「点Cの過ち」 1しぇーぷ

「で、何があったの? 喧嘩ではないんでしょ?」

「うん。でもちょっと言いにくいかな……」


 私たちは街の焼肉屋さんに来ている。


 私は初めて入ったのだが、とても焼肉屋とは思えない程オシャレでびっくりした。

 店内は薄暗く、黒を基調とした内装。バーカウンターのような場所やピアノが置いてあるステージがあって、今はステージでギターの弾き語りが行われている。

 カップル席のような二人掛け専用のテーブル。丸いソファの円卓席。くもりガラスで囲まれた個室。

 とても高級そうで私は腰が引けたが、メニューを見て更に驚いた。かなり安いのだ。


 私たちは円卓に案内された。注文は理奈お姉ちゃんがタッチパネルで適当に入れてくれた。


 目の前のテーブルには、ピッチャーのウーロン茶、牛タン、サガリ、ホルモン、大根サラダなど運ばれてきている。

 理奈お姉ちゃんはサガリを焼きながら私にタッチパネルを渡してきた。


「そっか。まあ遠慮しないで一杯頼んで! 私こう見えてもお金持ってるんだぞー」

「うん。でもお皿のお肉無くなってから注文いれるね」


 理奈お姉ちゃんは焼肉奉行なのか、トングを離さない。私の取り皿にはどんどん肉が運ばれてくる。

 肉は値段に引けを取らずとても美味しい。焼き加減が上手なのもあるのだろうか。箸がどんどん進む。


「じゃーさ、なんで美容師目指したいと思ったの?」

「えーっとね、きっかけは小春の頭を乾かしてあげた時かな。すっごい喜んでくれてさ! それが嬉しくて」


「なるほどね。きっかけなんてそんなもんだよね。千夏ちゃん可愛いしすっごい良いと思うよ!」

「うふふ。……理奈お姉ちゃんはなんで美容師やめちゃったの?」


 口にしてからはっとした。

 まずいこと聞いちゃったかも……。


「……うーん。謙から聞いたのかな? ……美容師の卵の前じゃ話しにくいかなー。……それでも聞きたい?」

 理奈お姉ちゃんは柚子こしょう味のホルモンを口にしながらそう言った。


 聞くのはちょっと怖い。きっと、美容師として働いて嫌な事があったのだろう。でも、聞いてみたい。


 私が頷くと、理奈お姉ちゃんはウーロン茶を一口飲みトングを置いた。


 そして、さっきまでの弾き語りが終わったのか、ピアノの弾き語りに変わった。とても透き通るような歌声だ。

 この席からだと死角で見えないが、結構私好みの声。

 そんな中理奈お姉ちゃんは口を開く。


「簡単に言うとパワハラ。あとは自分の弱さかな。私、話しするのが苦手でさ……。お客様に話題振れなかったんだよね。だんまり接客しちゃうの」

「パワハラ? セクハラは分かるんだけど……」


「うーんとね、例えば店長が仕事全くしないで全部後輩の私たちにやらせたり。お客様いる前で怒鳴るように怒ってさらし者にするようなことしたり。暴力は無かったけど、言葉と態度での暴力が凄かったの。私が入った美容室が悪かっただけで、全部がそうとは限らないけど……。結構縦社会が厳しかったんだよね」

「そうなんだ……」


「なんか私気に入られてなかったみたいで、同期は贔屓ひいきされてたんだ。同期の失敗も私のせいにされたし。腹立つよね」

「なにそれ。すっごいムカつく……。私ならその店長殴っちゃうかも」


「でしょー。でもそれしたら負けなんだよ。だから私はもっと強くなるの! 精神的にも……。謙から聞いてるかもだけど、私今キャバクラで働いてるのね。すごいチャラチャラしたイメージあるかもしれないけど、接客とかすごい勉強になるの。会話の仕方だったり、前に来たお客様の特徴とか話の内容をメモして覚えたり。それって結構美容室での接客にも似ててさ」


