車椅子写真家 小鳥遊翔の推理
海 潤航
第1話 ダビテ像のハート型の瞳の謎
3年前。豪雨の九州自動車道で、車5台の玉突き事故が起こった。雨によるスリップが原因で、大事故となった。死者8名、重軽傷者5人。
先頭から3台目のパジェロに、若い男性が乗っていたが、後続のトラックの追突で重症を負う。救急車で病院に担ぎ込まれて、命は取りとめたが下半身へのダメージは大きく、一生車椅子を使う事となった。
男性の名前は小鳥遊 翔(たかなし しょう)という。職業はカメラマンだった。
東京都国分寺市に古いが広い家がある。敷地も広く母屋のほか、廊下続きで小ぶりの建物がある。
小鳥遊 翔のスタジオだ。車椅子で生活できるように全ての通路はバリアフリーとなっている。小さな商品の物撮り撮影ができるようになっている。ここまでの設備を整えて、仕事できるようになったのは、障害者支援団体の「あすなろ」の佐藤君のおかげだ。今日も、ネット販売で使われる商品撮影の商品を持ってきてくれている。
「小鳥遊さん。今日の商品は健康食品の箱を10個持ってきましたよ。特別厄介なものはないようです」
「わかった。その棚に置いといてくれ。切り抜き用でいいんだろ」
小鳥遊はその商品を確認する。
「いや、バック生かしが3点あります。ブルーのグラディーエーションを使ってくれとの事です」
「そうか、そいじゃ蛇目さん。また、アシストをお願いします」
佐藤と同行していた女性に声をかけた。
「良いですよ」
蛇目美穂(じゃのめ みほ)は答える。蛇目は障害者支援団体の「あすなろ」の手伝いをしている女子大学生だ。商品撮影はおもったより手間がかかる撮影た。なるべく一人で全部できる設備にしているのだが、アシスタントをしてくれる人がいると、格段と能率が上がる。
小鳥遊、佐藤、蛇目は10畳ほどのスタジオで世間話を30分ほどして、帰っていった。
チロリロリーンと室内インターホンがなる。
「翔くん、お昼ごはんよ」姉の声がする。
「分かった、今行くよ」
車椅子で母屋の通路の扉を開け、短い廊下を渡り母屋の食堂に行く。
「みんな帰ったの。今日はうどんよ」
「ああ、30分ほど前に帰ったよ」
「あらっ、一緒に食べればよかったのにね」そう言いながら、うどんを二人分用意をする。
「翔くん、頭痛いの治ったの」
「ああ、気圧が下がるとズキズキするけど、今は大丈夫さ」
「そう、後遺症って長く続くっていうから。あんまり部屋に閉じこもってばかりいないで、庭に出て散歩しなさいよ」
取りとめもない会話を交わしながらうどんを啜る。
母屋には10才上の姉夫婦が住んでいる。姉夫婦には子供はいない。両親は5年前に揃って病気で他界している。意外と広い一軒家に、姉夫婦と弟の翔が住んでいる。事故の保険金で住居兼スタジオを建てた。
事故から3年目、車椅子でなんとか暮らしていける環境を作ったのだ。
翌日11時にスタジオのチャイムが鳴る。
「こんにちは、蛇目です」少しトーンの高い声がする。
「ああ、今開けます」手元のリモコンで、電子錠を開ける。
「外は天気いいですよ。さー準備しますね」
蛇目美穂は、ロングヘアーをポニーテールにして、慣れた手つきでスタジオセットに近寄り作業をしている。最初はなんにも知らなかった美穂も、翔のカメラマン指導でだいぶわかってきたようだった。
「翔さん、ライティングはいつものでいいんですか」。
「いいよ、一番小さなやつから撮ろうか。物をおいて下さい」
特製の撮影台にはアールと呼ばれる湾曲したバック紙が敷いている。最初は切り抜きようなのでグレーの用紙を使う。
ストロボは基本3灯である。翔の後ろにメインのストロボが傘バウンズでセットしている。サイドに1灯、トップにボックス式のライトをセットし、商品の周りには、手作りの発泡スチロールのレフ板を立てる。切り抜き用なので、ややフラット気味のライティングである。
移動用の三脚にキャノン1Dsを取り付ける。車椅子なので撮影台は油圧の昇降システムにしている。しかしそれでも高さが足りないので、特注の油圧式三脚を使い、調節をする。
車椅子でファインダーを使うのは大変なので、カメラにHDMIをつなげ小型のモニターをセットしている。シャッターは電子レリーズである。テストでシャッターを何度か押す。パンパンというフラッシュの音が響く。撮影の開始である。
翔の撮影は、結構手間を掛けるので、1カット取るのに30分ほどかかってしまう。5カットほど撮影した後、休憩をとった。
