや、落とすってあの……!」


 ニルスとケビンが言い合い、僕とニルスも押し問答をし、ニルスのアプローチに僕は顔が真っ赤になるけれど、一刻も早く師匠のところに行きたい僕は、ニルスの腕が緩んだ瞬間に、するっ、と腕から抜け出し、「ニルス! また後で!」と彼女に声をかけ全力で走り出す。

「あ!」とか背中越しに聞こえたが、気にしている余裕など、僕に無かった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る