ファイル No.3


 ホームレスだけにはなりたくなかった。あんな惨めな格好で路上に座り込んで、明日という言葉を忘れたかのように惚けた顔で道行く人々を眺めるなんてしたくなかった。しかし、俺はその生活をすることを余儀なくされている。俺は家賃を払うことができず、家を出されるのも時間の問題である。ここ数日まともな食事も取れていない。


 どうしてこんな状態になってしまったのか。最初は順調であったのに。大学を卒業し、会社に就職した。その会社はいわゆるブラック企業で、それを見抜けずに、俺は労働に見合わない給料しか貰えなかった。それでも、自分の出せる精一杯を会社に捧げ、2年が経ったある日のことだ。


 友人にあるお寺へ連れて行かれたその次の日、会社は俺の能力を認め、昇格することになった。昇格したことにより、給料は少し増えて仕事量が倍になり、俺はここまで来て、仕事を辞めてしまった。しかし、仕事が忙しくてほとんど貯金に回していたお金があることもあり、次の仕事を探す気にはなれなかった。


 少しの間だけでいいから仕事から離れたかったのだ。そう、少しの間だけのつもりであったが、気がつけば10年近くも無職のままで、その間ずっとネトゲに明け暮れる日々。貯金が底をつくと、借金までして無職を貫こうとした。とうとうお金を貸してくれる企業は無くなってしまった。そりゃあ返す気がないのだから。


 借金取りが朝方にドアを叩く音も段々と恐怖に感じてきて、俺は悩んだ。ただ働きをするか、自殺するか、それとも......。ただ働きなんてごめんだし、俺が自殺してしまえば、借金の代理人が可愛いそうだ。それなら、やることはただ1つ。他人の努力を奪うのだ。


 初めはスーパーの商品を盗み、次はコンビニ強盗に入り、通行人のバッグをひったくったり、俺は罪を重ねていった。それが、とんでもないほど快感であった。これが、面白いくらいに警察に捕まらないのだ。借金も難なく返し、このまま泥棒として生きていこうと決心した。


 そして、次に目をつけたのはこの前友人と行ったお寺の賽銭箱だった。このお寺はここ最近有名になってきていて、世界的にも有名なお寺だ。ここならば、たくさんのお金が落ちてるだろうと考えたのだ。


 真夜中になって人気がなくなった時、俺はそのお寺に侵入した。侵入は容易く、警備1つないものだから、逆に驚いてしまった。それでも、ある程度の警備があることを想定し、隠密に行動する。賽銭箱の前まで来ると、緊張のあまり手が震え始め、心臓が大きな音を闇に放つ。


 賽銭箱の中を覗いてみると、中には数え切れないほどの小銭が入っており、前もって考えた作戦を使って小銭を取り出そうとした時、後ろから足音が聞こえた。


 俺は振り向くよりも先に身を隠すため、本堂の裏側へ行った。そして、本堂へと続く薄暗い道をこっそり見てみると、そこには月明かりに照らされて浮かび上がる人影が揺れながら本堂へ近づいていていた。


 警備の人かと思ったが、そうではない様子であった。その影の主はぽっちゃり体型の女性のようで、泣いている様子だ。鼻をすする音がここまで聞こえ、何事かと思った。


「あぁ......どうして私はこんなにも恵まれていないの......! この顔のせいで何度もフラれて、ようやく付き合えると思ったらお金だけ持って逃げられて......。もう、私はどうしたらいいの!」


 自分の報われない人生と、その人生を構築する顔に対する憎悪が誰にでも伝わるような嘆きであった。俺は彼女が可愛そうに思え、何かしらの励ましができたらなと近づこうとした瞬間、体中が凍る感覚に襲われる。


 ひんやりとした冷たいが俺の足首を掴んでいるのである。その手は掴んだ俺の足を思い切り引っ張って、本堂裏の奥へと引きずられていく。


「う、うわぁぁぁ‼︎」


 いくら叫んでも声は闇の中に吸い込まれて消えていく。コンクリートの上を引きずられ、顔やお腹、腕などの箇所に擦り傷がついていく。その引っ張る力は強く、抵抗も意味を成さない。


 小さいはずなのに強靭な腕が生えていて、小銭の擦れる音を立てながら俺を引っ張るのは賽銭箱だ。俺はまだ生きたい! 声にならない叫び声すらも喉に突っかかる。擦り切れたところが痛み、涙が流れてきた。大人なのに情けないなんて考えるほど最近は大人という実感がなかった。


 引きずられているという感覚が振動を通じてわかる。俺はゆっくりと引っ張られるままに連れていかれ、恐怖は雪のように積もるばかり。そして、賽銭箱はまるで食事を扱うように鐘の前に俺を運んだ。


 鐘は急に大きなを開き、俺の体を腕一本残さずに口の中へ放り込んだ。放り込んだというよりかは、吸い込んだというべきかもしれない。俺はいつのまにか鐘の口の中にいたのだ。


 世界は理不尽で、悪を悪と呼ぶことが悪になりかねない。それ故に、俺は馬鹿みたいな仕事を引き受けて真面目に取り組み、その仕事に俺の感覚や精神的な面を引き裂かれ、俺はここまで落ちぶれたのだ。今ごろすぎる言い訳にも聞こえるが、俺はこれを運命とも取るし、誰かが絶対に遭遇する悪夢とも取る。


 これは生きるすべは盗み以外にもあったのに、楽を選んでしまった末路かもしれない。もしかしたら他人の努力と一緒に他人の悪夢まで盗んでいたのかもしれない。この2つの出来事が上手い具合に混ざり合って、現在が出来上がったのかもしれない。俺は、どこで間違えたのか。


 鋭く、真っ白な手入れされた歯が俺を、引き裂いて、引き裂いて、引き裂いて......。死の恐怖もろとも粉々にされ、意識は徐々に薄れて最終的には消えた。


 ゴーン――ゴーン――


 ご馳走さまの合図がまた、夜を彩り、神秘的な赤色が辺りに飛び散る。

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