♯317 リィリィとエリシア


 ◇◆◇◆◇◆◇



 大陸南西部。魔族たちの国『ファルゼン』から大きな山脈を越えた温暖な地域に、ラナ湖という小さな湖があった。その湖を中心に『ラナ』の町は生まれ、そこは古くから人と魔族が共存する大陸でも珍しい土地柄だった。かつて人と魔族が大勢に争っていた頃にも、この地域だけはそのようなことがなかった。


 そんな平和な町の外れ――ラナ湖をよく望める畔に大きな館が建つ。

 ある日の朝。館の中では一人のメイド服を着た少女がある準備に追われていた。


「――よぉーしっ。ツリーはもうすぐ届くはずですし、ひとまず飾り付けはこのくらいでいいでしょうか。ふふふっ、なかなかよく出来たかもしれません」


 広い居間を眺めては、うんうんとうなずいて満足げにするメイド。可愛らしく煌びやかな飾り付けは部屋を明るくし、楽しげな雰囲気を演出している。

 それでもメイドは、急に眉尻を下げてうなだれた。


「あとは、当日までにメル様のケーキが手に入ればいいのですが……それが一番難しいんですよねぇ。特にこの時期はお店も混みますし……あぁ~私がちゃんと予約できていたらこんなことには~~~」


 ぽかぽかと自分の頭を叩いてみるメイド。それで問題が解決するわけはなかったが、怒られることが確定なのは憂鬱の種である。何よりも申し訳ない気持ちが強かった。魔族にはあまり馴染みのない『光祭ルチア』ではあるが、メイドとしては主人に楽しんでもらいたいわけである。


 メイドはため息と共につぶやく。


「こんなときに私が上手くお菓子を作れたら……何年やっても、お菓子作りは本当に難しいものです。フィオナ様に教わっておきたかったところですねぇ。かといって、今からではとても……」


 そんな風にメイドがしょんぼりとしていると、今の入り口からひょこっと一人の人物が顔を出した。


「おーいリィリィ。ツリー、持ってきたよー」

「え? ――あ、エリシアさんっ」


 姿を見せたのは、栗色の長い髪を三つ編みに結っている長身の女性。大人っぽく清楚な服装や雰囲気には似使わぬ剣を腰に下げており、そこそこ大きめな針葉樹を片手で軽々と抱えている。


『エリシア』と呼ばれた女性は、部屋に入ってきてツリーを立てた。


「よっと。こんなのでいいかな?」

「わぁ、バッチリですエリシアさんっ。ありがとうございました!」

「いえいえ。館のことはいつもリィリィに頼りっぱなしだからね~。居候としては、これくらいの仕事はしないとね♪」


 拍手するメイド――リィリィに対して、綺麗なウィンクを返すエリシア。

 それから二人は協力してツリーに飾り付けを始め、ケーキの予約を忘れていたと正直に話すリィリィのドジにエリシアが大笑いし、「笑い事じゃないですよぉ~~~」とリィリィは弱々しい声を上げるしかなかった。


 笑いすぎて涙が出ていたエリシアが言う。


「はー。ほんとリィリィといると飽きないよ。それで、今日はメルは? 朝から顔見てないんだけど」

「あ、メル様はお部屋でずっとお休み中で……なんだかちょっと、ご機嫌斜めモードみたいなんです」

「ありゃ残念。『光祭』に向けてグングンムードを高めてさ、今年こそは熱愛デートのラブラブチュッチュエンドを迎えたいなって思ってたんだけどなぁ。あーんメルぅ~」

「わぁ~エリシアさん私はちがいますよぉ~~~」


 リィリィを抱きしめて、尖らせた桃色の唇をむちゅ~っと近づけていくエリシア。逃げられないリィリィはあたふたしながら苦しげに顔をそらすのみだったが、結局頬にキスをされてしまい、エリシアのキスマークが残る。


 それからようやく解放されてホッとするリィリィの前で、ツリーの天辺に「ほいっ」と星形の飾りを乗せたエリシアが満足そうに笑う。その笑みはリィリィが憧れるほどに美しく、そして可憐なものだった。


 両腰に手を当てたエリシアが言う。


「ところでさ、メルって今日“お仕事”あるんじゃなかったっけ? ほら、ラビちゃんが莫大な魔力とお金使ってなんかやってんでしょ?」

「あ……そ、そうなんですよっ!」


 言われて思い出したリィリィが、また困り顔でツリーにポンポン飾りをつけながら話す。


「あの方は結界魔術がすごく上手いので、いったいどこで動いているのかもわからずじまいで、結局見つけられずにメル様も怒ってしまって……それで、『やってられるかバーカ! そもそも何故この妾がそんな些末なことを気に掛けねばならん!? アイツが何をしようがアイツらがどんな目に遭おうが知ったことか! 妾は『光祭』まで寝る! それまで絶対に起こすな! 絶対にあの変態を部屋に入れるな! 絶対にケーキを用意しろ! いいな!』とだけ言い残されて……」

「あははは、リィリィってメルの声真似上手いよねぇ。なるほどそれで拗ねてるのかぁ可愛い子ね。ところで、変態ってまさか?」


 エリシアが自身を指さすと、リィリィはすぐにこくんとうなずく。


「がーん。エリシアさんショック。でもそういうこと言われると沸き上がっちゃうなぁ。怒ってるメルも可愛いし、無理矢理入ろうかしら?」

「やめた方がいいですよぅ……」


 まったくショックを受けた様子もなくご機嫌に思案するエリシアに、リィリィは呆れたように眉をひそめた。


 と、そこでエリシアが「そうだっ」と何か思いついたらしい声を出す。

 エリシアは首を傾げながら、少女のように楽しげに提案する。


「なんならボクがお仕事いこっか?」

「へっ? エ、エリシアさんがですか?」


 予想しない提案だったのか、リィリィは大きな瞳をパチパチさせて呆然とする。

 エリシアはうんうんと二回うなずき、そのまま両手を広げてくるりと回り、リィリィに背を向けた。


「だって、メルが行かないんじゃ面倒なことになりそうでしょ? リィリィはこっちで準備があるし、普段からあの子の世話と館のことで手がいっぱいじゃない。だ~い好きな二人のために、ボクが動くしかないかなってさ」

「エ……エリシアさん……!」


 リィリィは両手を組み、キラキラした憧れのまなざしをエリシアの背に向ける。


 するとエリシアは顔だけで振り返り、ニパッと笑った。


「それにぃ、ここでメルのご機嫌をとっておけば、ちょっとくらいはチューさせてくれるかもだし? ロマンチックな夜過ごせちゃうかなー?」

「エ、エリシアさん!? やっぱり不純な動機が……!」

「ボクほど純な子いないと思うけどなぁ? まーまー任せといてっ。『光祭』までにパパッと片付けてきちゃうからさ。じゃ、後の準備はよろしくねリィリィ。いってきまーす!」

「え、あっ、い、いってらっしゃいませです!」


 言うが早いか、エリシアは気付いたら既に居間を飛び出して行ってしまった。

 が、またすぐに戻ってきて扉からひょっこりと顔を出す。そして呆然としているリィリィに向けて言った。


「ケーキ、楽しみにしてるよ~。い・ろ・ん・な・意・味・で♪」


 艶っぽい声でひらひらと手を振り、またウィンクをして姿を消すエリシア。

 一人残されたメイドのリィリィは、ボンボン飾りを頭にくっつけながら「うあぁぁ~~ん」と苦悩の声を上げてしゃがみ込んだ。

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