3人目:高橋一郎の父親だったもの

「いやー、奇遇ですな。まあ狭い町ですからな」

 しゃがみ込んでいた高橋の父親は午前中に出会ったときと変わらぬ笑みを見せながら立ち上がった。その位置は、しゃがみ込んでいた地面と私のちょうどあいだで、仮に彼が地面に何かを見つけていたとしてもそれを私に見せるつもりは無さそうだった。

「お仕事ですか」

 私は努めて笑みを浮かべながら、内心ではどうやってこの場を怪しまれずに後にできるかを考えていた。

「いえいえ、そこまで真面目な公僕ではありませんよ。ただ少し場所が近かったので、手を合わせるくらいしてもばちは当たらんだろうと足を向けた次第でして」

「ひき逃げをした犯人が早く捕まるといいですね」

 当たり障りのない返事をしつつゆっくりと歩を進める。引き返して別の道から向かうことも考えたが、私の家の場所は知っているであろうことを考えるとその行動は相手に猜疑心を起こさせる恐れがあった。

「それなんですが」

 相手が困ったように笑いながらさりげなく私の進行方向を塞ぐように歩いた。

「本当にひき逃げだったんでしょうか」

「どういうことですか」

「現場に残された遺留品の資料を調べていたのですがおかしな点がいくつかあったんですよ」

 眉を寄せつつ宙を見上げているが、私の反応を探っていることは分かっていた。

 なぜ署の指示に従わずに個人で調査を続けるのか。おかしな点とは何だったのか。なぜそれを私に話すのか。

 言いたいことはたくさんあった。しかしどう返しても相手に利するような気がした。

 黙ったままの私を前に、世間話と同じ調子で言葉を続ける。

「何か残ってはいないかと、まあすでに、諦めの悪いことだとは思ったんですが、一応ね、調べてみようかと思ったんです。そしたら面白いものが見つかりました」

 ポケットから何かを取り出す。

 握りしめた手の中のそれはまだ私には見えない。

「すいません、お話をお聞きしたいのはやまやまなのですが、人を待たせていまして」

 これは本当のことだ。だから嘘には聞こえまい。

 その若干苛立ちを交えた私の言葉が耳に届いているのかいないのか、目の前の刑事は半身をこっちに向けた。

「あの日、あの事件の日ですが、先生、何を身に着けていたか覚えていますか」

「はい?」

「もしかしたら先生はこれを……」

 体の陰になって見えない手に握っていた何かをこちらにさらそうとしたとき。

「あっ」

 軽い金属音と共にその何かが私の後ろへと跳ねた。

 その瞬間、様々な考えが脳裏をよぎった。しかし迷っている暇はなかった。

 このチャンスを逃すことはできない。

 私はゆっくりと、人の落とし物を親切心から拾おうとするかのように落ちた何かを目を追って、相手に背を向けた。

 地面に落ちていたのは服のボタンだった。見覚えはない。私はしゃがみ込み、それを手にしようと手を伸ばす。

 背後からは何の物音もしなかった。

 私は手を伸ばしたそのまま動きを止めず、地面を蹴りつけると思い切り前転の要領で前に倒れ込む。


 次の瞬間、私の頭が直前まであった空間を金属製のチューブのようなものが貫き、そのままアスファルトの地面に突き刺さる。


 私は低い姿勢のまま、素早くさらにもう一歩距離を取ってから振り向いた。

 あの日から忘れたことのない、怒りと焦燥に歪んだ、人のものとは思えない顔。その口へと金属製のチューブに見えた何かが吸い込まれていくのが見えた。

「なぜだ。貴様に気づけるはずがない」

 その通りだ。

 私たちの最先端の技術をもってしてもこの相手の偽装を見抜く手段は最後まで見つからなかった。

「貴様を疑う刑事だと思っていたのではないのか」

 その通りだ。

 ついさっきまではそう信じていた。

「よく出来た教え子を受け持っておりまして」


 あのとき、昇降口を出ようとした私を呼び止めた相模さがみはまずこう言った。

「聞いてもらえますか。高橋の、いえアイツの父親の話です」

 手早く話を切り上げようとつい校門に顔を向けていた私だったが、この言葉に振り返った。何を知ったのか、何を知っているのかが分からず、平静を装い、話を聞き出すことにする。

「そういえば今日いらっしゃっていたな」

「はい、それなんです。見ました。実は会うのは初めてじゃないんです。中学が同じだったんで」

「そうか」

 話の要点がつかめない。

「さっきも言ったが、明日の準備がある。どうしても」

「見えたんです」

 私の声を遮った声は少し震えていた。

「まるで重なるように、今までもああいう風に、だけど今まで見えたのとは全然違ってた」

 私に話しかけているというよりも、誰にも信じてもらえそうにない何かを、言葉にすることで何とか自分にだけでも信じさせようとするかのように。

「だってあれは人間じゃない。皮膚も金属みたいで、口が伸びて」

 ここで相模が言葉を詰まらせた。

「まるで、なんだ」

 黙ったままの相模のかわりに私は先を続けた。

地球外生命体エイリアンか」

 馬鹿にされたのかと弾かれたように顔を上げた相模は、しかし真剣な表情の私を見てゆっくりと頷いた。

「あんなのがのを見たの初めてで、誰かに、誰かに話したかった。今まで聞いてくれた祖母はもういなくて、それで先生しか」

「分かった。もう少し詳しく話を聞きたい。ただ申し訳ないがその前に一度家に寄りたい」

 私は学校近くの喫茶店で待つように伝えた。緊張を少しでもほぐせたらと思い、好きなものを頼んでいい、と付け加えてみたが、どれほどの効果があったのかは分からないまま私はその場を後にした。


 そして今に至る。

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