三者面談の生徒たちが持ち込む怪奇を解決せざるを得ない件について
ギア
1人目:相模直人
6月も後半に入る。今年も今年とて、憂鬱な時期が来た。
そう、3者面談の時期だ。
親の手前、大人しくなる生徒は多いが、それはある種、強く抑え込んでいる状態とも言える。何せ大学受験を控えた高校3年生の夏という時期だ。何らかの刺激1つで留め金が外れれば弾ける。
バネのように。
机を1つと椅子を3つだけ中央に残し、他を部屋の端へ寄せつつ、胃が軽く痛むのを感じた。
外では静かな霧雨が空気を湿らせている。机を並べ終えたあと、プライベート時よりは長めにしてあるスカートをバタバタとはたいて、素足に涼しい空気を送り込んだ。エアコンが効いていても、やはり力仕事をするには蒸し暑い。
省エネが叫ばれる中で、25度を守らねばならないのは授業中だけではない。
椅子に座り足を組む。一息ついて、あらためて予定表を確認した。
今日の1人目は
遅刻、無断欠席、無断早退を繰り返す問題児。いきなりの大物だ。他教科の先生からも親あてに色々と「ことづて」を頼まれている。
しかし、実際のところ、私は他の先生方ほどには彼を嫌うことは出来なかった。無愛想ではあったが、決して礼儀を損ねているわけでもない。
そしてこれは具体的な裏付けがあるわけではないのだが、どうも彼は、好きで授業をさぼっているのではないように思われるのだ。
どちらにせよ今日の主な目的は別に彼の生活態度をあらためてもらうことにあるわけではない。
必要なことを、必要なだけ。
相模は母と2人、時間通りの教室に現れた。私が席をすすめると、母親はどこか疲れたような無理のある笑顔を返し、まず息子を押し込むように席に座らせた。
相模は一瞬だけ抵抗する素振りを見せたが、すぐにあきらめたように席についた。
型どおりの挨拶を済ませると、私は先週、生徒たちから回収した進路希望調査票のコピーを相手の前に置き、元の紙を自分の手に取った。第1希望から第3希望まで、無難な大学名が書かれている。上から順に、適度に有名で適度に難しい。
私は、よい選択だと思われること、ただ第1希望を合格するには現状の学力では足りないこと、などを手短に説明した。
相模の母親はうなずくばかりで口を挟まなかった。相模本人は窓から薄暗い外を眺めており、話を聞いているのかどうかもよく分からなかった。
私が進学に関することを大体話し終え、儀礼的に「何かお聞きになりたいことはありますか?」と訊ねてみた。
さっきまでの様子から、おそらくこのまま面談終了だろう、と思っていた。
だから母親は小さく手を上げて身を乗り出してきたのは予想外だった。
「直人のことなんですが」
母親は笑みを浮かべながら、そう切り出してきた。
「授業中の態度はどんな様子でしょう?」
この言葉に相模は少し反応したが、窓の方を向いたまま、振り向くようなことはなかった。
私は、どう言ったらいいものか、少々迷ったが、ほかに選択肢もなく正直に話すことにした。
「そうですね。授業中の態度自体にはあまり問題はありませんが……」
「授業中、妙に落ち着きがなかったりしません?」
遅刻や無断欠席について言及しようとしたところで、すっ、と口をはさまれた。こっちをまっすぐ見ているその目が、口元とは違い笑っていないことにようやく気付いた。
その目は明らかに何かを知りたがっている。それは分かった。
「授業中ですか」
「はい。こう……変なところを見ていたりとか」
「母さん」
初めて相模が口をはさんできた。
もどかしげな、悔しそうな、つらそうな、そんな顔をしている。しかし母親の方は、まるでそれが耳に入らないかのように私に向かって話し続けた。
「いえ、やっぱり受験生ですものね。プレッシャーとかあると思うんです。私たちも気を遣ってあげられなかったことを後悔しているんです」
何を言っているんだ。
授業中の彼の視線を思い出す。そういえばあまり黒板を見ていなかったようにも思われるが、大体の生徒はそんなものだ。
ノートに落書きをしている生徒、隠れて弁当を食べている生徒、漫画を読んでいる生徒、教科書を見ている生徒だってもちろんいる。
相手の心配どころがどうもはっきりしないため、こちらからちょっとしぼりこんでみることにした。
「特に授業を妨げるようなことはしていませんが」
「授業なんてどうでもいいんですよ」
ほんの一瞬、目の端に怒りの色がのぼった。
「いえ、そうではなくてですね、ただその……」
言いよどんだあと、冗談めかすようにこう続けた。
「そこにないものを見えると言い張ったりしていないかと」