美穂はスタジオにある小さな冷蔵庫の缶コーヒーを自分で取り出し、小さなテーブルの上においてプルタブを開ける。翔は普段水気をとらない。トイレが面倒だからだ。
美穂は自分のバックからチョコレートを取り出して、ポイと口に入れる。その仕草は若い娘特有の可愛らしさがある。
「翔さん、歴史が得意でしたよね」
「ああ、好きだけど、なぜ?」
「大学の同級生から聞いたんですけど、わからないので小鳥遊さんに聞いてみようと思ったんです」
小鳥遊は、もうすぐ40歳になる。美穂は大学生で21歳である。美穂からしてみれば、小鳥遊は物知りのおじさんといったところだろう。
「ダビデ像って知ってますか」
「ああ、ミケランジェロが作ったやつだろう」
「そうです。最近イタリア旅行に行った友達がいて写真をインスタにあげまくっていたんです。そこに写っているダビデ像の瞳にハートが彫ってあったんです。それが拡散していて」
「へーそうなの」
「だけど、なぜダビデの瞳にハートがあるのか。みんな騒いでいるんです」
「うーん、面白そうだな。調べてみよう」
撮影が終わり、華やかさを振りまいて蛇目美穂は帰っていった。しばらく後片付けをした後、小鳥遊はパソコンの前に行きデスクトップパソコンの電源をONにする。そして小鳥遊はネットの世界に没頭した。
とりあえずダビデ像と検索窓に入れてみる。
まずウィキペディアが出る。ウィキペディアに対して批判的な人も多い。掲載されている内容が正確でない場合があるという事に原因がある。確かにおかしな解説もある。
しかし、古典的な事や歴史的な事に関してはどこよりもボリュームがある。私にとっては、辞書代わりになり重宝している。
問題のハート型の瞳の謎である。ダビデ像の後にスペースを入れ「ハート型の瞳」とキーワードを入れてみる。
確かに幾つかのサイトがヒットした。「びっくり!! 実は瞳がハート型だった」といった内容が多い。今までその画像を見た事がなかったので、表示を画像に切り替える。ネットの凄いところは目的の画像が簡単に見る事が出来るという所だ。確かに瞳の中の彫りは、はっきりとハート型になっている。
うーん。面白い。
たしかミケランジェロは、若いリアルなマリア像を作ったり、モーゼの頭に角を生やしたりしている芸術家だ。ハートの瞳もミケランジェロだったらアリなのだろう。
ただハートが恋愛のシンボルとなったのは18世紀以降という事なので、ハートではなくハート型と言ったほうが正確のようだ。
カメラマンの私にしてみれば、瞳の中のハートはアイキャッチと呼ばれるライティングと同じものだという事がすぐわかった。
カメラマンが、人物を撮影する時に重要なのはライティングである。
屋外の撮影では、太陽光線以外に、光を反射させて光源として使うレフ板というものがある。
屋内のスタジオでは、複数のストロボを使って被写体にあたる光を構成しているのだが、顔のアップの際には、モデルの瞳に映り込む光をあえて作る。これがアイキャッチである。アイキャッチは単独ライトを当てる場合も多く、これがあるとないのではモデルの表情が大きく違ってくる。
天才ミケランジェロは15世紀の人物だが、21世紀のカメラマンと同じ発想で、被写体を見ていたのだと思う。
目の中に丸や半月形の彫りを入れる技法は「ぺルタ」と呼ばれ、瞳に明暗と立体感を生み出す為に用いられると、どこかのサイトに書いてあった。
確かにミケランジェロは、代表作の角の生えたモーゼ像にも瞳の中に彫り込みがある。しかし、その「ぺルタ」は丸である。
なぜ、ダビデ像の瞳の中はハートで、モーゼ像は丸なのかという疑問が新たに湧いてきてしまった。
もう一度ミケランジェロを調べなおしてみる。
ダビデ像を作ったのは1504年29歳の時、モーゼ像は1515年の完成とされているので40歳くらいであろうか。若い時にダビデ像を作ったので、まだ感性がみずみずしかったのも要因だろう。一般的に若い頃は実験的な作品を作る人が多いものだ。
ミケランジェロは完全を求めてきた芸術家らしく、人体の構造を知るために解剖までしている。また、彫刻が置かれる場所の事を考えて、手の長さや身体の比率を変えていたといわれている。
ダビデ像にも同じ事がいわれている。ダビデ像の上半分がやや大きく作られている。これは制作後台の上に置かれて設置する予定だった。その為、像を見上げた時ベストのバランスになるように作られたという解釈が一般的となっている。