 理奈お姉ちゃんは弱くなんかない。強いから自分を変えようと努力できるんだ。清楚で大人しい感じのお姉ちゃんがキャバクラで働いてまで自分を変えようとする。

 そしてまた美容師の道に戻ろうとしている。それってすごいと思う。

 私が同じ立場なら、ベッドで塞ぎこんで復帰は考えないかもしれない。


 理奈お姉ちゃんはまたトングを手に取り続ける。


「なんかごめんね。私の愚痴みたいになっちゃってさ。ってか、私結構恥ずかしいこと言っちゃった? もー、次は千夏ちゃんの番だよ! あ、これ焦げちゃった」

 そう言って焦げた肉を他の皿に移している。


 私はそれを見ながら覚悟を決める。


「あの……あのね。私謙が好きなの……」

「ふーん。……え? なになになになに? それはライク? ラブ?」

 トングに掴まれていた生のホルモンがドロリとすべり、網の上に落ちた。


「ラブの方……」


 私は炭火からの熱より顔が熱くなるのが分かった。すかさずウーロン茶を流し込む。


「あらまあ。そんな少女マンガみたいな展開がホントにあるんだねー。幼馴染に恋をする、か。まあいいと思うよ」

「でも……謙彼女いるし……」


「え! そうなの? 謙そんなこと言ってなかったけど? 私に隠してんのかな?」


 どういうこと? てっきりお姉ちゃんとつうつうなんだと思ってたけど……。3人で仲良く話ししてたし。


「今日理奈お姉ちゃんと一緒にいた咲希さん? ……あの人と腕組んでるの見たの。しかも相合傘で……」

「……きっとそれは勘違いね。謙に確認はしたの?」


「勘違い? 確認はしてない……。それを見ちゃってからは、いつも通りに話しできなくなっちゃって……。結構避けるようにしちゃってるの」

「ふーん、そういうことか。ならちょうどいいわね。本人に確認してみましょ? そろそろ出番終わる頃だし」


「え?」


 話の流れが分からない。本人に確認って? 電話するの? ここに呼ぶの? 出番って?


「ちょっとそっちの方に行ってステージ見てみなよ」

「ステージ?」


 私は意味不明なまま立ち上がり、ステージの見える位置に歩いていく。


 そのライトアップされたステージには、肩の見えるタイトな白いドレスを着てピアノを弾きながら歌う女性がいる。顔は背になっていて見えない。

 ちょうど曲が終わり立ち上がる。そして客席を向き頭を下げた。


「あ……咲希さん?」

 思わず声が漏れた。


 白いドレスに同化するような白い肌。赤みを帯びた茶色い髪。うねった髪の毛。間違いない。咲希さんだ。

 向こうは私に気付いていない。


 私は席に戻ると理奈お姉ちゃんはニヤニヤしながら訊いてくる。


「いたでしょ? どうする? ここに呼んでもいいなら呼ぶよ?」


 なんかドッキリにでもはめられたような気分だ。

 何故あそこで歌っているのか。全部仕込まれていたのかな? でも、そんなことする意味ないよね? 何? たまたまあそこで歌ってたの?

 私は悩んでいると。理奈お姉ちゃんは続ける。


「大丈夫。悪い子じゃないし、取って食われたりしないよ。一応私の親友だしね。まあ、今日は2人でって約束だったし、嫌なら全然いいよ?」


 なんかよく分からないけど、謙との関係がはっきりするなら確認したい。勘違いっていうのも気になるし。


「じゃあ……呼んでもらっていい?」



 咲希さんが来るまでの時間、咲希さんが何者かを理奈お姉ちゃんに訊いてみた。


 咲希さんは高校からの親友らしく、今は一緒に住んでいるらしい。ルームシェアってやつだ。

 音楽系の専門学校を卒業し、フリーターをしながらライブハウスや弾き語りの出来るバーなどでライブをしているらしい。


 今日はドッキリを狙ったとかではなく、ここで歌うのを知っていたため、咲希さんを紹介する程度に思っていたようだ。『あそこで歌ってるの今日一緒にいた子だよー』みたいに。

