吾輩、転生者を地獄に落とす?
「いやはや、本当に、この度はご迷惑をおかけしまして……」
「だからもう良いって、頭上げろ」
さて、いま吾輩の前にはつるっつるハゲ頭のおっさんが、そのつるっつる部分を惜しげもなくこちら側に見せつける形で深々と頭を下げている。その隣にはいまだ瞼をぷくぷくに腫らし、真っ赤な頬をパンパンに膨らませて、さも不服そうに口を尖らせている女と――、
「ふん」
どうやら転生前の姿に戻ったらしい元ディートハルトが気まずそうな表情でこちらを睨み付けている。
お前、随分変わったなぁ。いや、違うな、こっちが本当の姿なんだよな。
もっと胸を張れ。そう悪い姿でもあるまい。
「とりあえず、そこの女よ。お前は最後まで吾輩に頭を下げなかったが、まぁそれは良い。吾輩は天界の者ではないし、もう二度と会うこともないと思っておるのだろう。――ただな? もしかするともしかする、ということもあるのだぞ。それを忘れるな」
「……はぁい」
とりあえず感の半端ない、気の抜けた返事である。こいつ、いまさっき
「さて、我々はそろそろお暇させていただきます。この後の手続きが色々ありますので」
ほいほい、さっさと帰れ帰れ。
「――おっ、おい、魔王!」
逃走防止の腰紐をぐいぐいと引っ張られながらもそれに抵抗する形で、元ディートハルトは吾輩に向かって叫んだ。
「何だ」
「さっ、最後に教えてくれよ! 何で俺は勝てなかったんだ! 俺、レベルMAXだったのに! お前、結構バテてたじゃねぇか、あん時!」
ふむ、それか。
「良いだろう、冥土の土産に教えてやる」
ちなみにこの台詞は先生から教えてもらったヤツだ。まぁこいつはこの後ガチの冥土に行くわけだが。
「まぁ、はっきり言ってしまえば、スタートの能力の差、ってやつだろうか。わかりやすく数で例えると、仮にお前のレベル1が20だとするだろ? 吾輩のレベル1は500だ。そもそもスタート時からこれくらいの差がある。そんで、お前はさんざんレベルMAXレベルMAXと豪語しておったがな、まぁ、昨日の感じからして、良いとこ2000弱ってところか。そんなの吾輩のレベル10にも満たん。その上、ちなみに吾輩はまだそのMAXとやらに到達しておらん」
「何だと?」
「お前は自身をレベルMAXと決めつけた時点で伸びしろを捨ててしまったのだ。そこから向上しようとする姿勢もなく、努力を放棄している。恵まれた力の上に胡坐をかいて楽をすることしか考えておらんだろう。しかし、吾輩はまだまだ上を目指しておる。現状に満足もせんし、この力に胡坐をかくつもりもない。王が慢心すれば国は終わるのだ。だから、お前は永久に吾輩には勝てん」
「うぐぐ……。でっ、でも!」
「あっ、こら!」
「――ぬ?」
元ディートハルトはハゲのおっさんの制止を振り切って吾輩の前に出た。お前、その姿でも結構やるじゃないか。ていうかおっさんしっかりしろよ。
ヤツは悔しそうに歯ぎしりをしながら拳を強く握り締めている。まぁ、殴ってくれても別に良いけどさ。
「恰好良いこと言う割には、目の前でテメーの女攫われたりしたじゃねぇか! だっせぇ!」
「――――!!!!」
こンの野郎!
あー、やっぱりあん時消滅させておくんだった! 魔王なのに仏心出したのが間違いだったわ! あーやっぱり軽くあぶってから氷漬けにして電流流しーの、関節曲げ曲げーの、皮もぺローンしてから八つ裂きにすれば良かったわ。一族も根絶やしにすれば良かったわ。
「――おや、魔王さん。彼女いらっしゃるんですね。お羨ましい」
うるせぇ、何ちゃっかり聞いてんだこのハゲ!
「彼女じゃないし、妻だし!」
って、先生―――――――――――!!!
出て来ちゃった! マントの下から出て来ちゃった! だから、先生、アンタ死んだことになってるんだって! やっばい! バレた!? これ、バレた!?
