♯291 待ち続ける戦い



◇◆◇◆◇◆◇



 フィオナが眠りについて、4日ほどが経っていた。


「――クレス様、こちらを。別室にベッドもご用意しております。どうか、少しお休みください」

「ああ、ありがとう……」


 ソフィア専属の黒髪メイドが淹れ直してくれた茶にも、クレスは手をつけない。彼の両手は眠り続けるフィオナの手に添えられていて、そこから離れなかった。


 既に日は落ちた。城の最上階にある聖女の寝所にいるのは、クレスとメイドの二人。そして、姉妹揃って眠り続けるフィオナとソフィア。

 つい先ほどまでは大司教代理のレミウスもここに残っていたが、様子を見に来たメイド長のサラに「いい加減にしな! 今度はアンタが永眠しちまうよ!」と怒鳴られて強引に連れていかれた。そうでもしなければ、レミウスが今夜もずっとこの場に残ると判断したのだろう。ほとんどの神官やメイドたちも代わり代わりに仮眠を取りつつ、城の仕事を行っている。聖女ソフィアが姿を見せたくなったことで、やはり街の方にも動揺が広がっているようだった。


「……少し、空気を入れ換えましょう」


 メイドが窓を開けると、涼やかな夜風が室内に入ってくる。外の新鮮な空気を吸って、クレスは少しだけ心を落ち着けた。

 あの日からずっとこの部屋に残っているクレスは、常に付き添っていてくれるメイドに顔を向けて微笑する。


「付き合ってもらってすまない。俺は大丈夫だが、君もちゃんと休んだ方がいい。これまでも、ずっと聖女様に付き添っていたんだろう?」

「ご心配は要りません。私はそういう訓練を受けておりますし、元々眠りが短い方ショートスリーパーですので。何より、クレス様お一人を残すわけにはまいりません」

「そうか……余計な負担を掛けてしまっているな。しかし、俺もしっかりと眠る気には……」


 申し訳なく思いながら、それでもここを離れることが出来ないクレス。ここ数日はほとんど睡眠をとっていなかったが、それでも眠くはならなかった。

 再びフィオナの方に目を戻し、熱の残るフィオナの手を握りながら、つぶやく。


「……ヴァーンやエステルたちも、こんな気持ちだったのだろうか……」


 カーテンを調整するメイドがわずかな反応を示した。

 クレスはフィオナの顔を見つめながら、独り言のようにぽつぽつと言葉を漏らす。


「あのとき……俺は、仲間を残して一人で魔王との戦いに臨んだ。残される側の気持ちを、考えてはいなかった。それが、今はわかる気がする」

「……そうですか」

「大切な人が今も戦っているはずなのに、何も出来ずに、ただ待つこと。……それが、こんなにも辛くもどかしいものだとは知らなかった。ヴァーンやエステルが怒るはずだ。俺は、本当に無知だな……」


 眠り続けるフィオナの頬に手を伸ばし、優しく触れるクレス。

 いつものように、フィオナが笑いかけてくれることはない。

 何も知らなかった自分に愛をささやき、教えてくれることはない。今の自分に出来る事は何もなく、ただ待っているしかなかった。愛する人が、無事に自分の元へ戻ってきてくれることを。それはとても過酷で、根気の必要なことだった。クレスでさえ、めげそうになるほどに。


 すると、メイドが涼やかな声で言った。


「一人待つのは、とても苦しいことです。しかし、クレス様はお一人ではございません」

「……え?」


 クレスがまたメイドの方を見る。

 傍らに立っていたメイドは、落ち着いた表情でハキハキと話す。


「そしてフィオナ様もまた、お一人ではありません。ソフィア様とご一緒ならば、きっと、お二人は最大の力を発揮出来るはず。私どもは、信じることで力添え致しましょう。信じることもまた、戦いなのですから」

「信じることが、戦い……」


 クレスはつぶやき、感嘆するように目を見張った。


 ――少し、肩の力が抜ける。


「……君も、強い人だな」

「待つことに慣れているだけでしょう」

「そうかな。なら、俺にもその戦い方を教えてもらえるだろうか」

「であれば、そのための休息が必要です。ひとまず甘いものでもご用意いたしましょう」

「ああ、ありがとう」


 そう言ってクレスは片手を空け、傍らのカップを掴んで口に運ぶ。温かさと柑橘系の良い香りが身体を癒やしてくれる気がした。そんなクレスに対して頭を下げ、メイドはスタスタと部屋を出て行く。


 一人となったクレスは、フィオナの手を握り直して言った。


「フィオナ、俺も一緒に戦うよ。だから、必ず俺のそばに帰ってきてくれ――」


 そしてフィオナの前髪を持ち上げると、額に軽く口づけをした。



 ――程なくメイドがティーワゴンを引いて寝所に戻ってくる。上段にはティーポットとスコーンなどの茶菓子。そして下段に毛布が収まっていた。


 ベッドのそばまでくると、メイドは一度お辞儀をする。


「お待たせ致しました。仮眠をとれますよう、こちらの毛布も――」


 彼女の言葉が途中で止まった。

 クレスが、フィオナの手を握ったままうなだれている。何も悲しみにうちひしがれているわけではない。一時的に一人になって、気が抜けたのかもしれない。


「……わずかなお時間でも、お休みください」


 ささやくような声と共に、メイドはクレスに毛布を掛け添えた。



 クレスの手――その中にあるフィオナの手の内で、ペンダントの淡い光が滲んだ。


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