 そうこう話しているうちに咲希さんが現れた。


 さっきまでのドレス姿ではなく、大き目のグレーのパーカーに白のロングスカート。靴はスニーカーでとても可愛らしい。

 咲希さんは理奈お姉ちゃんの横に座ると、無表情で私を見て話しかけてきた。


「あなたはオムライスの人ね」

「まあ……はい。そうです。私は七崎千夏って言います。皆千夏って呼んでるんで千夏って呼んで下さい」


 私は緊張と恐怖心から、面接でも受けているかのような姿勢になる。


「嫌。チカリンと呼ばさせてもらうわ。あと敬語は無しでいいわ」


 チカリン……。まあ何でもいいけど……。あとオムライスの人って……。


「チカリンって初めて言われた。私は何て呼べばいい?」

「咲希でいいわ。サキリンも可ね」


 サキリン……。自分でそれ言っちゃう? やっぱ変わってるなーこの人。


「じゃあ咲希って呼ぶね」

「いいわ。ところでチカリン、その鞄についているキーホルダー。可愛いわね。どこで手に入れたのかしら?」

 咲希は私横に置いてある鞄を指差して言った。


 キーホルダー? これは謙のプレゼントを選びに行ったときに衝動買いしたカエルのキーホルダー。カエルが逆立ちしているやつだ。結構気に入っている。


「これは駅ビルだよ。店の名前忘れちゃったけど、雑貨屋さん。服とかも置いてあったかな」


 理奈お姉ちゃんは何故かくすくすと笑っている。私と咲希のやり取りが面白いのだろうか?


「そう。今度探しに行ってみるわ。それと今日のライブ見たわ、チカリンはスニーカーにメンバー入りしたのかしら? 今度対バンになったらよろしく」

 そう言いながら、慣れた手つきでタッチパネルを操作している。


「違う違う! あれは山瀬君が急遽出られなくなって、私が代わりに歌っただけ。メンバー入りはしてない」


 そっか。ライブハウスで歌ったりしてるからスニーカーの事知ってるんだ。


「なんだ残念。チカリン歌が上手だったから強敵が現れたと期待していたのだけれど。チャラヤマは歌い方が乱暴であたしは嫌い。見た目も。スニーカーがメンバーチェンジで良くなったと思ったのに本当に残念」

「チャラヤマ?」


「チャラヤマは山瀬よ。あのチャライ感じがあたしは嫌い。何度か告白もされたわ」


 結構衝撃の事実を聞かされた気がする。山瀬君告白してたのか。でも咲希は可愛いから、その気持ちは分からなくもない。

 咲希は割り箸のまま生肉を掴み焼き始めた。


「確かに歌い方乱暴かも。せっかくキックルズのコピーで期待してたけど、声が全然合ってなかったなあ。やっぱりキックルズの曲はボーカルの細田ほそださんの声じゃないとだめだ」

「チカリン! あなたやっぱりキックルズファンなのね? あの歌い方といいカエルのキーホルダーといい」


 咲希は声を張り上げたかと思うと、急に立ち上がり私に握手を求めてきた。


「まさか。咲希もキックルズファン?」


 咲希は真っすぐな瞳でコクコクと顔を上下させる。


 私はその小さな白い手をギュッと握り笑顔になる。高揚から出る笑みだ。


 身近にずっといなかったキックルズファン。浜田も好きと言っていたが、ちょっと違うのだ。好きの度合いが浅かった。

 でも咲希は違う。だって。立ち上がったときに見えたパーカーのポケットから出ているカエルのストラップ。あれは、ライブ会場の物販でしか買えないキックルズのストラップ。

 私はもったいなくて付けられず、宝物の引き出しにしまったままのストラップ。


 その後すっかりキックルズの話題を通して咲希と仲良くなってしまった。

 まさかキックルズのライブMCの話題を話せるときがくるとは夢にも思っていなかった。


 ウーロン茶の入っているピッチャーが底をついた頃、静かだった理奈お姉ちゃんが口を開いた。


「うん。二人とも仲良くなれて良かったね。まさかここまで二人で盛り上がるとは思ってなかったよ。……じゃーさ、本題に入ろうか」


 咲希はいつの間にか運ばれてきていたモヤシのナムルを食べながら理奈お姉ちゃんに訊く。


「りなっぺ何? 本題って?」


 理奈お姉ちゃんはりなっぺって呼ばれてるんだ。咲希は皆にあだ名つけるんだな。


「前に咲希が謙と腕を組んで相合傘してるところを千夏ちゃんが目撃したんだってさ。千夏ちゃんは謙のこと好きみたいで、その真実を知りたいみたい。要は二人が付き合ってるって思ってるみたいなんだけど」


