修復屋リコルヌ 〜依頼主は物語の中の人〜

渚乃雫

とある林檎の話(1冊目)

第1話 修復屋リコルヌ

「林檎農家さんから、ですか?」

「ええ。林檎農家さん。指定された林檎を、何度も何度もお城に持って行っているのに、その度にお城から、色艶の良い林檎が全然お城に入ってこないと言われているらしくて。お金を払ってもらえてないようですね。依頼主の農家さんは出荷していると、手紙には書いてありますね」

「誰かが邪魔してるってこと、ですよね?」

「なんとも言えませんが……普通の林檎は届いているようですよ」

「え、じゃぁそれじゃ駄目なんですか?」

「ええ。それは作者の本意では無いですから」

「なるほど……上から毒を塗っちゃうから分からなそうな気もしますけど……」

「まぁ、確かに毒は塗りますが、元々が美味しそうでなければ君だって齧らないでしょう?」


 師匠の言葉に、確かに、と小さく頷く。


「ですので、今回の君の仕事は、林檎を無事にお城に、というよりは后に届けること、になりますね」

「お嬢さんから見れば結果的にはハッピーエンドですけど、一時的でも仮死状態にさせる要因を届ける手助けをするのは、なんだか気が引けますね」


 そう言った僕に、師匠が困ったような表情を浮かべて手元の本の表紙を眺める。


「私が行ければいいのですけど……」

「師匠は、ここを守る使命がありますから」


 カタカタカタカタ、と部屋の窓が小刻みに揺れる。

 けれど窓の外の木は空へと真っ直ぐに立ったままで、部屋に置かれた水槽も、テーブルの上のマグカップも揺れを現す波紋は現れない。


「この揺れは……またあの本ですか?」

「ええ。けれど、あの子にだって悪気があるわけでは無いですから」

「それは……分かっています。でも……」


 ちら、と床にある扉を見やると、振動が止まる。

 その様子に、ほっ、と小さく息を吐いた僕に、師匠はふふ、と優しく笑う。


「まぁ、とにかく。ひとまずは、林檎農家さんに話を聞くところから、始めましょうか」

「了解しました!」


 そう言って、ぱたん、と師匠が閉じた本の表紙には、真っ赤な林檎と、大きな鏡が描かれていた。




「ええと……確か資料によると、この辺りだったと思うけど……あ、人がいる。すいませーん!」


 ぶんぶん、と手を大きく振りながら声をかけた僕に気がついた人影は、「なんですかぁー?」と大きな声で答えた。



「お父さぁーん、お客さんだよー!」


 林檎畑の入り口で俺を出迎えてくれたのは、僕よりも年下の少年で、お父さんに用事がある、と伝えた僕に、不審者を見るような視線を向けたあとに、畑にいる人物へと声をかける。


「お待たせしました。ええと、貴方は……」


 子どもの声を聞き、走ってきてくれたのであろう。

 彼の額にはじんわりと汗が滲んでいて、首にかけていたタオルで、汗を拭った彼は、首を傾げながら突然の来訪者である僕に問いかける。


「オリヴァさん、でいらっしゃいますか?」

「えぇ、オリヴァは自分ですが……」

「良かった。申し遅れました。ワタクシ、ご依頼を頂きました、修復屋リコルヌから参りました、そうと申します」

「リコ……? ソウ……?」


 そう言って、ケースから取り出した名刺に書かれた文字を見て、彼は「licorneリコルヌ/Einhornアインホルン」と書かれた文字を見て「あぁ! あんた、一角獣さんの!」とバッと顔をあげて僕を見る。




「本の修理に、参りました」



 にこり、と笑いかけた僕に、依頼主は「本当に来てくれるんですね……!?」と目尻にタオルをあてながら、答えた。



『湊君、辿り着きましたか?』

「あ、はい。今、依頼主のかたとお会いしました」

『それは良かった。では、このまま回線は繋いでおいてくださいね』

「了解です」


 片耳に装着している機器から聞こえるのは、外の世界で待っている師匠で、声は障害などで途切れることもなく、小さく安堵の息を吐く。


「ソウさん、どうぞ、入ってください。散らかってますけど。あちらにおかけください」

「お気になさらずに。お邪魔します」


 依頼主のオリヴァさんに案内され建物に入るものの、顔を合わせてからずっと、じーっと僕を見続けている視線が気になり、ちらり、とそちらを見れば、バッ、と少年がテーブルの下へと隠れる。