「つ、妻……だと……?」
「おや、お妃様でしたか。これはどうもどうも失礼をば。いや、挨拶が遅れまして……」
いいいいや、まままままだバレてない……のか?
セーフ? これ、セーフ? 元勇者アウロラってバレてない?
っつーかこのおっさん、魔王の妻が人間ってところに何の疑問もないわけ? 逆に怖い!
「わたくし訳あって名前も部署名も明かすことは出来ないのですが、天界の者でございます。基本的にはお会い出来るような立場の者ではないのですが」
そりゃそうだ。本来、天界の者はこんなところに来ちゃ駄目なのである。つまりコイツらは、前回も今回もスーパーお忍びでやって来ているのだ。だから吾輩もこのハゲが何ていう部署の誰なのかさっぱりわからん。とりあえず、とんでもなく偉いヤツ、ということくらいの情報しかないのである。
「ほいほい。わかってるわかってる。あたし、魔王君の奥さんだよん。よろしく――……でもないのか」
「ではないんですよね、残念なことに。しかし、まぁ、魔王さんがお妃様を迎えたとなればお祝いの品くらいは……礼儀ですからね、一応。ええと、お名前、伺っても?」
駄目だ――――――――――――――!
お名前は伺っちゃ駄目だ―――――――!
「い、いや、彼女は……」
「えーっとね」
「せ、先生!」
しかし先生は吾輩をちらりと見、片目をぱちんと瞑って見せた。
任せなさい。
その目はそう語っているように見えた。何とも頼もしい……かなぁ……。
「あたし、『イルヴァ・ビョルクルンド』っていうの」
「ほう、さすが魔王さんの奥方様、何とも勇ましいお名前ですなぁ。では、何か贈らせていただきます。魔王さんのお名前は……その……少々長いので……」
「構わん、『魔王』で。――い、いや、ていうかだな……」
何かもう確定しちゃった! 吾輩、先生をいつの間にか娶ってる! いつ? いつ娶ったっけ? 当方全く身に覚えがございませんが!
「妻……、妻……ハハハ……」
元ディートハルトは何やらうわごとのように呟いている。
どうした。先生が吾輩の妻だとして、何かお前に支障があるのか。
「ぐっふ、妻よね。愛妻なのよね、あたし」
しかも愛妻ときたもんだ!
吾輩、まだ愛に関しては学んでる段階ですけど! ついこの間中級コースにはなったけれども。
「いやいや、お熱いですなぁ。いや、それならなおさら長居は出来ませんねぇ。それでは、我々はこの辺で。――さ、行くぞ
「いっ、いててて……! その名前で呼ぶな!」
「グッバイさよなら、ディートハルト……じゃなかった、サコダハルト」
「――っち、ちっくしょう! 別にお前のことなんて何っっっも思ってないんだからな! ちょっと顔が俺の好みだったってだけなんだからな!」
「ほいほーい。じゃあね~ぃ」
先生に見送られ、ハゲのおっさんと瞼ぷくぷくの女、そしてサコダハルトは姿を消した。3人が消えてからもしばらくの間先生は、誰もいないその空間に向かって手を振っていた。
「行っちゃったね」
「うむ。もう会うこともあるまい」
――あの女以外は、だが。
さて、吾輩はこれから超重要案件を片付けなければならない。
対ディートハルト戦よりもよっぽど厄介な案件である。
「――ご、ゴホン。先生、ちょっとよろしいか」
「なぁ~にぃ~。お腹空いた?」
「い、いや吾輩は別に」
「あたしはね、お腹空いてます」
「そ、そうか。では何か軽く食べるか。いつもので?」
「うん。いつもの」
こうやって問題を先延ばしにしてしまうのはよろしくない。よろしくないとは思うのだが、それでも空腹時に下手なことを言えばさらに厄介な展開になるだろう。これは止むを得んのだ。まぁ何だ。これもまた戦略というか。
数分後、先生の好物であるサンドイッチが到着した。
彼女はそれをもりもりと食する。かなり腹は減っていたようで、その勢いも凄まじい。
すっかり食い尽くした先生は、満足気に、げふぅ、とか言いながらまんまるに膨れた腹をさすった。
――いまだ。いましかない。
「なぁ、先生よ」
吾輩は腹を括って先生の向かいに座った。
「何?」
人生最大の戦いが、いま幕を開けようとしている――――。
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