 ちょっと心の準備時間を貰いたかったが、理奈お姉ちゃんがどストレートに全部言ってしまった。

 私は空のグラスを握ったままそれを待つ。咲希は表情ひとつ変えずモヤシを食べている。


 私たちのテーブルだけが少しの沈黙になる。


 そして咲希は箸を置き私を見て口を開いた。


「付き合っているわ」


 その一言で胸が飛び出しそうになった。

 そして私よりも驚いた表情をしたのは理奈お姉ちゃんだった。


「ちょっと咲希! そんなこと一言も言ってなかったじゃない! いつから付き合ってるのよ? ってかあんた高校生に手を出したの?」

「嘘よ。冗談に決まっているじゃない。りなっぺ驚き過ぎよ。あとチカリンも」

 咲希はそう言ってくすりと笑った。


 その笑った表情があまりにも可愛くて私は息を呑んだ。今までずっと無表情だった咲希がふと見せたその笑顔に……。

 目線を隣にやると、理奈お姉ちゃんが謙をぶっ飛ばすときの握りこぶしスタイルに変わっていた。私は咄嗟に止めに入る。


「ちょちょちょーい! ストーップ!」


 必死に止める私を余所に、咲希はまたモヤシを食べ始める。



 理奈お姉ちゃんが怖いので席替えをした。

 私が真ん中に座ったのだ。なんで二十歳過ぎている二人の喧嘩を高校生の私が止めに入らなければならないのか。 


 大分お腹も一杯なので、デザートのアイスをタッチパネルで選ぶ。

 咲希も私の頬に顔を付けるようにしてタッチパネルを覗き込んでくる。


「ねえ理奈お姉ちゃん。デザート頼んでもいい?」

「すきにしな」


 理奈お姉ちゃんは、タバコ片手に頬杖をついて無愛想に返事をくれた。


 やべー怖いんですけど。完全に謙に切れてるときのモードだよ。美容室やめるとき絶対店長殴ってるよこの人。それにタバコ吸ってるし。理奈お姉ちゃんってタバコ吸うんだなあ。そんなの理奈お姉ちゃんのキャラじゃないよー。


 恐怖の中、私はストロベリー、咲希はチョコミントと決まり注文確定をタップした。

 私はタッチパネルを専用の台座に置き、一つ気になっていることを聞くか考える。


 謙と咲希が付き合っていないのは分かったが、私が雨の中見たあの光景はなんだったのか。ということだ。

 カップルしかやらないような腕組みプラス相合傘。

 外国ではキスが挨拶のように、二十歳過ぎたら腕組みは普通なのだろうか? 私が知らないだけ? うん、聞こう。


「ねえ咲希。なんで腕組んでたの? カップルにしか見えなかったけど……」


 咲希は無表情で黙っている。

 口を開いたのは理奈お姉ちゃんだった。


「千夏ちゃんの見たものは、好きとかそういう感情でやっていたのもではないよ……」 


 何故か分からないが、そう言った理奈お姉ちゃんの顔は暗く悲しげ見えた。

 それを遮るように咲希が訊いてきた。


「チカリン。それは何時何処で見たのかしら?」

「たしか休みの日だった……敬老の日だ。駅ビル前のタクシー乗り場だよ」


「……そう。その日はちょうどユズルンに買い物付き合ってもらったのだけれど。あたし、急に体調が悪くなってね……。タクシーで帰ったのだけれど。あたしは傘を持っていなかったわ。ユズルンは几帳面だから折り畳みの傘を持っていたようだけれど。腕組みというよりは、腕を貸してもらっていたというのが正しいわ」


 学校祭中にも言ってたユズルンって謙のことだったのか。

 咲希は続ける。


「大丈夫よ。あたしはユズルンの事恋愛対象に捉えていないわ。弟みたいな感じね。毛も生えていないような小学校時代からユズルンを知っているもの。あたしはチカリンを応援するわ」

「うん。ありがと。なんか疑うような聞き方してごめんね」


「いいわ。気にしてない。アイスも来たみたいだし食べましょ」

  


 焼肉屋を出たあと車で家まで送ってもらった。

 心配していた理奈お姉ちゃんの機嫌も直り一安心。


 お風呂にも入り寝支度を済ませた私はベッドに入る。


 こんなに気持ちがいい布団はいつぶりだろう。ずっと心につっかえていたものが綺麗に無くなった。

 明日学校に行ったらユズルンって呼んでみようかな。

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