第10話 人形勇者と瘴気に冒された魔物

 結局、カイが牧師を手伝ったのは一日ではなかった。数日もすれば住宅街の小さな教会で教鞭をとるカイの姿はお馴染みになる。


「カイにーちゃん、こう?」

「魔力、どこー?」

「おお、上手いぞ。じゃあ対戦してみようか。魔力は、よし、手を繋ぐぞ」


 やはり剣と魔法は人気だ。魔物の蔓延るこの世界では多少でも力がある方がいい。

 女の子たちはあまり寄ってこない。精々、読み聞かせを控えめにねだる程度。多分カイが美形じゃないからだ。


 子供達を見送り午後はギルドの依頼を受ける。それがここ数日のカイのルーチンになっていた。

 子供達にまた明日と声をかけようとした時に、一人の若い冒険者が息を切らして駆け込んできた。汗をかき、皮の防具には所々血さえ飛び散っている。


「先生、大変だ! 北西の森に魔物が!! 大群なんだ!! 子供達と東に避難を!!」

「すぐに。カイさんも……」

「はい」


 スタンピードなら、数年に一度国のどこかで起こることだ。皆慣れている。だからこそ、伝言役の男の様子に違和感を覚えた。

 だが、カイには関係ないだろう。今は一介の旅人にすぎない。


「早く逃げてくれ! 今回は変なんだよ! ま、魔物に瘴気を感じるんだ」

「っ!? 今回の瘴気は鎮めた筈では?」

「オレらだってわからねぇよ!! とにかく逃げてくれよ、オレはまだ伝えに行かねえといけないところがあるから!」


 走っていった男の一言に、避難準備を始めていたカイの動きがピタリと止まる。

 魔物が瘴気を持つというのはありえない。あり得ないが、この世界の人間が瘴気を感じたのなら、それは瘴気で間違いないのだ。


「カイにーちゃん、逃げねえの?」


 先程まで剣を教えていたリーダー格の少年が、動こうとしないカイの服の裾を掴む。瞳が小刻みに揺れている。

 カイは膝を折って目線を合わせた。そして小声で話しかける。


「おう。兄ちゃんは勇者だからな。内緒だぞ? ……お前らはちゃんと逃げろ」

「オレも戦う!」


 子供の目はいつだってまっすぐだ。

 戦う意志も、立ち向かう恐怖も、その目にはっきりと映し出されている。

 カイとは違うのだ。


「ははっ、俺に格好つけさせてくれよ。いいか、お前たちは一緒にいる母さんたちを励ますんだぞ。勇者がいるから大丈夫だってな」

「でも……」

「ほれ、約束しよう。ゆびきりげんまんー」


 小指を出し、少年の小指にむりやり絡ませて強引に約束する。

 子供はきちんと約束を守る。


「「指切った」」


 泣きそうな子供の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて立つ。


「約束だ。他の子のことも頼んだぞ? じゃあ、またな」

「うん……」


 いつもとは見送る立場が逆だ。

 そしてもう一つ今までと違うのは、自分が誰かの代わり・・・・・・ではないこと、自分の代わりが存在しない・・・・・ことだ。

 ああ、生きているのか?


「カイさん……」


 いつも笑顔を崩さない牧師が、神妙な面持ちでカイを見る。何かを憚るように言葉が途切れる。

 何を言おうとしたのかは、カイには関係なかった。気持ちは既に決まっていた。


「俺は前線へ行きます。自分で言うのも変ですが、強いですから」

「……でしょうね。そう言うと思っておりました、悩める光の勇者殿」

「……気づいておられたのですか」


 カイは力なく笑った。

 牧師はそうあるのが当然のように、優しげにカイを見つめていた。見透かされていたのだ、隠していたこと全てが。


「黒髪黒目、強い光属性、カイという名前が揃えば、もしや、とは」

「なるほど……。ここ数日、とても楽しかったです。それでは、俺は行きます」

「教会への再就職をお考えでしたら、歓迎しますよ。……ご健闘を」


 牧師は軽い冗談のあと、厳かに教会の最高礼をカイに捧げた。カイも軽く頭を下げる。

 随分時間を使ってしまった。

 急がなければと、風と重力を操り空を駆ける。膨大な魔力が騒ぐ、北西の森へ。




 森から黒い染みが広がる。

 魔物も人も狂っていた。

 人が瘴気に冒されて味方を攻撃する。

 魔物も同族だけでなく人を食っていた。

 理性の残る少数の騎士や警備兵、冒険者も疑心暗鬼なのだろう。

 対応が後手に回っている。


 眼下の地獄絵図はかつてないほど凄惨だ。

 人も魔物も死んでいく。

 強いも弱いも関係なく、赤黒い大地に吸われていく。

 狂気も興奮も恐怖も伝播する。

 瘴気の濃さに比例して、精神は早く冒されていく。

 悲痛な叫びも、狂気の哄笑も、戸惑う嘆きも、蔓延していた。

 生臭い血の臭いが渦巻く。

 魔物の分だけ、カイが今まで収めてきたものより酷い有様だ。


 高度を落としながら、カイは杖兼用の剣から光を溢れさせる。口には使い慣れた範囲系の浄化用の呪文を乗せていく。


「病める者に須らく安らぎを。聖なる微睡セイクリッドエンド

「狂える者に遍く人の理を。聖なる光条セイクリッドライト


 光を零す剣を横に薙げば、カイを起点としてその光が広がっていく。それを浴びれば、人は停止するか理性を取り戻す。

 魔物も同様だが、興奮状態は維持される。そのためそのまま人や別の種の魔物を襲う。

 狂気から解放されても、解放された一瞬をついて魔物に倒され、踏まれ、あるいは喰われる。


 眉を顰め、カイは地に立ち更に呪文を唱える。

 飛ぶために消費する魔力が勿体ない。


「精神に安寧を。鎮静カルム

「理性に盾を。護魂タリスマン


 向かってくる魔物を切り捨て、浄化の呪文の合間に闇の精神魔法をかけていく。

 個人にかけねばならないのが厄介だ。

 対多用のものを習得しておくべきだったとほぞを噛む。闇の魔法は初歩のものしかカイには扱えない。


「光持ちの人間以外は退避させろ! 統率はどうなっている!」


 浄化隊では強い光属性持ちしかいなかった。だから命令系統が乱れることも無かった。統率するほどのことも無かったが。


「中級ごときが命令すんじゃねぇ!」

「バカ! 貴重な光属性よ! っ、」


 カイに反発した上級と思しき冒険者は、隙を突かれてあっという間に魔物に呑まれていった。


「走れ光、唸れ空気、轟くは雷! 紫電ライトニング!」


 組んでいた女は悔し忌々しげに相方を喰った相手を睨み、魔法を連発する。

 彼女は助けずとも大丈夫そうだ。

 というより、カイは早くも諦めていた。


 狂って停止した人間は浄化の呪文に崩れ落ちる。

 正気を取り戻した者は怪我人を連れて後退する。


 また魔物が一匹、カイに切り裂かれてその足元に沈む。

 狂っていたのか、ただの興奮状態か、カイには見分けがつかない。

 むせ返えるような臭いと無数に散る赤がカイの精神を疲労させていく。


 しかし、確かなことはある。

 対処する人間はとても少なくなっており、魔物たちが共喰いしてなければ、カイが広範囲の浄化を時折混ぜていなければ、とてもではないが対応できているはずがない。

 そして確実に強い魔物が出てきている。今血を吹き出し絶命したのはヘルタイガー。森の深部にしか生息しないはずの魔物だ。


 とても、嫌な予感がした。

 それは外れることなく、森の木々が折り倒される音と地面の鈍い振動と共にそれは現れた。


「ドラゴン……!」


 世界最強最悪の魔物。秘境にしか生息しない種。

 美しかった筈のエメラルドの鱗は可視化したおぞましい瘴気を纏い、爬虫類特有の瞳はひどく濁っている。


 不意にカイは金色に目を奪われた。

 ドラゴンがブレスの予備動作に入ったにも関わらず。


「しまっ……!」


 まばゆい白い光が目の前をほとばしった。

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