「母さん!」
「本当にね、別にこの子がおかしいとかそういうんじゃないんです。ほら、そういう年頃じゃないですか。くだらないことが気になったり、ちょっと親を困らせてみようとか考えてしまうような」
相模の鋭い言葉がまるで聞こえていないかのように、母親は私に向かって話し続ける。
その目をあらためて見る。気づく。何かを知りたがっているのではない。ただ待っているのだ。彼女が聞きたい言葉を私が返すのを。
「いえね、大体、うちの母なんですよ、いけないのは」
「違うだろ! ばっちゃんのせいじゃない!」
「この子の冗談に本気になっちゃって、小さいころはそれでもいいんですよ、でも中学上がってからもいちいち本気で相手なんかして、この子もすっかり勘違いしてしまって」
すぐ隣にいる自分の息子をまるで空気にように扱い、彼女はあきれたように、そして疲れたように話し続けた。
どこか
その日はどうにも気分が優れなかったので、学校に遅れて出勤する旨、連絡した。
体調の悪さが残ってはいたが、3時間目からある自分の授業には出ます、と伝えていたため、それに間に合うように家を出た。
梅雨に入る前の6月の日差しはただでさえ強いのに、普段の出勤時間より遅めの今日はさらに高く昇った太陽は地上を強く照り付けていた。
つらい1日になりそうだ。
そう思ったのを覚えている。
学校へと向かう途中の裏路地に差し掛かり、あらためて気分が悪くなった。
先の角を曲がった先で、先日、小学生の女の子が轢き逃げにあったのだ。犯人はまだ捕まっていない。ここ最近の体調の悪さにはこの出来事も関係していたのかもしれない。
重い気持ちを引きずりながらも私は角を曲がった。
事故当日からその道端にはところどころに赤黒いしみが残り、同時に花束やお菓子などが欠かされることなく手向けられていた。
しかしいつもと違う点があった。1人の男子生徒がその道端の赤黒いしみの前にしゃがみこんでいる。
地面でも手向けの品でもなく、片ひざをついた姿勢のまま、前を向いていた。しかし目の前のブロック塀を見ているのとも少し違うようだった。
それが相模だった。
担任をしているとはいえ、小学校などとは違い、週に授業で顔を合わす回数は他のクラスとそんなには変わらない。ホームルームなども連絡事項をクラス全体に伝えるだけで、個々の生徒との会話もない。
だから相模についてはよく遅刻や欠席をする生徒だという程度の印象しかなかった。
しかし無視してよいものか。声をかけたほうがいいのか。
迷っているあいだ、相手を見ていて気づいた。
誰かとしゃべっている。
いや、そんなはずはない。私は浮かんだ考えを即座に否定した。
目に付く範囲には私しかおらず、彼はその私には背を向けていたからだ。おそらく独り言だろう。
ああ、もしかしたら死んだ少女と知り合いだったのかもしれない。思い出を語っているのかもしれない。そんな考えも浮かんだ。
結局、その日、私は彼に話しかけずに通り過ぎることにした。
気味悪さを感じたのは事実だ。
ただ、それよりも軽々しく声をかけてはいけないと思わせる真剣さがあった。幸運なことに相手も私に気づいていない様子だった。その日の終わりのホームルームの時間に教室へ向かうと、相模は自席に座っていた。
出席簿を確認すると、どうやら私に遅れること1時間ほど、4時間目からは学校に来ていたらしい。ちょっと疲れているようにも見えたが、それ以上にすっきりとした顔をしていた。
その後、職員室で授業のまとめを終えてから校舎を後にした私は、まだ熱気の残る初夏の空の下、帰路についた。
例の路地にさしかかる。喉の奥に嫌な味がした。
どうしようか。
ここを通らずに帰りたい気持ちはある。しかしそれは非常に遠回りだ。ため息を1つつくと諦めて歩を進めた。早く帰って、ゆっくり休もう。
そう割り切ったつもりだったが、学校の雰囲気の中ですっかり忘れていた体調の悪さがよみがえってきた。
目を背けようとして逆にどうしても目が行ってしまった先には、朝と同じ風景があった。
手向けられた花やお菓子。
しかし違和感があった。
同じはずだ。実際、見えるものの配置は変わらない。
変わらないはずだったが、相模がいないことを除いても、確かにそこは朝と違っていた。どう言葉にすればいいのか難しいが、目に見えない重苦しい霧が晴れたような安らかさがあった。
胸にぐるぐると渦巻いていた気持ち悪さも薄らいだ。
ふと視線が行ってしまった地面からは、例の赤黒い染みがなぜか消えていた。
絶えず続く呟きに意識が引き戻される。
