死幸
㐂夕(たななばた)
父 1
ぼくらは普段、「生」を意識せずに生きている。
何気なく会話し、何気なく時間を無駄にする。
生きていることが当たり前で、明日があるのが当たり前。
親と兄弟と喧嘩するのが日常で、友達と馬鹿して笑うのが日常。
そんな中で「死」を経験した人は、どうなってしまうのか。
「死」と向き合うことが出来るのだろうか。
ぼくは、今の「ぼくら」には出来ないと断言出来る。
ぼくらは平和の中に生きている。
平和の中で死んでいく。
ぼくらはきっと、「死」と向き合うことから、目を背け続けてきたのだ。
――これは、一介の高校生である「ぼく」が、身近な人の「死」を実感したときに考えたことの話。
ーーーーーーーーーー
4月6日 23:30
始業式の日。
高校三年生になっても、夜電話する彼女すらいないぼくは、父親を捕まえて雑談をしていた。
スマートフォンを機種変更したばかりの父親は、あまり使い慣れていない様子で、色々と不便していた。
ぼくは父や友人の端末選びの相談に乗るなど、スマートフォンなどについてのある程度の知識があった。
オススメのランチャーアプリや、Twitterのクライアントアプリ、果てはモバイル用オフィスアプリまで、父の悩みを聞いては、その都度不安材料を一つ一つ消していっていた。
そんな折、進級祝いの景気付けに、父が野球道具を買ってくれることになった。
とは言え、あまり裕福ではない家庭。3000円程度で購入できるものを探していた。
記憶は定かではないが、ZETT社のトレーニングシューズを注文しようとしていたように思う。
いつも通りの、何気ない日常。
今ならその日は「幸せだった」と、ぼくは胸を張って言えるだろう。
突然壊れることなど、想像出来るはずもなかったのだから。
ーーーーーーーーーー
4月6日 23:40ころ
就寝。
ーーーーーーーーーー
4月6日 23:50ころ
異音がした。
指を入れたときのリコーダーのような、人間の呼吸音にノイズを入れたような。
規則的で、周期的で、でも耳にこびりついて離れない、不快な音だった。
ぼくは最初、父親が何かの拍子に興奮して、「そういう声」を上げているのかと思った。
だが、流石にそんなことないのは察しがつく。
「大丈夫?」と、ぼくは声を掛けた。
「おう」と、苦しそうな中でも、父親は答えてくれた。
元々父子ともに喘息持ちだったこともあり、すわ発作か、吸入薬を使用したなら大丈夫か、などと甘いことを考えていた。
父と交わした、たったひとことのこの会話を、一生背負い続けることになるとはつゆ知らず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます