吾輩、一世一代の勝負に出る!

「先生、その、どうか怒らないで聞いてもらいたいのだが」

「何かね魔王君。あ、ていうか、そろそろ本当の名前とか聞いといた方が良い感じ?」

「い、いや、それはまた追々。割と長いのでな」

「そぉ? まぁ良いけど。それで?」


 先生は椅子に座ったまま足をぶらぶらさせている。足を動かすのは彼女の癖なのだろう。もしかしたら足が届かないだけかもしれないが。


「えっと、その……本当に……本当に……申し訳ないのだが……」

「何よぅ。らしくないなぁ、さっきすごい恰好良かったじゃん」

「か、恰好良かった?」

「うん。サコダハルトに説教かましてた時」

「あぁ、あれな。大したことは言ってないと思うがな」

「いーのいーの、言った本人はそういうの自覚ない方が良いの。それより何よ、さっさとしゃべってよぉ」

「う、ううむ。その……、吾輩、正直、先生をいつ娶ったのか……っていうのが……」

「ぬぁ~にぃ~?」


 先生のこめかみに血管が浮き出た。

 ヤバい。これは完全にヤバい流れ。


「い、いや! その! 先生を疑っているとかではなく! その、ぐ、具体的なその瞬間? タイミング? ほ、ほら、婚姻の儀とか執り行ったりとか、書類の記入の際に、その、いつどこで? みたいなのが結構重要っていうか! 吾輩と先生とで齟齬があったりすれば大変だから!」


 もちろんそんなことはない。


「成る程~。結構面倒なのね」


 よ、よし! 信じた!

 良かった、先生が何も知らない異種族で! いや、だからこそ厄介というか。前例が無いよなぁ、さすがに人間の妃というのは。


「うーん、具体的な瞬間って言われるとちょっと難しいんだけどぉ、ほら、あたしが魔王君のこと殴った時あったじゃん」

「あ、あぁ、先生の腕がぱっきぱきになったヤツな」

「そうそう。あたしそん時言ったよね? これであたしの拳が砕けたら責任取ってねって」

「うむ。言った」

「で、その後あたし確認したよね? いつになったら責任取ってくれんの、って」

「うむ。した」

「はい、そこです」

「―—え?」

「え、って何? だから、責任取ってくれたんでしょ?」

「うむ。きれいに完治させたろう」


「――は?」

「――え?」


「いや、だから。え? 何? 魔王君の『責任取る』って、砕けた手を治すだけ?」

「え? 違うのか?」

「違うに決まってんじゃん! 馬鹿なの?」

「え? 馬鹿じゃない……と思うけど……?」


 吾輩と先生との間にしばし無言の時が流れた。

 この重苦しい空気の中、吾輩は考えた。馬鹿ではないと自負しているこの頭脳でもって考えた。考えに考え、考えまくった。そして、はたと気付いたのである。


 もしや人間先生の言う『責任取る』とは、『娶る』とイコールなのではないか、と。


 だとすると、だ。

 吾輩はやはり先生を娶った、ということになる。

 例え勘違いによるものだとしても、一度口に出したことを撤回することは吾輩の沽券に関わる。でもなぁ~……。


 しばらくして先生は「はぁ」と小さなため息をついた。

 いつもなら結構大袈裟に吐き出すのだが、珍しいこともあるもんだ。


「何かごめん。あたしが先走りすぎたんだね」

「ちょ、先生……?」


 何だ何だ? そんな態度先生らしくもない。


「人間の言い回しが魔王君に全然通じないって忘れてたよ」

「う、うむ……」

「良いよ、先生のままでさ。さっきのおじさんにも訂正しといて」

「い、いや……」


 何だ。

 何か胸の辺りがチクチクする。

 しおらしい先生を見ると、何だかチクチクする。

 

 何だ。

 これではまるで、教科書に書かれていた――、


 恋、ではないか。


 吾輩が?

 先生に?

 先生って、人間だぞ? しかも勇者だ。まぁ、ではあるが。


 いや、でも、その気持ちに種族の壁はないのだという。

 そして、これまでの学習と照らし合わせると、やはり吾輩は先生のことが好きなのだ。


 ということは、ここからは実践編だ。

 吾輩が学んできたことを活かす時が来たのだ。


「先生よ」

「……何よぅ」


 先生は俯き加減で足をぶらつかせている。声が掠れている。泣いているのかもしれない。

 吾輩は彼女のその頬に触れようとして、止めた。これではサイズ感が違い過ぎる。

 とりあえず事務用の姿になり、改めて頬に触れてみた。つるりとした、柔らかく、白い頬である。


「何よぅ」

「そう泣かんでも良かろうに」

「べっつに。泣いてないよね。頬っぺたさらっさらだわ」

「まぁ、そうだな。泣いてはいなかったな。さらっさらだ」

「でしょ」

「いや、ええと、その……。改めて、だな、そのぅ……」

「なぁーによぉ、もう。ちょっと放っといてくれても良くない? こちとら失恋したてなのよね」

「失恋したのか」

「そうよ。悪い?」

「吾輩にか」

「まぁそうなるよね」


 ふむ。

 何ということだ。

 、ということは、だ。

 先生は吾輩にということになる。これは朗報。


「案ずるな、先生よ!」

「案ずるよ、馬鹿じゃないの」

「ばっ、馬鹿じゃないわ!」

「馬鹿だよ。魔王君はほんと馬鹿」

「い、いや、先生の感覚では馬鹿に見えるかもしらんが……。吾輩は決して馬鹿ではない。と思う。思いたい」

「そぉかなぁ~」

「それに先生だって嫌だろう、自分のが馬鹿だったら」

「――は?」


 先生は吾輩の言葉に驚いて顔を上げた。その勢いで右の瞳からほろりと涙が一粒零れた。何だ、泣いていたのではなく、これから泣くところだったのか。


「はっ、ははは伴侶って……!!? だって、さっき違うって……」

「違わん」

「違ったじゃん! 魔王君の責任取るってのは違う意味だったじゃんか!」

「だとしても。先生はそう思ったのだろう?」

「だから良いんだってば、別に」

「良くないのだ。まぁ確かにあの時は勘違いしておったが。だからいま、正式に申し込む」


 吾輩は先生の手を取った。

 かなり姿を小さくしたというのに、それでも先生の手は吾輩のそれよりもずっとずっと小さい。それを両手で包み込んで、深呼吸をひとつ。


「吾輩の妃になってくれぬか、アウロラ――いや、イルヴァ・ビョルクルンドよ」

「そ、そんなかしこまられると、何だかくすぐったいや。……でも、もちオーケイ。謹んでお受けするよ、魔王君」


 にこりと笑った先生の頬には、もう一滴の涙が光っていた。

 

 だから泣かんでも良いと言ったろうに。


「やっぱ名前聞かないといけなくなっちゃったね」

「いや、婚礼の儀の際には嫌でも聞くことになるから、そう急くこともあるまい。全部読み終えるのに優にひと月はかかるが、まぁ、座ってるだけだし、週に2日は休息日もあるから安心しろ」

「……それマジ? やっぱこの話ちょっと考えさせて」


 ……ううむ。

 吾輩も先生に倣って改名すべきなのだろうか。



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