「お父さんはお話があるから、お母さんのお手伝いに行ってきておくれ」

「でも、この人、見たこと無い人だよ! お父さんのこと、またいじめたりするかもしれない!」


 傍にきた父親に、そう言って抱きついた少年は僕の事を指差しながら言い、その声に思わず「ハハ…」と小さく乾いた笑いを零せば、父親は息子と視線を合わせながら、口を開く。


「このお兄さんは、お父さんを虐めたりしない。それよりも、こうしている間にも、お母さんが大変かもしれない。お母さんのお手伝いをしてあげてくれないか?」


 優しく頭を撫でながら言う父親の言葉に、少年は「……わかった!」と力強く頷いて今来た道を駆け足で戻っていく。


 その背を見送った依頼主は、ポットを載せていたトレーを持って「すみません、お待たせしてしまって」と謝りながら腰をおろした。



「では……改めて自己紹介をさせて頂きます。修復屋リコルヌから参りました、湊と申します。ご依頼を頂いた、林檎の件で参りました。オリヴァさん、でお間違えないですね?」

「ああ、はい。間違いないです」


 ああ、良かった……と大きく息の吐く彼に「あの」と声をかける。


「安心するのは、全てを終えてからのほうが良いかと思います」

「あああ、すみません……!」

「あ、いえ、ご依頼は必ず成功させるのですが、時間がかかることもありますので」

「そう、なんですか?」

「ええ」


 ウチに来る依頼は、依頼主にとっても、僕にとっても、絶対に成功をさせなければならないこと。外部からやってきた僕達にとっては、依頼の成功は、当人達よりも、もっと死活問題でもある。


「あっちに戻れないとか、嫌ですし」

「……ソウさん?」


 ぼそり、と呟いた僕の言葉に、オリヴァさんが不思議そうな顔をしながら首を傾げる。


『大丈夫ですよ、湊君は優秀ですから』

「師匠……」


 耳元で聞こえる師匠の少し低く、優しい言葉に、じいん、と1人感動をしていれば『湊、ケビンが待ってる』ともう1人の声が割り込んで聞こえてくる。


「あれ、ケビン、前のところ、終わったの?」


 小さな声で反応をした僕に『予定よりも手間取ったけど』とマイク越しに聞こえてくる呆れたような声は、僕と同様に師匠の店で働く同僚のニルス。

 もう1人、僕と同じように本の修復を担当するケビン、という青年も居るのだが、ニルスはどうもケビンには手厳しい気がする。

 また、眉間に皺でも寄せているのだろう、とニルスの表情を想像し、小さく苦笑いを零す。


『まぁまぁ、ニルス君も、そんな意地悪を言わないで。湊君、続きを聞けますか?』

「あ、はい!」


 疑問符を抱えながら僕を見ているオリヴァさんに向き直りながら、にこり、と笑顔を浮かべて、僕はノートを開いた。




「なんでですかね」

『そうですね。まぁ、幾つかの理由は考えられますが……湊君、見えてきましたか?』

「あー……、はい。すっごい大きいです。お城」


 この町とお城が見渡せるという小高い丘へとやってきたものの、そこから見る限りでも、この町のお城は随分と大きい。


「はあー、あそこにお后様がいらっしゃる、と……」

『そのようですね。ニルス君、場所はこのあたりで問題ないですか?』

『うん。このあたり』

『では、湊君、いつものもの、送りますね』

「お願いします」


 少しだけ開けたこの小高い場所は、部外者である僕やケビン以外には、あとにも先にも此処に来る人物は居ない。


 持ち物の一つの、小さめな本をぱか、と開いた瞬間、目の前に出てくるのは、1つの小さな家。

 そして僕は、その家の扉を迷うことなく開けて、中に入った。


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