恐ろしいほどの完全主義者であり、また演出家でもある。像が建っている場所と日差しの位置、見上げる角度、季節や時間も計算に入れていると思う。
ハート型がアイキャッチだという所まで来たが、この一般的ではない技法をなぜダビデ像にだけ使ったかが謎として残った。
翔は一息入れるために、コーヒーを作って飲む。目頭を押さえ、目薬をさす。長時間パソコンの前にいるのは疲れてしまう。頭の中を整理してみる。アイキャッチまではわかったが、なぜハート型なのかという事だ。
ハート型というのにとらわれているかもしれないと思い、自分の撮影の時のアイキャッチについて考えてみた。
通常の撮影の場合、アイキャッチはストロボの位置に反映する。下からのライティングでは瞳の下にでき、サイドの時には左右にキャッチが入る。
ピンと来た。
ああそうかと思った。わかったのだ。もう一度パソコンの前に行き、調べ始める。
アイキャッチが上に入るライティングは、真上に近い大きい面のストロボの設置である。という事は、ダビテのハート型アイキャッチは、上からの光を意味している。
普通は太陽だが、太陽の場合、丸く小さな点が入る。ハート型のように縦の切れ込みにならない。アイキャッチをはっきり出すには面が必要なのだ。
「ぺルタ」と呼ばれる丸い彫り込みの上部にあるハート型に見える突き出し部分は、至近距離に迫った、縦長の光り物を示している。
瞳の中に映るものは、相手の姿である。相手は巨人ゴリアテだ。絵で見るゴリアテの姿は鎧を着て大きな槍か大きな剣を持っている。
その縦長の光っているものとは、ズバリ剣か槍の刃である。
大きな剣か槍の刃の部分が太陽の光を受けて光っているのだ。その刃の輝きをダビテの瞳に彫り込んだ。
間違いない。
小柄なダビテ、巨人ゴリアテ。ダビテの武器は石である。ところが巨人ゴリアテは大きな槍を持っている。
その巨人ゴリアテは剣か槍を高く持ち上げていたのだろう。
太陽は真上
巨人ゴリアテの槍の刃に太陽が反射して、キラリと光る。
ダビテは迫ってくるゴリアテをにらみつける。
まさにその瞬間を、ミケランジェロはダビテ像の瞳の中で表現したに違いない。
瞳の上の部分にある、ハート型に見える縦の切れ込みは、巨人ゴリアテの剣か槍の刃の輝きだ。瞳の上にアイキャッチがあるという事は、距離が近いという事まで表現しているといってもいいだろう。
ミケランジェロは、ダビテ像の瞳の中に、敵であるゴリアテの存在と、その場面までも彫刻していたのだ。
翌日、昨日と同じ時間に蛇目美穂はやってきた。
「おはよーございます」いつもの元気な声だ。
「撮影は、あと半分ですね。さーやっちまいますか」
笑顔いっぱいの美穂は、長い髪をかき揚げポケットからシュシュを取り出し、慣れた手つきで髪をまとめる。その一連の動作を見て、翔は「女子」の女子らしさを強く感じて心が和むのだ。元気な男子が、何かやる時に袖をすぐまくり上げる奴がいるが、それと似た動作だといつも思う。
「美穂ちゃん、昨日の宿題だけど・・」
「宿題? あっ、ダビテ像の話ですね。何かわかりました?」
「忘れないうちに話しとくよ」
翔は昨日調べた事を手短に話した。
ダビテ像の瞳の中のハートは、アイキャッチである事、ハート型に見えるのは、相手の巨人ゴリアテの剣か槍の反射光源が写り込んだ為だという事。
「ふーん、確かにミケランジェロだったら有りえますね。すご~い!! これ、ブログに書いていいですか」
「美穂ちゃんのブログ? 」
「はい、私ブログ書くのが趣味なんです。(流れ行く時間とともに)っていうタイトルで日記みたいなやつを書いているんですよ。だけど最近ネタがなくて・・。
翔さんのこの推理、良いと思います。まるで探偵みたいですよね。カメラマン探偵、謎を解く。翔さんが探偵なら、私はワトソン博士ですよね。平成のシャーロック・ホームズ登場なんて・・」
「美穂ちゃんがシャーロキアンだったとは知らなかったな。だけどカメラマン探偵はやめてくれ。だけどブログに書いてもいいよ。この謎解きは楽しかったからね。確証はないけど多分正解だと思う」
「ありがとうございます。あっ、撮影しなくちゃ、さー 頑張りましょう」
そういうと撮影台のところへ行き商品を設置し始めた。
「やろうか」翔も車椅子をカメラの方に移動する。
時間探偵のコンビがスタートしたのはこの時からだった。
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