「動き始めた点C」 1ぱねる

 裏玄関から中に入る。

 入ってすぐのここは、床屋のバックルームになっている。

 謙の家は、一階部分が床屋で二階が住居となっている。中からの行き来は出来ず、裏玄関横の階段を上がった先に住居の入り口がある。


「もっかい顔見せてみろ、ヒリヒリするところとかないか?」

 と、覗き込むように私の顔を見る。

 

 特に火傷特有のひりつく痛みは無いが、自分でも触って確認してみる。


「うん……大丈夫そう」

「よかった。ちょっと待ってろ、タオルと着替え持ってくるから。あと、その……下着は大丈夫か? 濡れちゃったか?」


 謙の顔は、目を逸らし赤くなっている。

 今の私の心境ではそれに突っ込む余裕は起きない。


「大丈夫……」

 

 謙は駆け足でサロン側に向かい、タオルを二枚持ってきて私の頭をタオルターバンにした。

 もう一枚は体を拭けということだろうか。優しく手渡された。そして、バックルームから外に出て行った。

 階段を駆け上がっていく音が静かなこのバックルームに響いてくる。


 数分しなうちに再度階段の音がし戻ってきた。


「とりあえずこれに着替えろ、ターバンしてるから着替え辛いかもだけど。俺は2人のとこ行ってくるから、ここで待ってろ! ターバンは勝手に取るなよ!」


 そう言って私に服を投げ渡し、また外に出て行った。


 とりあえず、濡れて脱ぎづらい服を脱ぎ、体を拭いてから着替えた。

 私には大きすぎるTシャツ。何度も見た事がある謙のTシャツ。謙の家の匂いがするTシャツ。


 久しぶりに入ったバックルーム。と言っても数か月ぶり位だけど。

 カラー剤が沢山積まれている棚に、それを混ぜたりするのに使うであろう腰ほどのシンクが壁にあり。

 冷蔵庫にポット、二層式の洗濯機。小さなテーブルにパイプ椅子二つ。小さな食器棚。乱雑に積まれた段ボール。

 タバコの匂いと、床屋の匂い。


 私はパイプ椅子に座って、壁にかかっている時計を見た。9時半を過ぎている。

 5分程してノック音と共にドアの向こうから謙の声が聞こえた。


「千夏ー、着替え……終わってるか?」

「……うん、入っても大丈夫だよ」


 謙は中に入るとふうと一息つきもう一つの椅子に座った。


「お前のチャリ裏まで持ってきておいたから、あとこれ、千夏の鞄。それと、2人には帰ってもらったよ。……着てたシャツは? 洗濯してやるよ」

 

 私はシャツを渡す。


「わりいな、火消すのに花火のゴミ入れてたバケツの水かけたから。匂いきついだろ? あとで風呂でも入っていけよ」


 そう言いながら、慣れた手つきで洗濯機を回す。

 粉洗剤を箱からすくう音が聞こえる中、私は謝った。


「……ごめん、せっかく楽しく花火してたのに」

「……気にすんな。お前が無事ならそれでいい」


「……うん、ありがと」


 謙は洗濯機に注がれていく水を見ながら、難しそうな顔をしている。その顔を見た私は更に申し訳なくなる。


 少しの沈黙の後、謙が口を開く。


「あのさ……今から俺のカットモデル……やらない? ってか、やろう!」

「え? 今何時だと思ってんの? もうそろ帰んないと怒られちゃうよ」


 謙は顔をしかめている。


「……明日って8日だよな? 前にさ、部活の送別会あるって言ってなかった?」

「うん、昼から学校でね」 


「……お前の親には俺が伝えるから、頼む!」

 謙は手を合わせる。


「えー、私髪切りたくないよ? 短くしたくない」


 なんでいきなりカットモデルなの? 私髪伸ばしてるの知ってるくせに。


「うーん、でもな。お前さっき何が起こったか分かってる?」


 さっきは、髪が燃え……。

 私はやっと理解した。そうだ、私の髪の毛どうなってる? 結構燃えてたよね? 難しい顔してたのはそのため?


「……もしかして、かなりひどい状態……なの?」

「……うん」


「な、ならさ、明日朝一で行きつけの美容室行ってくるよ……はは」

「明日は火曜日だ……ここらの美容室はみんな休み」


「……」

「とりあえずついてこい」


 謙はサロンの方に向かった。私も後を追う。

 謙は電気を付けて、セット椅子に座るよう手招きする。私はそれに従った。


「いいか、かなりひどい状態だけど心配すんな! 安心していい」


 安心していい? ひどい状態なのに? 


 目の前の鏡には、タオルターバンをしてぶかぶかTシャツの私と、真剣な顔をした謙が写る。

 謙は頭のタオルを取った。

 鏡に晒された自分の髪に私は目を疑った。


「え……どこが安心……」

 手で口を押えた。

 