私が回想にふけってしまった間も、母親の話は続いていたようだ。
表面上は息子に対する優しい言葉だったが、誰に向かって話しているのかを本人も分かっていないような無機質さを感じた。
「これから勉強も忙しくなりますし、今が大事な時期なんですよ。大学に入ってしまえば、きっと楽しいこともいっぱいあって、くだらないことなんて気にならなくなると思うんです。1人暮らしでも始めれば、母ともそうそうは会えなくなりますし」
「だから、ばっちゃんは関係ないって言ってるだろ」
「母のことを気遣ってくれているのは分かってるんですよ。最近、ちょっと物忘れも激しくなってきましたし」
「同じだよ、ばっちゃんがいてもいなくても俺はきっと見えてたんだ」
諭すように発せられた相模の最後の言葉が「スイッチ」だったらしい。
「やめてちょうだい!」
弾けたように飛び出した制止の言葉。
一瞬の沈黙。
そして、まるで堰を切ったように困惑と苛立ちまじりの感情があふれ出した。
「なんであなたはそういう嘘をつくの? お母さんを困らせて楽しいの? 受験がつらいのも分かるわ、だけど現実逃避もいい加減にしてちょうだい。おばあちゃんはあなたを子ども扱いしているのよ、本気なわけじゃないの、なんでそんな簡単なことが分からないの」
何かを振り払うかのように頭を激しく振り回す。
髪が乱れる。
両の手は、かゆみを我慢しているかのようにどこに触れるともなく宙に浮かせたまま震わせていた。相模は一瞬だけこっちを見た。
助けを求める目ではなかった。
すぐに母親へと向き直った。
「母さん、ごめん、分かってるよ」
母親に向かってうなずきつつ、ゆっくりと手を握った。荒れていた相手の息が落ち着くのを待って、再度、静かに言い含めるように笑いかける。
「ちょっと気がたっててさ、最近、勉強ばかりだったから。困らせてごめん。ちょっと疲れてたんだ」
「そうね。しょうがないわよね」
相模が、母親の手を本人のひざに下ろさせた。
ふいっと顔を上げた彼女は、さっきまでの落ち着いた様子に戻っていた。私は機を逃さぬため、畳み掛けるようにまとめに入った。成績に問題はないこと、第1希望は現状では難しいが十分な時間はあること、第2希望であれば現状のままでもほぼ確実だろうということ、滑り止めの選択も理にかなっていること。
相模の母親は1つ1つの事柄にゆっくり笑顔でうなずいていた。
少し乱れたままの髪の毛以外、さっきの発作じみた混乱を示すものは何もない。私自身、すでに本当にあったことなのかと疑ってしまいそうなほどだった。
「本日はご足労頂きありがとうございました。何かありましたらご連絡ください」
立ち上がりつつ、型通りの挨拶をかける。
すでに入り口へ向かっている母親のかわりに相模が私に頭を下げた。微笑むその目にはうっすらと諦めの色が浮かんでいた。
彼は母親を支えるように隣に立ち、教室を出て行こうとした。
「相模」
私はなぜか彼を呼び止めていた。
立ち止まらない母親を先に教室から出してから、2人きりになった教室で相模は少し警戒した様子だった。
私は自分を鼓舞するように軽く咳ばらいをしてから言葉を発した。
「先日、ほら、女の子を助けただろう」
相模が目を見開いた。
「小学生だったか。あのお下げの子は……その、大丈夫だったのか」
相模が戸惑うように曖昧な笑みを浮かべた。
「何のことですか?」
「いや、分からないならいいんだ。ただちょっと気になってな」
「はあ、そうですか」
ぴんと来ていない顔のまま、教室の引き戸を開いた。
母親を追って外に出ると引き戸を閉める。
しかしドアが閉まるその寸前、思い出したように付け加えた。
「大丈夫だったかどうかは知りませんけど、とりあえず泣き止んではくれました。ずっと泣いてたんです。でも思い出したんですよ、ばっちゃんが言ってたんです。子供って目線の高さ合わせてあげないと怖がるよ、って」
だからしゃがみ込んでいたのか。
そんなことを思い出していた私に相模は振り返った。ほんの少しだが、その口の端が笑みを形作っていた。
「もう少し続けてみようと思います。ありがとうございました」
返事を思い付くより先に、戸は閉じられていた。
私は、ふむ、と息をつくと椅子に座った。さて、次は誰だったか、と私は予定表を手に取る。
きっと相模は二度とこの話題を持ち出すことはないだろうな。そんな寂しさは次の生徒のことを考えた瞬間に消えていた。
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