 鏡に写った私の髪は、右側の顎辺りから下が無くなっていた。その毛先は、白くチリチリになっている。

 更に手鏡で、後ろ側も見せてくれた。

 右後頭部の毛が、同じく肩辺りから無くなっていた。


 涙が溢れて、視界がゆがむ。


「泣くな……大丈夫! 俺が今からお前をもっと可愛くする、今日髪が燃えて良かったって思わせてやる! だから安心しろ」

「……ひぐっ」


「とりあえず、毛先のチリチリだけ切らせてくれ、その後上で風呂入ってこい、匂い辛いだろ?」

「……分かった」


 その後、チリチリの毛先を切ってもらい、お風呂を借りた。



 火薬臭から解放された私は、階段を降りてバックルームから中に入った。


 サロン側からドライヤーの音がする。覗いてみると、謙が私のTシャツを乾かしている最中だった。


「ねえ、なんでお風呂にスースーするシャンプーしかないのよ! リンスもないし! 超スースーするし、髪ギシギシだし」

「わりい、ここにはあるんだけどな。さっき渡せばよかったな」

 謙はそう笑顔で答えた。


「そういえば、おじさんいないの? 家の中誰もいなかったけど」

「外で飲んでるんじゃねーの? よし、乾いた。ここに掛けとくからな」

 そう言ってお客用ハンガーに掛けた。


「ありがと」

「だいぶ調子戻ったな。いつものお前だ。よし、始めるか!」


 謙はセット椅子の高さ調節レバーに足をかけて、椅子をこちらに回転させた。

 そして椅子の上を手で軽く払い、手招きする。


「お客様、どうぞこちらへ」 



 ここは『理容室 ヤモト』。


 今はロールカーテンが下ろされているが、ガラス張りの表面。

 小さな受付があり、少し古い型のレジ。その後ろに、お客の荷物や上着を掛けておく棚とハンガーラック。

 受付の前は待合になっており、二人掛けのソファーにテーブル。

 本棚には、少年漫画にスポーツ紙、インテリア雑誌に釣り雑誌など。その横には、ずっと枯れずに昔からある観葉植物。

 セット面は2つあり、鏡の下にはシャンプー台が設置されている。ここのシャンプーは顔を下にして行うシャンプーではなく。椅子を回転させて、美容室のように寝た状態でシャンプーする。

 セット面の反対には、棚とワゴンが二台あり、二つ折り式手鏡やドライヤーが入っている。

 他にもなんに使うのか分からない物などが置かれている。


 そんな小さな理容室、もう夜も遅いというのに二人の男女がいた。

 そう、私と謙だ。


「あー! やっぱ待って待って! 心の準備が」


 真っ白なカットクロスに包まれ、身を拘束されたかのような私。クロスの袖からちょこんと手を出しうろたえる。

 謙が無傷の左側をバッサリ切り落とそうとしているからだ。心なしか悪魔に見えてくる。


「お前なー、長さを短い所に揃えないと始まんないだろ!」

「もー、分かってるけどさー」


 長年ロングヘアーで通してきた私の……私の意地が! 成人式までの意地が! 振袖に地毛でのセットが夢だった私の意地が!


「あ、外見て! 何だあれ!」

 と、急に謙が驚いた表情で入り口側を見ているのが鏡越しに写った。


「え? なになに?」

 私も同じ方を確認する。

 

 入り口側、ロールカーテンで見えるはずのない外。

 

 何? どこ? と、さらに確認する。

 と、同時に『ジョギ』っという髪の毛の束を一気に切り落とした音が聞こえた。


「はい、記念に持って帰んな」

 と、毛の束を渡される。


「……がーん、騙したな! いらんわこんなもん! ポイだ! ポイ!」

 私は床に毛を投げた。

 

 謙はケタケタと笑う。


「こんな長さ、幼稚園以来だよ……しくしく」

 私は泣く素振りをする。


「切りやすいように長さ合わせただけ、今肩に当たるくらいだけど、もう少し短くするよ」

「まだ短くなるの? ってかさ、あんた髪切れるの? しかも私女ですよ?」

 半眼で問いかける。


「生きた女性は初めてだけど、お前だから・・・・・大丈夫!」


 それってどういう意味? 私だから失敗してもいいってこと?  


「死体の女性は切った事あるの?」

「なんだそれ、こえーわ、やめろ! カットウィッグだよウィッグ! 俺の部屋のやつ見た事あるだろ?」


「あの髪の毛生えた首の人形? あれ怖いー、私嫌い! だって生首じゃんあれ」

「慣れたら全然怖くないよ、付けまつ毛付けたら結構可愛くなるんだぜ? で、最近レディースカットの練習してるからさ」


「へー、可愛く? ふふ、でも床屋ならほとんど男の人でしょ?」


 謙は私の後頭部の髪を分けながら、少し黙る。


「わり、ダッカール忘れた、取ってくる」


 そう言ってバックルームの方に消えた。


 鏡越しに時計が目に入る。針は10時を回っている。


「げ……謙ー! 動いてもいい? 携帯取りたい!」


 バックルームから「おー」と返事がくる。

 鞄から携帯を取り家に電話する。二回ほどの呼び出し音ですぐに繋がった。


「千夏! あんたいつまで遊んでるの!」

 お母さんの声だ。


「ごめん。ちょっと色々あって……今謙ん家にいるんだけど、もうちょっとだけ遅くなる」

「あら謙ちゃんの所? もー、夏休みだからいいけど。あんまり迷惑かけるんじゃないよ?」


 鏡越しに、戻ってきた謙が見え「おばさんか?」と聞いてくる。私は頷くと「ちょっと代わって」と。


「お母さん、ちょっと謙に代わるね」

 携帯を渡す。


「謙です。おばさんすいません。俺が急にカットモデル頼んだんです。……はい。いえいえ……。ご飯? はい……そうだったんですか。……終わったら家までちゃんと送っていきます。……はい」

 携帯を返される。


「そんな感じだから、もう切るね! 鍵は持ってるから、戸締りして大丈夫だよ」

「わかったわ、それじゃね」


 電話を切り、そのまま彩月と浜田に謝罪メールを送ることにした。


「お前今日飯食ってないのか? 今おばさんから聞いたぞ」

 そう言いながらカットの続きを始める。


「あー、大丈夫大丈夫。なんか今お腹空いてないし。肉まん食べたからかな?」 

「ならいいけど、死にそうなら言えよ? カップ麺ならあるから」


「うん、大丈夫」


 お風呂入ったからかな? なんか眠くなってきたな。

 頭触られてると気持ちいいし……うん。

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